4年前の「AIがチューリングテスト合格」騒動は何だったのか
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「人間にはできて(多くの人間以外の)動物や機械にはできない情報処理」のことを「知能」や「知性」と呼んで来ただけなのだから、人間以外の動物や機械にできることが新たに発覚するにつれて「知能」「知性」の意味やイメージは変化してきている。自転車に乗ったり、足し算をすることを知能とは呼ばないように。
記事にあるように、チューリングもサールも、「できているフリ」かどうかを本質的に見破れないならば、もはや本物ではないかという問いを提起しただけで、知能の定義をしたわけでもできたわけでもないし、冒頭に述べたようにできるわけがない。
大きな功績がある過去の人の発言をなんでも神格化するのは本当に無意味だ。
最近のチューリングテストのコンテストでは、いかに人間を騙すかの競争になっていて、いかにも人間らしいミスやめんどくささ(スペルミスや傲慢さなど)を表現するかの勝負になっている。機械と比較される人間のプレイヤーは、「審査員に自分が機械ではなく人間だと思ってもらえるようにワザと人間のフリをする」ということをトレーニングして挑んでいる。(参考 "The Most Human Human" by Brian Christian)
こうなるともはや何を計測しているかはわからないので、チューリングテストは過去の有名な思考実験の隙をついて遊んでいるというほどの意味しかない。
「ブレードランナー」では、レプリカント(アンドロイド)にわざと感情をかき乱すようなナンセンスな質問をして、瞳孔の動きをみて人間かどうかを判断するということをしていたが、これも大して意味はないだろう。
現在ではチューリングテストに代わる試験方法もいろいろと検討されているが何をもって知能があると判定するかはなかなか難しい。
何が知能かって?
それは、「君が思えばそれが真実」、それでしかない。チューリングテストやらせ疑惑について調べていたら、そもそもチューリング自身がチューリングテストなんて提唱していないし、ましてや人工知能の見極め方なんて言っていなかったという事実。
お手すきの際にご覧いただければ幸いです。