ウイスキーブームを陰で操る「サントリー創業家」の秘密

2018/6/4

ウイスキーブームの仕掛け人

まさにウイスキーブームを象徴するような出来事だった。
2018年1月、日本のウイスキー業界に衝撃的なニュースが飛び交った。サントリーのシングルモルトウイスキー「山崎50年」が香港のオークションにかけられ、1本3250万円という、信じられない価格で落札されたのだ。
山崎50年は、2011年に1本100万円で販売されていたもの。150本限定で売り出されたこの商品は、発売から7年の時を経て、実に32倍の金額で取引されたことになる。
主催していたのは、競売大手のサザビーズ。ピカソやゴッホの絵画など、高額な美術品をメインで扱うことで知られる世界最古のオークション主催会社だ。
「サザビーズで競売にかけられるなんて、ひと昔前ではあり得ませんでした。まるでジャパニーズウイスキーがハイブランドになったようで、少し戸惑っているくらいです」(サントリー関係者)
大阪と京都の県境にある山崎蒸留所には、たくさんの原酒がならぶ(撮影:池田光史)
もちろん3250万円という価格は、国産ウイスキーの落札額としては、過去最高額だった。ただ、オークション業者によると、近年ジャパニーズウイスキーが高値で取引されることは決して珍しいことではないという。
2016年には、同様に山崎50年が850万円で落札され、2017年にはオンラインオークションで、52年熟成された「軽井沢1960」に1400万円の値がついている。
しかも値段が高騰しているのは、1本数千万円で取引される超高級ウイスキーだけではない。1本数千円のウイスキーに数万円の値がつくことはザラで、在庫が底をつき、販売停止に追い込まれる商品まで出てきている。
今、世界では空前のジャパニーズウイスキーブームが巻き起こっているのだ。
しかし、こうした華やかなブームの裏側に、それを仕掛けた「一族」がいることはあまり知られていない。
ベンチャースピリット溢れるその家族は、約100年前に日本でウイスキー製造を始めた。そして、独自のブレンド技術や製造ノウハウを蓄積していき、地道にジャパニーズウイスキーを世界ブランドにまで育て上げてきた。
鳥井家──。国内最大の総合飲料メーカー、サントリーの創業家である。
(写真:ロイター/アフロ)

国内最大の「非上場企業」

1899年の大阪。両替商の家庭に生まれた鳥井信治郎は20歳の時、サントリーの前身である鳥井商店を開業し、ぶどう酒の製造販売を始めた。
当時の日本では、お酒と言えば日本酒がメイン。舶来もののウイスキーやワインを飲む習慣は、まだ本格的に根付いていなかったと言われている。
しかも、本格的なウイスキーづくりは、本場のスコットランド以外では不可能というのが定説だった。しかし逆に言えば、日本のウイスキー市場は、強力なライバル企業が存在しないブルーオーシャンでもあった。
これからは、日本でも洋酒を飲む時代がくるだろう──。
洋酒に人生を賭けることを決意した信治郎は1924年、大阪府の山崎に巨大なウイスキー蒸溜所を建設する。そして、信治郎が始めた日本のウイスキーの歴史を、創業家が4代にわたって受け継ぎ、今日の洋酒文化を育んできた。
日本でのウイスキー製造は、サントリーがオーナー企業だったからこそ成功したと言われている。その理由は、ウイスキーが“超”がつくほど長期のビジネスだからだ。
ウイスキーは他の酒と違い、短くても3年は熟成期間が必要だ。その間は、どれだけ現金収入を得たくても、倉庫で眠らせておかなければならない。場合によっては、今製造したお酒が10年、20年先に評価を得る可能性さえある。
だからこそ、ビジネスでの成功と一族の繁栄を同一にし、長期的な視点で経営判断が下せるオーナー経営と相性が良かったのだ。
またサントリーは、株式市場における短期志向の波に飲まれることを避けるために、創業から120年がたった今でもプライベートカンパニーを貫いている。売上高にして2兆円を超す巨大企業のうち、非上場なのは日本ではサントリーだけだ。
決して短期的な思考に陥らず、20年、30年先の会社の成長を描きながら、経営戦略をグランドデザインしていく。長期志向というオーナー経営の強みを、常に維持し続けている。
最低3年熟成したものでないと「ウイスキー」とは名乗れない(撮影:池田光史)
一方で、サントリーの外に目を向ければ、権力を持ちすぎた創業家が暴走し、会社の経営を揺さぶるケースは、もはや珍しい話ではなくなっている。
近年は大企業で、創業家をめぐるトラブルが相次いでいることから、あまりオーナー経営に対して良いイメージを抱かないかもしれない。いったん経営の歯車が狂いだすと、創業家は、会社を存亡の淵に追い込む元凶にもなりうるからだ。
父と娘の間で権力闘争が起こった大塚家具では、ブランドイメージの毀損が響き、直近2年は最終赤字に沈んでいる。また2015年に昭和シェルとの合併を発表した出光興産も、創業家の反発が大きく、統合はスタックしたままだ。
そしてそれは、100年以上にわたってオーナー経営を続けてきたサントリーにとっても、無縁な話ではない。
創業家は、時に会社を強くすることもあれば、破滅へと追い込む可能性もある「猛獣」のような存在だ。
なぜサントリーでは、オーナー経営がうまく機能してきたのか。そして、これからも創業家が経営トップに君臨するのがベストなのか。その謎を解き明かすべく、NewsPicks編集部はサントリーのキーマンたちに取材を重ねた。
特集「サントリー 最強の家族経営」では、これまで秘密に包まれてきたサントリーの実像を、物語にしてつづってゆく。

