200年ぶりに生まれた新たなブルー

色素研究という地味な世界で最も有名な人物、それがマス・スブラマニアンだ。その目の前には、さまざまな色の粉が入った広口瓶が並んでいる。オレンジ、黄、緑、青、藍、紫──虹のすべての色がここには揃っている。ただし、一色を除いて。
「だんだん近づいてきてはいる」と、スブラマニアンは明るい声で言う。指差した瓶の中にあるのは、赤みがかった茶色の粉だ。豊かでくすんだパプリカのような色合いで、実に魅力的。しかし、求めているのはこれではない。
色素とは、物体に色を与える物質のことだ。オレゴン州立大学の材料科学教授であるスブラマニアンが、奇妙にして厄介な色の世界に足を踏み入れたのは9年前。以来、かつては多くの同僚と同じく、ローテクな化学と見なしていた分野の面白さに夢中になる一方だ。
スブラマニアンが名声を手にしたのは2009年に偶然、新たな色素「インミン(YInMn)ブルー」を作り出したためだ。イットリウム(Y)、酸化インジウム(In)、マンガン(Mn)という3つの元素の組み合わせから生まれた独特の存在であるインミンブルーは、200年以上ぶりに発見された青色色素だった。
新発見に業界がわいているのは、その鮮やかで美しい青の色味だけが理由ではない。インミンブルーを使って、別の色合いを作り出せるからでもある。
スブラマニアンは直に、銅を加えると緑色の色素ができることに気づいた。鉄を足せばオレンジ色、亜鉛とチタンを混ぜれば、落ち着いた色合いの紫色が生まれる。
だが、作業台に散らばる研究の産物を見渡しながら、スブラマニアンはしかめ面をする。「ほかの色はできたんだが、まだ赤は発見していない」

赤に試行錯誤してきた人類の歴史

この世界に完全無欠な赤の色素は存在せず、これまで存在したこともない。だから、代わりに人間は毒になりかねない色素やグロテスクな色素で間に合わせてきた。
古代ローマの剣闘士は水銀からできた朱色の顔料で顔を彩り、見事な赤で知られるルネサンス期のイタリア人画家ティツィアーノは、鶏冠石というヒ素の硫化物を主成分とする鉱物を使った。
イギリス軍の有名な赤い上着はカイガラムシをつぶして抽出した色素で染めたものだったし、レゴの赤いブロックには何十年もの間、発がん性物質であるカドミウムが含まれていた。
現在、赤色色素は天然と合成のものを併せて200種以上あるが、いずれも安全性や安定性、色度や透明度の点で問題がある。
たとえば「フェラーリ・レッド」とも呼ばれるピグメントレッド254は安全で普及度が高いが、炭素を成分とするため、雨や熱にさらされると色があせやすい。
「日なたに座るのはいいアイデアではない」。ハーバード大学美術館ストラウス保存・技術研究センターの所長で、同センターなどが所蔵する顔料コレクション、フォーブス・ピグメント・コレクションのキュレーターであるナラヤン・カンデーカルはそう話す。「有機顔料の多くがそうだ」
安定していて毒性がなく、長持ちする色素もなくはない。旧石器時代の洞窟壁画に使われた酸化鉄だ。とはいえ、赤土から作られた代赭と呼ばれるこの色は、カンデーカルが言うように「人々が求めるような鮮やかな赤ではない」。

