「相対的貧困」の何が問題なのか? 実感なき数字を、それでも課題視するわけ(湯浅誠) - Yahoo!ニュース
コメント
選択しているユーザー
すばらしい記事です。わかりやすい。
先日、板橋区議会子どもの貧困対策調査特別委員会の本年度の活動報告を最終決定しましたが、本年度最後の委員会で、委員からの意見により「すべての子どもが対象であること」を改めて明記することとしました。
「黄信号」にきちんと対応できるよう、板橋区でも施策を重ねてまいります。
注目のコメント
高齢者の黄信号は「葬式に行けない」という形で、中高生の黄信号は「修学旅行に行けない」という形で灯る。
高齢者のほうは初めて知りました。
なるほど、それは辛いですね……
> 格差については、大方の合意がとれている2つのポイントがある。
> 1つは、ある程度の格差は、個人および社会の活力の源泉であるということ。
> もう1つは、しかし、行きすぎた格差は、世の中の足を引っ張るということ。
革命は、どちらで起こるでしょうか。母子家庭で育ちました。妹二人と自分の4人家族です。
死ぬわけではなかったですが、周りの友達と比べてみたらやはり貧乏でした。給料日前は冷蔵庫が空の時もありましたし、服を買いに行った記憶は年に一回二回あるかないかでしたし。地元のお祭りの時は、友達はお出かけ用の靴を履いていてけど、自分は常に履いている茶色く汚れた運動靴だったり(これは今でも鮮明に覚えてる)
だけど死ななかったのは母親が懸命に働いてくれたからだと思ってます。懸命に働いて、性格も明るくて、だからいろんな人が手助けしてくれたし、生きてこれたんだと思います。母親には本当に感謝してます。
子供はほぼ親に依存しているから、子供の貧困問題を考える時はまずその親に注目しないといけない気がします。歴史を顧みると発展する国は、必ず健全な中間層がいる。
富裕層はノブレスオブリージュ精神で、貧困層が再チャレンジできる為の投資をして欲しい。
それが自分達を富裕にしてくれた、あるいはさせてくれる社会に報いる道だと思う。
過去のことを自己責任論で断罪する姿勢の人は、自らの社会の未来に対して、無責任な態度ではないだろうか。
自分の無関心の言い訳にしてると思うのです。
大事なのは、未来の話。
自分も素敵な未来にする為の一因でありたい。