子ども時代のエピソードを紐解く

米国が大恐慌に見舞われていた1930年代、著名な投資家のウォーレン・バフェット(87)はまだ子どもだった。父の実家は食料品店を営んでいたが、父はそこで働き続けることができなくなった。
職もなく、銀行の取り付け騒ぎの後は金もなく、一家は父の実家の店からつけで食べ物を買ったが、それでも母のレイラはときおり食事を抜いた。ストレスにさらされたレイラは、子ども時代に吸い込んだ活字用の鉛の蒸気の影響もあってか、幼い2人の子どもにしばしばきつく当たった。
こうしたどん底の時代を経て、一家の経済基盤は徐々に安定に向かった。父は証券会社を立ち上げ、ついには連邦下院議員として4期を務めるまでになった。
ウォーレンは子ども時代にはすでに、数字に非常に強いところを見せていた。
アリス・シュローダー著『スノーボール ウォーレン・バフェット伝』(日本経済新聞出版社刊)によれば、彼はタイミングを計ったり、確率を計算したり、聖書にどの文字が多く出てくるかを計算することに夢中だった。15歳の頃には、新聞配達で数千ドルを稼げるようになっていた。
7月上旬、バフェットは世界第3位の富豪の座をフェイスブックのマーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)に譲り渡した。要因としては、フェイスブックの株価が今年に入って15%も上昇したことや、バフェットが慈善団体に多額の寄付を行ったことが挙げられる。
この結果、世界の富豪のトップ3はアマゾンのジェフ・ベゾス創業者兼CEO、マイクロソフトの共同創業者であるビル・ゲイツ、そしてザッカーバーグとなった。いずれもテクノロジー業界で富を築いた人物だ。
バフェットやその世代の多くの実業家らと比べると、ザッカーバーグの子ども時代は面白味に欠ける。
ザッカーバーグはニューヨーク郊外の中流階級の町ドブズフェリーで、歯科医と精神科医の息子として育った。小さい頃から父のコンピューターをいじっていた彼は、有名私立高を卒業する頃にはプログラミングの腕前もなかなかのものになっていた。

苦労知らずの坊ちゃん育ちばかり

ザッカーバーグの生い立ちは、ブルームバーグの長者番付の500位までに登場する若い世代のテクノロジー長者たちとよく似ている。
ちなみにテクノロジー業界は富豪を量産していることで他の業界の追随を許さず(相続によって富を得た人は除く)、500位内に64人が入っている。今年だけで新たに11人がランクインした。
だが、今どきのテクノロジー富豪たちの人格形成期の物語には欠けている要素がある。
それ以前の世代が金に苦労して新聞配達などをした経験があるのに、現代の長者たちはそろってアッパーミドルクラスの子ども時代を送り、早いうちからパソコンに触れ、エリート教育を受けている(たとえ途中でドロップアウトしたとしても)のだ。
ザッカーバーグがハーバード大学を中退してフェイスブックを立ち上げたのは有名な話だが、それよりずっと前の12歳の時には、父の歯科医院のためにインスタントメッセージング・システムを作っていた。
ツイッターの共同創業者兼CEOのジャック・ドーシーは15歳でプログラマーのインターンとして企業で働き、上司はその才能に目をむいたという。ウーバーのトラビス・カラニック前CEOも中学生のころにはプログラミングを始めていた。
フィクションの世界でも、「たたき上げの富豪」はつねに重要な役割を果たしてきた。小説家のホレイショ・アルジャーは、下層階級出身で元気な頑張り屋の主人公が、誠実さと刻苦精励のおかげで身を立てるという物語を書いた。
ハリウッドでは映画の黎明期から、社会の下層にいる人々がヒーローとして描かれてきた。そして実業界は、そんな物語を地で行く本物のたたき上げの富豪を生み出していた。
ところが近年、有名大学中退の富豪が増えたことで話はややこしくなってきた。彼らはもともと恵まれていた人々で、ろくに苦労をしていない。そもそもコンピューターが身近になければプログラミングの天才になるのは難しい。
恵まれた環境で育った若き富豪たちの存在は、米経済のもっと大きなトレンドを映す鏡でもある。多くの低所得の人々にとって、ゼロから身を立てることは以前よりも困難になっている。入学していなければハーバードを中退することはできないのだ。

