【浅野拓磨】ハリルホジッチ前監督との“駆け引き”

2018/5/10
ヴァヒド・ハリルホジッチ体制下における最後の日本代表、3月に行われた欧州遠征メンバーリストに、浅野拓磨の名前はなかった。
ハリルホジッチにとって、浅野は「秘蔵っ子」とも言える存在だった。
浅野が海外組を含む事実上のA代表に初めて招集されたのは、2016年5月のこと。それ以来、親善試合を含む国際Aマッチ17試合で起用した事実から、この若い才能に大きな期待を寄せてきたことがわかる。
3月の遠征メンバーからその名前を外した理由について、指揮官は次のように説明した。
「海外にしろ国内にしろ、多くのケガ人がいる。プレーする機会を失ってしまった選手もいる。クラブの中でグループにも入れてもらえない状況の選手もいる。浅野や井手口の件は、私にとって悲しい出来事だ。最終予選のオーストラリア戦でヒーローでもあった2人だが、現在の状況は彼らにとって厳しい。今回、彼らはリストに入っていない。この状況が続けば、本大会でもリストに入らない可能性がある」
ハリルホジッチは、常にその時々のコンディションが“既定値”に達していることをメンバー選考の基準とした。いくつかの例外もあったとはいえ、本田圭佑であれ、香川真司であれ、所属クラブで結果を残していない、あるいは出場機会を失っている時期には招集を見送り、発破をかけて奮起を促した。
だから浅野には、ある程度の覚悟があった。「ほとんどわかっていたことだから、特別な驚きはなかった」と話し、こう続けた。
「もちろん、悔しさはちゃんとあって、それは思っていたとおりでした。でも、その悔しさが自分が考えていたよりも大きかったのは、少し想定外。とはいえ、たとえどんな厳しい状況に置かれても、僕のなかで何かを諦めるという選択肢は、これまでも、これからもありません」
浅野にとってハリルホジッチは、どんな監督だったのか。話は監督と選手の関係における持論に及ぶ。
浅野拓磨(あさの・たくま)
 1994年三重県生まれ。四日市中央工業高校2年時に高校選手権で得点王に。卒業後、サンフレッチェ広島に入団。2015年日本代表に初選出。2016年アーセナルに移籍したが、労働ビザの取得が難しくシュトゥットガルトにレンタル移籍(撮影:Itaru Chiba)

どうして呼んでもらえるのか?

ワールドカップを2カ月後に控えた2018年4月、僕を初めて日本代表に選出してくれたヴァヒド・ハリルホジッチ監督がチームを離れることになりました。
僕は何かを言える立場にはないけれど、チームでは最も経験が浅くて実力もたいしたことない自分を呼びつづけてくれたこと、大事な試合で使ってくれたことを心から感謝しています。
ハリルホジッチ監督とは、実は一度も個人面談をしたことがありません。
監督は合宿のたびに何人かの選手と個人面談をしていて、ほとんどの人が一度は話をしています。でも、なぜか、僕だけは呼ばれたことがない。
正直なところ、どうして代表に呼んでもらえるんだろうと思ったことは1度や2度じゃありません。所属チームでの状態もあまりよくない。この前の代表でもいいパフォーマンスを見せられなかった。
それなのに、どうして今回も呼んでもらえるんだろう、と。
はっきり言って、選手としてのレベルは代表チームにおける底辺です。ほとんど一番下。日本代表を応援してくれているファンのみなさんのなかにも、疑問に思っている人がいると思います。結果を残していないから、「なんで浅野?」と思われても仕方がない。僕自身もそれを少しだけ気にしていました。
これは僕の考えですが、たぶん、ハリルホジッチ監督のなかでは、僕に「できること」と「できないこと」が、かなりはっきりしていたんじゃないかと思います。
代表に入り始めたころの“試す段階”で、ハリルホジッチ監督は僕の能力を把握し、「できること」と「できないこと」を見極めた。もし次の試合で「できること」が必要だと思えば招集する。その繰り返し。
僕にとっての「できること」は、唯一と言っていい武器であるスピードや裏への抜け出し、動き出しです。そこだけは誰にも負けない自信を持っていて、たぶん監督はそれを理解してくれていた。
“唯一の武器”を必要としてくれていたから、代表に呼びつづけてくれたのだと思います。

監督の色に100%染まる

そう考えると、ハリルホジッチさんが監督を務める日本代表で僕が表現するべきは、極端に言えば「それだけ」でした。
その代わり、評価されていること、期待されていることは絶対にやる。価値を示しつづける。
僕にとっては代表に入り続けるための“駆け引き”でした。
だからこそ、ワールドカップ出場を決めたオーストラリア戦では、スタメンで使ってくれた監督の期待に応えるため、自分の武器をフルに使って、なんとしてもゴールを奪いたかった。それ以外のプレーで何回ミスをしても、気にしている場合じゃなかった。
代表チームに限らず、監督と選手の関係は駆け引きの連続です。
この世界で生き残るため、レベルアップするためには、この駆け引きが絶対的に必要で、僕はつねに「監督が何を求めているか」を考えています。ハリルホジッチ監督に対しては、それをうまく表現できたと思うし、一度も面談に呼ばれないくらいだから、僕という選手の特徴を完全に理解してもらえたのでしょう。
だからこそ、監督が求めていることは絶対にやる。誰よりも忠実にやる。それがモットーでした。
そういう意味では、監督が替われば代表に呼ばれる保証はいっさいありません。監督が替われば選手に求められることが変わるし、それを表現できなければ呼ばれる理由がない。
それがなくても呼ばれるようになる唯一の方法は、メッシやクリスティアーノ・ロナウドのように、チームにおいて絶対的な存在になることです。そうなって、初めて監督に自分の意見を言える。
もちろん僕は、まだ1つの駒でしかありません。だから喜んで、監督の色に100%染まる。それ自体が、そのときの僕のプレースタイルになるんです。
(構成:細江克弥、写真:YUTAKA/アフロスポーツ)