「W杯優勝はアフリカ」論争が映す、いまの世界の重苦しさ
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先日、フランスのW杯優勝を「アフリカの優勝」とアメリカの番組司会者トレバーが言って炎上した件の日本語による丁寧な説明。
トレバーの番組は、見ると(特にアメリカの)アフリカ系の人にとっては溜飲を下げられるような真実を突いていて、個人的にも共感するところがありましたが、フランス側の「フランス人はフランス人で、出自で区別しない」という理想も大事に思います。
トレバーが言うように、アフリカ系の活躍で、世界中のアフリカ系の人が勇気づけられたと思いますが、もしフランス代表の誰かが「フランスで生まれフランスでサッカーをして代表になったのに、他の選手と違って自分だけいつまでもアフリカ系という冠詞をつけて区別される」と不快に思っていたとしたら、それも正当だと思う。
自分の出自を大事にして自分のアイデンティティにしたいという思いは正当なのに、やはり「彼は福岡出身」「あのひとは関西人」と言うようには気軽に使えないその背景自体が解消していかないといけないことかと思います。
子どもを助けたマリ移民の人を例に挙げた、「活躍したらその国の人して認められ、失敗したり犯罪を犯したらアフリカ系と言われる」ダブルスタンダードの背景も同じです。
同様の話として、ルカクのインタビューについての翻訳記事もありました。
https://premierleaguepub.jp/?p=4637
追記:
あと、日本人はアジア系として、Kyosukeさん言うように、アフリカ系と同じポジションにいると思います。海外に住んでいる方なら実感あると思いますが、世界のパワーバランスでは我々も二流市民です。まったく同じことが自分の身に起こったときに「騒ぎすぎ」「深く考えないでいいじゃん」といって静観できる人はいないと思います。この件とエジルとルカクの話は今結構どこのメディアも取り上げるホットな話題ですよね。
アメリカのスポーツファンとは、応援するチームが勝ったら”We won.”負けたら”They lost.”というもんだよと、現地の新聞に書いてありました。人種もなんですが、結局みんな都合がいいんですよ、人間って。国籍には、血統主義と出生地主義の2パターンがありますが、南北アメリカ以外では、血統主義を採用している国がほとんどです。
北米の文化や思想が圧倒的に広まっているため、頭の中では、出生地主義が意義が広く共有されています。一方で、世界の過半数以上の国籍は血統主義なわけです。日本はドの付く血統主義の国です。
なので、おそらくどの国においても、この手の議論は、総論賛成各論反対という結果になることがほとんどです。生活の問題であり、日常の問題です。「議論」で納得できるものなら、どんなに簡単なものでしょうか。