ゼロからの立身出世が難しい時代

バフェットは、一時的に貧困に陥ったとはいえ政治家で投資家の父を持った自分は生まれつき運がよかったのだとよく口にする。
彼はコロンビア大学経営大学院に進学し、有名な投資家でもある経済学者のベンジャミン・グレアムの下で学んだ。だが同じ世代の多くの経営者の伝記をひもといても、大学の話は出てこない。
たとえば、2015年に88歳でスピードウェイ・モータースポーツ社のCEOを退任したブルートン・スミスは農場育ちで大学に行ったこともなく、労働争議への対応のためショットガンを携えて建設現場に向かったこともある。
石油王のハロルド・ハムは1945年、オクラホマ州の小作人の家庭に13人きょうだいの末っ子として生まれた。25歳で初めて石油を掘りあて、その金で大学に行くことができた。
先ごろ他界したカーク・カーコリアン(1917年生まれ)はカジノや映画会社の経営で知られたが、軍に入ってパイロットになるために高校卒業の証明書類を偽造したという逸話がある。
コンピューターオタクの時代に生きるのももちろん悪くないし、ウォール街の金融機関にありがちな男性優位主義が衰退しているのを惜しむ気にもなれない。だが、貧しい家に育つ子どもたちにとって、ザッカーバーグらが歩んできたような人生を歩むのは困難だ。
貧困から身を起こして富豪になるというアメリカンドリームがかつてより珍しくなっていることは、統計からも明らかだ。階層移動の機会が多いかどうかは子が親よりも高い収入を得るようになる割合によって測ることができるが、この数字は1940年代以降、ほぼ一貫して右肩下がりだ。
エコノミストのラジ・チェティの分析によれば、親の所得を超えた人の割合は1940年生まれの世代では90%を超えるのに対し、1980年生まれでは半分に過ぎないという。

苦労人がいないわけではないが

もちろん、大きな成功を収めた起業家の所得は、親のそれを大きく凌駕する。それどころか、過去のあらゆる人類の収入をも上回っていると言っていい。
米国において、所得額の最上位層に属する人々の所得の伸び率は最下層の伸び率をはるかに上回っていることはよく知られている(トマ・ピケティらの研究によれば、1980年代には正反対の現象が見られたという)。
国際NPOのオックスファム・インターナショナルは昨年、世界で生み出された富の80%以上が、最も豊かな上位1%のふところに入ったと分析した。
現代型の大富豪の多くが恵まれた環境で育ったということは、米国における富の集中の問題が拡大していることを象徴している。最近の統計によれば、世帯あたりの純資産の中央値は2016年まで景気後退前のレベルに戻らなかったのに対し、上位10%では2007年以降、10%以上増えていたという。
もちろん、今日のテクノロジー業界の大物たちのなかにも苦労人はいる。
テスラおよびスペースXのイーロン・マスク創業者兼CEO(47)は南アフリカからの移民で、豊かな家庭の出ではあるが、子ども時代はいじめられっ子だった。彼は17歳で単身カナダに移り住み、クイーンズ大学に入学した後にペンシルベニア大学に転学。その後、スタンフォード大学の博士課程を中退した。
アマゾンのジェフ・ベゾスCEO(54)は、母が16歳の時に生んだ子どもで、母の再婚相手であるキューバ移民のエンジニアの養子になった。グーグルの共同創業者セルゲイ・ブリン(44)は6歳の時に米国に移住。両親はロシアの反ユダヤ的な学界を嫌い、米国に新天地を求めたのだった。