価値3億ドルのフェラーリ・レッドを超えろ

新しい色素が発見されれば、その影響はプラスチックや化粧品、自動車、建設業界などの幅広い分野の製品に及び、年間で数億ドル規模の儲けを生む。商業的に最も成功した青色顔料であるフタロシアニンの場合、アイシャドーやヘアジェルのほか、イギリスの鉄道の車両にも使われている。
スブラマニアンが見つけた新しいブルーは、おそらくそれを上回る質を持つ。とはいえ、スブラマニアンの元に大金が転がり込んできたわけではない。科学的な探求として始まったインミンブルーの発見は、当局による承認、生産体制、市販といった別の次元の難題を招き入れている。
承認や生産をめぐる複雑なプロセスが進行するなか、ビジネスより科学に関心があるスブラマニアンは今、インミンブルーを基に安全な赤の無機顔料を作り出すことに没頭している。
そんな赤の色素が見つかれば、年間価値3億ドルと推定されるフェラーリ・レッドを軽く抜き去るほどの価値がある。発見者は「翌日から仕事をせずに」暮らしていけると、オハイオ州に本拠を置く無機複合酸化物系顔料メーカー、シェファードカラーのマーケティング・マネジャーであるマーク・ライアンは言う。
ライアンの言葉を伝えると、スブラマニアンは笑った。「私は次の日も出勤するよ。仕事が大好きだから」
小柄なスブラマニアンは64歳。腹には少しばかり肉がつき、立派な口ひげをたくわえている。インド南東部の港湾都市チェンナイで暮らしていた子ども時代、浜辺に打ち上げられた美しい貝殻を目にしたことで、物質の構成に関心を持つようになった。
「自然はどうやってこんなものを作り出すんだろう?」と、スブラマニアン少年はよく考えた。それはやがて、貝殻はなぜこんな色になるのかという問いにつながった。

時代の流れは、より安全な有機顔料

厳密に言えば、色とは物質に当たって屈折したり散乱したり、反射したりする光を色彩の違いとして識別する視覚のことだ。
現代のコンピューターで表示可能な色は約1680万色。人の目が捉えられる色やプリンターで再現できる色の数をはるかに超える。そしてデジタルの色や想像上の色を、形を持つ何かに変える際に必要となるのが色素だ。
「素晴らしい青があっても、問題はその色のベルベットや絹、コットン、レーヨンの生地、あるいは塗工紙を実際に作れるのかということ」。そう話すのは、企業向けにブランドや製品の色彩戦略支援を行うパントン・カラー研究所のローリー・プレスマン副社長だ。
「重要なのは色そのものではなく、色の化学組成。その色をつけたいと思っている材料で、その組成が実現可能かということです」
そのため、衣料や建設、テクノロジーなどの業界は限られた色素しか使えない。顔料の世界生産量の3分の2近くを占めるのは酸化チタン。約132億ドルの価値があるとされる酸化チタンは道路の白線や歯磨き粉、粉雪のような砂糖がかかったドーナツのあの真っ白さを生み出す。
それ以外の色を得るには従来、鉛やコバルト、シアン化物といった危険な無機元素や無機化合物に頼らざるを得なかった。だが近年は、健康や環境に関する規制によって、より安全な有機顔料の使用促進が大きな流れになっている。
こうした傾向を受けて、さまざまな黒、黄、緑の色素が発見されている。ところが、青の場合はそう簡単にいかない。

電子素材の研究がもたらした偶然

新たなブルーを発見して顔料の歴史に名前を刻むことになったスブラマニアンだが、もともとは顔料を探していたわけでも、そのための実験をしていたわけでもない。
彼が同僚とともに追求していたのは新たな電子素材。具体的にはマルチフェロイック物質だ。磁性と強誘電性を併せ持つこの物質は、コンピューティングに役立つ。
ある日、スブラマニアンが指導する博士研究員の1人、アンドルー・スミスは薄い白色をしたイットリウム、黒い酸化インジウム、黄色のマンガンを一緒にすりつぶして灰色にし、摂氏1200度ほどに熱した窯に入れた。
12時間後、窯から取り出したとき、それは深みがあって鮮やかでうっとりするような青色に変化していた。地球外から来たような美しく輝く青、内側から光を放つ金星のブルーベリーのような青に──。
スブラマニアンは驚いて聞いた。「いったい何をしたんだ?」
「言われたとおりにやっただけです!」と、スミスは答えた。
「本当に正しい方法でやったのか?」
「はい」
「もう一度、やってみよう」

