地震大国を生きる。私たちは“いつか”にどう備えるべきか?

2018/3/7
東日本大震災から7年。大きな犠牲を受け止め、次の被害を減らすために私たちにできることはなにか──。 地震のメカニズムを分析する地震学だけでなく、人々の防災意識にも踏み込んだ人間科学も研究する大木聖子准教授は、「天災を避けることはできないが、個人や社会の知恵によって被害を最小限に抑えることができる」と言います。日本に住む私たちに今、必要な「防災」を考える。

阪神大震災でショックを受け、地震学者に

──大木さんが地震学の道に進まれたきっかけは?
大木:高校1年生の1月、理系か文系か、ちょうど進路を決めるタイミングで阪神・淡路大震災が起こりました。私は東京で育ちましたが、生まれは大阪で関西に親戚もたくさんいます。
被災地の様子をテレビで見て、同じ国の同じ年代の子どもたちがこんなひどい災害に遭っている……と本当にショックを受けました。
そして、その日の夜には「地震学者になる!」と宣言。「なぜ、こんなことが起こるのか?」という現象を理解することに興味があったんです。
──やはり日本に住む限り、地震は避けられないのでしょうか……。
日本には山がたくさんあります。たとえば、阪神地方の六甲山は、活断層で山が高くなってでき、阪神・淡路大震災でも数センチ高くなりました。
房総半島も、地震のたびに隆起してどんどん土地を増やしています。次の関東大震災が起こると、千葉県の面積は少し増えるでしょう。美しい景色や温泉の恩恵が受けられる一方、日本の国土自体が地震とは切り離せないものなのです。
1961年に災害対策基本法が制定されてからはもちろん、それ以前からも、日本の都市計画や建物設計に関する法律の多くは災害を踏まえて整備されています。
最新の法律が守られた建物は強い揺れでも倒壊しないし、都市ガスは震度5で勝手に止まります。技術と法制度が多くの人の命を守ってきた。そういった意味で、日本はすごく先進的です。

残るのは個別化されたリスク

──技術や法整備が進んでいても、大地震が起こるたびに悲しいニュースを耳にします。
耐震強度が上がり家は残っても、家具が倒れると人が亡くなってしまう。
「うちの家具はすべてビルトインです」という方もいれば、「祖父から受け継いだ大事な家具には穴を開けたくない」「突っ張り棒ってダサい」という方もいる。法律というしっかりした幹はできましたが、その幹から出ている枝葉はあちこちに向いているわけです。
人々のリテラシーが高まった今、残っているのはこういった枝葉のリスクです。この個別化されたリスクを回避することがすごく難しいんです。
たとえば、漁業で生計を立てている方々に「沿岸部は津波リスクがある。100年に一度は起こるのだから、高台に住んでくれ」と言っても、そう簡単には納得していただけません。いや、そもそも社会のすべての人を納得させて、強制すべきものなのか。
これまでの科学やセオリーではこぼれ落ちてしまう個別化されたリスクをどう拾っていくか。私が人間科学という分野に転向した理由はここにあります。

コミュニケーションとして防災を考える

──「地震に備えなければ」と頭で理解していても、実際に行動に移すこととの間には大きな壁があるように感じます。
みなさん、対策したほうがいいことはわかっていますよね。でも、私たちの生活には家具を固定するよりも大事なことがある。仕事は忙しいし、子どもと遊んであげたい。なんでこんな晴れた日に家具を留めなきゃいけないの、って思うわけです。
固定しても家具は倒れるかもしれないし、いつ地震が起きるかもわからない。そんな不確実なことに貴重な時間を割けない、と判断するのは極めて合理的です。
では、どうすれば行動に移せるのか。
たとえば、お子さんは防災について学ぶと一生懸命行動してくれます。「防災教育は、みんなのお父さんやお母さんの時代にはなかったんだよ。だからみんなが教えてあげてね」と伝えると、自分の大きな役割を感じて両親に言うわけです。
「うちの家具を全部留めよう」と。こうして子どもに言われると親もせざるを得なくなる。
「自分はもうすぐ死ぬからいいよ」と言っていた高齢者の方も、孫に「おじいちゃんには長生きしてもらわなきゃ困る」とお願いされると、「一緒に避難所まで行ってみようか」となる。子どもからのアプローチはすごく効くと思っています。
防災は、はっきり言うと「未来のマイナスをゼロにする作業」です。地震から生き延びたからといって命が増えるわけではありません。でもそうではなく、「今をプラスにする」という発想をしてほしい。
家具を固定する一番の理由は、「子どもに家具の留め方を教えるため」と考えてみる。そうすると価値が変わります。
いつ起こるかわからない地震に備えるためではなく、将来の我が子や、まだ見ぬ孫の命を守るため、子どもの教育のためといった新しいバリューが生まれる。
人を育む視点で防災教育を行うと、子どもからの防災提案はその子が家族を想うおもいやりそのもの。「うちの子は親や祖父母の安全をすごく気にかけてくれる。おもいやりが育っている」と考えられるようになる。地震が起きるか起きないかが問題ではなくなってくるんです。
いつか大地震が襲ってくるからではなく、家族間のコミュニケーションとして防災をとらえてみる。一緒に防災グッズを買ったり、アプリをダウンロードしてみたり……そうすると会話が生まれる。これくらいのノリで私はいいと思っています。
大木さんが日々持ち歩く「防災ポーチ」。中身はFMラジオやスマホ用バッテリー、常備薬など。家族で一緒に中身を考えることもひとつのコミュニケーションになる