学歴による給与格差も拡大するばかり

だが彼らにしても、旧世代の富豪たちとは対照的に、少なくとも片方の親は科学的な教養を持っていた。
ブルームバーグの長者番付によれば、アメリカの富豪で2番目に高齢なのはアムウェイの創業者の1人リチャード・デボス(1926年生まれ)だ。デボスがまだ幼かった大恐慌の時代に父は電気技師の仕事を失い、一家は祖父母の家に移り住んだ。
自分も友達も新しい野球のボールを買ってもらえず、布を詰めて糸で縛って修理したことがあると語っている。高校2年の時に彼は「大学向きではない」とのレッテルを貼られ、職業訓練校に行かされる。結局、地元のキリスト教系の高校に戻るために彼は自分で働いて学費を稼がなければならなかった。
長者番付で最高齢のたたき上げの富豪はテッド・ラーナー(92)だが、彼はパレスチナ出身の衣類の営業マンの息子で、ワシントンのユダヤ系移民社会で育った。カジノ経営者のシェルドン・アデルソン(84)はタクシー運転手の息子で、ボストンの労働者階級が暮らす地区で育った。
異なる業種(住宅建設と金融)で企業番付「フォーチュン500」にランクインする企業2社を創業した唯一の起業家であるエリ・ブロード(1933年生まれ)は、リトアニア系の塗装工の息子だった。
もちろん、コンピューター関係の技術が重んじられる方向に経済が変わったのは、テクノロジー業界の若き富豪たちの責任ではない。そうした技術が米国人の生活水準を押し上げる一方で、技術革新の急速なペースを背景に、収入を決定づける要素としての学歴の重要性は増し、さらに格差の問題を深刻化させている。
ホワイトカラーの職を得るには高学歴が必須条件になりつつあるなか、全体としてみると米国人の学歴は向上しつつあるが、それでも成人の70%近くは大学を出ていない。高校卒と大学卒の給与格差は1970年代以降、急激に広がっており、今では過去最大の約50%となっている。

「機会の不平等」に社会の怒り

経済的に豊かな層と貧しい層の間のいわゆる「デジタルディバイド」も格差を拡大させている。コンピューターの普及にも関わらず、貧しい家庭の子どもがプログラミングを学んでその才能を伸ばす機会は相対的に少ない。
ピュー・リサーチセンターのデータによれば、ブロードバンド接続のインターネットを家庭で使用している率は、年収が7万5000ドルを超える世帯では87%だったのに対し、3万ドル未満の世帯では45%に過ぎなかった。
機会の不平等が大きくなりつつあることに、ほぼ議論の余地はない。だが、最終的な結果がどうなるかはまだはっきりとは分からない。
才能はあるが経済的に恵まれていない人々の道が閉ざされ、富める者とそうでない者の間の格差が拡大していることは今や政治問題ともなっている。サンフランシスコやシアトルでテクノロジー企業に対する批判が高まっているのがいい例だ。
シアトル市議会は5月、住宅高騰を背景としたホームレス問題の深刻化を受け、アマゾンなど大手企業を対象に従業員数に応じた税を課す条例を可決した。新税はその後、撤回されたが、今も表面下では全米で緊張が続いており、いつどんな形で沸騰するか分からない状態だ。
旧世代の大物経済人たちと異なり、最も若い世代の富豪たちは世間の怒りを和らげる材料になるような「過去」を持っていない。
長者番付の500人のうち、最も若い3人(相続によって富を得た人は除く)は、いずれもフェイスブックの共同創業者だ。ザッカーバーグはハーバード在学中にフェイスマッシュという女子学生の顔写真の人気投票を行うツールを開発した後、友人らとともに大学を中退してフェイスブックを立ち上げた。
その少し上の世代にあたるのが、音楽ファイル共有サービスのナップスターの共同創業者として知られるショーン・パーカー(38)だ。彼は子どもの頃からプログラミングを始め、高校生の時にインターンとして、後にソーシャルゲーム大手ジンガのCEOとなるマーク・ピンカスの下で働いた。

「出世のはしご」が壊れている可能性

別に恵まれた子ども時代を送った人々が企業経営者になることを嘆いているわけではない。ゼロからの立身出世というアメリカの神話は、想像の産物という側面も持つからだ。
今日、最も低所得層の子供が最も高い所得層へと上昇する確率は10%未満。前述のチェティのデータによれば、これは他の先進国と比べても低い割合と言えるが、1970年代から大して変わっていない。
それでも米国人がアメリカンドリームを信じているのは、ゼロから業界の大物へとのし上がった人々の実話があったからだ。ザッカーバーグは今や、家族を大切にし、崇高な目的のために寄付を行うという道徳的なお手本のような存在となっている。
だがザッカーバーグの足跡をたどろうとする人は、今の彼よりもまず、苦労を知らず育ち、エリート高校ではフェンシング部の主将を務め、ハーバードではのんきな学生生活を送ってフェイスマッシュを開発したという彼の生い立ちに目を向けるはずだ。
ザッカーバーグと同じように、出世のはしごを上り詰めたいと思う若者もいるかもしれない。だが、自分のはしごには途中の桟がいくつか抜けていることを思い知らされる可能性は少なくない。
原文はこちら(英語)。(執筆:Anne Vandermey記者、翻訳:村井裕美、写真:bowie15/iStock)
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This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with IBM.