「トマトとタマネギを掛け合わせたらメロンが」

発明や発見は、スブラマニアンにとって縁のない分野ではない。インド南部のチェンナイ(マドラス)にあるインド工科大学で化学博士号を取得した後、30年間勤務した米化学系複合企業デュポンでは固体化学の研究に従事。それまでに54の特許権を取得してきた。
特許の大半は超伝導体や熱電材料など、電子素材に関わるごく一部の化学者にしかピンと来ない専門的なものだ。色彩に富むとは到底言えない分野だが、それでもあの青を見たとき、何かが起きているとスブラマニアンにはわかった。
カリフォルニア大学サンタバーバラ校に勤務する仲間の研究者に電話して「自分の目で見るまでは信じられないほどすごい」と話してみたが、専門外の発見に燃やす熱意は伝わらなかったという。
「あんな色はそれまで見たことがなかった」と、スブラマニアンは振り返る。「酸化物なら何度も作ったことがある。超伝導体はつねに黒か茶色、たまに黄色をしている。でも、あんなものは作ったことがなかった」
それは、トマトとタマネギを掛け合わせたらメロンができてしまったような体験だった。「これは現実なのかと不安でならなかった。夢を見ているだけではないか、と」

ウルトラマリンから、プルシアンブルーへ

青は自然界に最も多い色合いの1つだが、人工的に作り出すのは難しいことが歴史的に証明されている。
古代エジプト人は墳墓やパピルス、芸術品を装飾するために海の色のように深みのあるウルトラマリン(群青)を求めたが、トルコ石のような色しか実現することができなかった。
ルネサンス期には、ウルトラマリンの顔料はときに黄金より高価だった。原料のラピスラズリが、遠く離れたアフガニスタンから運ばれていたからだ(それでも、ミケランジェロが描いたシスティーナ礼拝堂のフレスコ画にはウルトラマリンが用いられている)。
近代最初の合成色素であるプルシアンブルー(紺青)が発見されたのは、18世紀初めになってから。これは偶然の産物で、発見者であるスイス出身の顔料製造者はもともと赤の顔料を作ろうとしていた。
以来、セルリアンブルー、ミッドナイトブルー、アクアマリン、スマルト(花紺青)などが普及したが、その多くには発がん性が疑われるコバルトが少量ながら含まれてきた。

安全で耐久性があり、熱反射性も抜群

スブラマニアンとスミスは問題の物質について調べるべく、まず酸に浸してみた。うれしいことに、物質は溶けなかった。
インミンブルーは不活性で、色があせず、毒性がないことも確かめられた。耐久性はウルトラマリンやプルシアンブルーより高く、安全度はコバルトブルーを上回り、色合いはフタロシアニンブルーより明るく、ビクトリアンブルーより濃い。
しかも熱反射性に極めて優れているため、どんな物体であれこの色素でコーティングすれば、直射日光の下でも熱くならない可能性がある。
スブラマニアンは自身の研究室に木製の鳥の巣箱を2つ設置し、ヒートランプの光を当てた。巣箱の1つには、同量の黒色酸化クロムとコバルトブルーを混ぜたものが、もう1つにはコバルトブルーをインミンブルーに変えたものが塗ってある。実験の結果、インミンブルーのほうの巣箱の温度は、もう一方の巣箱に比べて約12度低かった。
スブラマニアンはインミンブルーの特性に関する論文を執筆(後に米国化学会誌で発表)し、特許権も申請。特許番号「8282728」は、2012年10月にスブラマニアン、スミスともう1人の同僚を許権者として認められた。
新たな青が作り出されたという話はメディアに注目され、企業からの引き合いが来るようになった。関心の高さに驚いたスブラマニアンは早速、さらなる助成金を得ようと政府に申請した。
「目新しいことなど何もないと思っていた」と、スブラマニアンは言う。「色素の研究にカネを出す者がいるのかと思っていたんだが」
※ 続きは明日掲載予定です。
原文はこちら(英語)。
(執筆:Zack Shonebrun記者、翻訳:服部真琴、写真:c11yg/iStock)
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This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with IBM.