キーマンを徹底取材

まず初回は、社長の新浪剛史が証言する。新浪は2014年に、サントリーとしては初の非創業家出身者として社長に就任した。
ローソンの会長を務めていた新浪は、サントリーへの入社直後、上場を検討していたという。実際に複数の証券会社に上場案を練らせ、2015年の時点では具体的な上場計画が描かれていた。
しかし、突如として上場案は立ち消えになってしまう。
なぜ新浪はサントリーの上場を諦めたのか。その時、何があったのか。新浪が社長に招聘された経緯も含めて、外様社長だからこそ見えてくるオーナー経営の本質を、NewsPicksだけに初めて語ってくれた。
サントリーには、次期社長への就任が確実視される男がいる。
創業者、鳥井信治郎のひ孫で、現在サントリーホールディングスの副社長を務める鳥井信宏だ。
鳥井は、ここ数年メディアの取材に応じることはめったになく、その経営観を公の場で語ることはほとんどなかった。次期社長の「頭の中」は一体どうなっているのか。
第2回は、業界内外から注目を集める、信宏その人のインタビューをお届けする。創業家に生まれた男の半生やその独特な経営観が盛り込まれ、とても貴重なインタビューになっている。
「やってみなはれ」
サントリーのことはよく知らなくても、チャレンジ精神を表すこの言葉を知っている人は多いのではないだろうか。
実はこの言葉は、創業者の鳥井信治郎が晩年に病床で語ったものだ。サントリーではこの言葉を創業精神として受け継ぎ、これまで数々のユニークな挑戦を行ってきた。
例えば1963年に参入したビール事業。サントリーは2008年に黒字化するまで、実に45年もの間、赤字を垂れ流し続けてきた。それでも、サントリーが事業を続けられた理由は何なのか。
第3回では、そうしたサントリー「やってみなはれ」の歴史をビジュアル解説でお届けする。無謀なビジネスに果敢に挑むベンチャースピリットを学ぶことは、きっとあなたのビジネスにも役立つはずだ。
本特集では、硬派な経営分析もしていきたい。
サントリーは2014年、約1兆6500億円もの大金でアメリカンウイスキーの「ジム・ビーム」を手がける米ビームを買収し、グローバル市場に打って出た。
当時は、高値掴みだと業界内外で批判されたが、買収から4年の時が流れ、地道ながら結果を残し始めている。
だが一方で、蒸溜酒世界首位の英ディアジオや2位の仏ペルノ・リカールの背中は遠い。
ウイスキーで一気に世界3位に上り詰めたサントリーは、どれだけグローバルにビジネスを広げていくことができるのか。その実情を、フェアな分析でお届けする。
果たして、サントリーはそのユニークさを維持しながらグローバル企業へと変貌を遂げることができるのだろうか。NewsPicksでは、全9回にわたって、国内最大の非上場企業を丸裸にしていく。
(執筆:泉秀一、デザイン:星野美緒)