地震による人的被害は撲滅できる

──家族のコミュニケーションの一環として、防災を考える。その結果、被害も最小限に抑えることができるというわけですね。
地震は怖いものですが、その恐怖のひとつは大地が揺れること。もうひとつは、いつ起こるかわからないというものです。
ただ、実際に地震が発生した際に起きることは日本全国どころか世界各国でほとんど同じです。なにかが上から落ちてくるか、横から倒れてくるか、移動してくるか。その3つだけです。
逆に考えると、「落ちてこない」「倒れてこない」「移動してこない」状況さえ守れれば、そう簡単に命を落とすことはありません。
火事が起きるじゃないかって? 揺れている最中に一気に火の海になるなんてことはほとんどありません。もし火事が起きても消火器さえあれば初期消火できます。津波が来るまでも多少なりとも時間があるので、地震とまったく同時に大津波が襲ってくることはめったにないのです。
避難できるように揺れからちゃんと身を守る。揺れが収まったら初期消火したり、高台に避難したりすればいい。
つまり、地震による人的被害は撲滅できるはずなんです。
たしかに災害は脅威ですが、これまでの経験から得た貴重な教訓と私たちの英知で十分に対応できる。少なくとも、よほど不運な状況でない限り、人的被害はゼロにできるはずです。

「家に帰らない」という貢献

──東日本大震災後の首都圏では、帰宅困難などの二次災害が起こりました。
首都圏の3.11は、“悪い成功体験”になったと思っています。「俺は8時間かけて帰った」「私は30キロ歩いた」と、みなさん武勇伝のように語りますが、それは震源が東北だったからできたことです。
もし首都直下型地震だったら、余震が何度起こると思いますか? 何体の遺体をまたいで帰るつもりですか?
歩いているところに余震が起きてガラスが降ってくる、看板が落ちてくる、自動販売機が倒れてくる。
自動販売機の重さは800キロです。哺乳類は自分の体重の5倍の物が倒れてきたら助からないと言われています。狭い道で火災が起きたとき、帰宅者が道にあふれていたら消火活動も遅れます。
だから本当は、大きな地震が起きたら家に帰らないことが貢献になるんです。いつもは徹夜で仕事をするのに、なぜあの日ばかりは無理して帰宅するの、と思いませんか。
災害時に私たちが第一にできる貢献は、帰宅困難者にならないこと。家に帰らないと決めるだけで、よいことをしていると知ってほしい。
ただ、なぜ人は危険を冒してでも家に帰りたいのか?という視点にも寄り添わないと、本当に被害を減らすことはできません。それは、家族や自宅が心配だからですよね。
「家族はみんな無事だよ」「私はココに避難しています」という情報が安心を生むので、いざという時の連絡経路を確保しておくことはとても大切です。
大木さんのキーホルダー。鳥型のホイッスルとLEDライトを装着。「まず毎日触れるものを変えると意識向上につながる」(大木さん)
──改めて、私たちはどのように地震と向き合っていけばよいのでしょうか?
実際に震災で家族を亡くした方がおっしゃるのは、「前の日にみんなでご飯を食べた、そんなささいな日常が大事だった」ということ。
そう考えると、その大切な日常の時間を割いてまで、“いつか”の地震に備える必要があるのか、と矛盾してくるんですね。
だから、子どもと一緒に過ごしてすごく幸せだとか、恋人とのかけがえのない時間がずっと続けばいいのにとか、そういった“今”の感覚を満たすための切り口のひとつとして防災があると視点を変えてほしい。
「普段は私が子どもに勉強を教えているのに、娘が防災について教えてくれて新鮮だった」「一緒に避難場所まで歩いてみて楽しかった」
そうなると、実際に震災が起きる・起きないは関係なくなるんですね。
チェックリストを作って、地震から生き延びるために「これをやってください」ということもできますが、誰かに強制されたことなんてやりたくないでしょうし、知識が増えたって必ずしも行動できるわけではありません。
結局は、今をどう主体的に生きるかということ。家族でも恋人でも、クラスの友達でもいい。誰かが寄り添ってくれて、「あなたはかけがえがない」と言われることで、人は生きる勇気が湧いて主体性を獲得できるのだと思います。
こうして行った主体的な防災活動は、必ず身になります。私は、よりよく生きることを考える入り口として「防災」があると思っています。
私たちの生活をいつ揺るがすかわからない大地震は、家族が一緒にいるときに起こるとは限りません。有事への備えは自主防災の意識から。

夏野剛氏監修アプリ『ココダヨ』では、緊急災害警報に連動し、直近の家族の居場所を自動で共有。災害が起きた時、家族がどこにいたかを瞬時に把握することができます。

大きな不安を少しでも和らげるのは、家族の安否と「ここだよ」「無事だよ」の言葉。『ココダヨ』は、家族の安心をささえる、絆アプリです。
(構成:尾越まり恵、撮影:稲垣純也、デザイン:星野美緒、編集:樫本倫子)