肉の概念を変えるチャンス

ビーガン(完全菜食主義者)のライアン・ベセンコートは、培養肉の難しさと可能性を熟知していた。
2013年に世界初の人造肉ハンバーガーを披露したオランダの生理学者マーク・ポストを、インディバイオに誘ったこともある(ポストは申し出を断り、グーグルの共同創業者セルゲイ・ブリンの資金提供を受けて「モサ・ミート」を共同設立した)。
「私はウーマに、この分野の先駆者になって、肉の概念を変えるチャンスだと言った」
インディバイオは、ウーマ・ヴァレティとニコラス・ジェノヴェーゼが共同設立したスタートアップ、メンフィス・ミーツの最初の外部投資家になった(当初は「起源」を意味するラテン語にちなんで「クレヴィ・フード」という社名だったが、ヴァレティによると、凝りすぎて「誰にも意味が通じなかった」)。
2015年9月、ヴァレティとジェノヴェーゼはサンフランシスコのベイエリアに拠点を移し、牛の筋肉細胞と結合組織細胞の培養を始めた(「食肉」と「筋肉」はほぼ同じだと思いがちだが、肉の風味と食感の大部分はコラーゲンや筋線維、靭帯、筋膜などの分解から生まれる。本物の肉のような味を再現するためには、さまざまな種類の細胞を混ぜ合わせる必要がある)。
翌年1月には、小さなミートボールをつくれる量の細胞ができた。「最初のひと口の味は忘れられない」と、ヴァレティは振り返る。「あの瞬間、肉を食べたときのあらゆる感覚がよみがえった」
ヴァレティが最後に肉を口にしてから20年。まだ長い道のりが待っているが、自分たちは確かに肉をつくったのだと確信した。小さなミートボールは、実験室で肉を育てるという発想の可能性を裏づけた。

植物由来の代替品はすでに実現

より健康的で、人道的で、環境に優しい食べ物をつくるというメンフィス・ミーツの目標は、植物由来の代替品がすでに実現しつつあるとも言える。実際、その技術は培養肉より大きく進んでいる。
シリコンバレーのスタートアップ、インポッシブル・フーズは3億ドル近い資金を調達して、100%植物性のハンバーガーを開発。焼くと牛ひき肉のように茶色くなるパテは、肉汁まで滴らせる。血液中のヘモグロビンに含まれるヘムという物質を、植物から生成することに成功したのだ。
もっとも、高級ファストフードの味という触れ込みだが、食感は物足りない。表面は程よく滑らかながら、プリンのような歯ごたえは微妙なところだ(ゲイツはインポッシブル・フーズと、やはり植物性の代替肉を製造するビヨンド・ミートにも出資している)。
これに対し、培養肉を推進する人々は、植物性の原材料だけでは限界があると主張する。肉は実に複雑で、深い文化が刻み込まれているのだ。
「人間は太古の昔から、肉を食べて進化してきた」と、ヴァレティは言う。ハイテクの植物性バーガーは牛ひき肉の代わりになるかもしれないが、応用範囲は狭い。
一方で、培養肉は「あくまでも肉であり、肉と同じようにあらゆる調理ができる。店で買って、自宅で数百年前から知られている料理をつくれる」

食べ慣れたものを好む消費者

同じような考えで培養肉に参入する経営者もいる。
植物由来の食品加工のスタートアップのなかでも知名度が高く、資金も豊富なハンプトン・クリークは、2012年の創業以来、植物性タンパク質を使った卵の代用品でマヨネーズやクッキー生地を製造している。
しかし、創業者のジョシュ・テトリックCEOは、消費者は食べ慣れたものを好むのだと痛感している。「植物性の代替肉の大きな壁は、文化だ。私の家族は、ウォルマートに行って『植物性ハンバーガー』を買うことはないだろう」
折りしも取締役会で対立が生じ、5人の社外取締役が全員辞任した。社内の混乱は長引き、複数の重役がテトリックに辞任を迫るという事態に発展した。売り上げを伸ばすために行った大規模な買い戻しが司法省に目をつけられ、最大の取引先の1つだったターゲットを失った責任を問われたのだ。
今年6月にテトリックが突然、培養肉の鶏肉製品を2018年までに店頭に並べると発表したときも、騒動から目をそらす戦略だといぶかしむ声が出た。事業計画も楽観的で、思惑どおり開発が進んでも、当局の認可が間に合う保証はない。
それでもベンチャーキャピタルから2億ドル以上の資金を調達し、著名な細胞生物学者を含む60人の研究開発チームを立ち上げた。
9月には、必要な特許は確保しているという発表を補強するかのように、フライパンでハンバーガーがジュージューと音を立てている動画を、テトリックがツイッターに投稿した。同社初の培養ビーフかどうかについて、会社の広報はコメントしていない。
ある業界関係者は、ハンプトン・クリークの研究開発が前進していることも、会社が機能してないことも事実だと語る。「彼らが市場に一番乗りできないとしたら、理由は社内の分裂だ」(この発言について同社は取材に応じなかった)。
「ポスト・ミート」エコシステム

実験室育ちの肉が市場に出回れば、牧場や養鶏場を営む農家の人生は劇的に変わるだろう。一方で、動物性タンパク質は全米で1兆ドル以上の市場を創出している。培養肉はさらなる改革を促すだろう。

● 飼料 細胞にえさをやることは、動物の場合より簡単だ。培養肉の生産は培養地のコストが最も高い。既存の飼料業者は、新規参入にそなえて改革が必要だろう。

● 精肉 食肉処理場では約50万人が、危険で低賃金の仕事に就いている。食べ物由来の病気の大半の発生源でもある。培養肉の収穫と加工は大部分が自動化されるだろう。

● 保冷車 保冷車による輸送のうち、肉は大きな割合を占める。培養肉も輸送されるが、どこでも生産できるため、輸送距離はあまり長くない。基本的に無菌培養だから、従来ほど冷蔵の必要もない。

転用 動物の体重の最大で半分は、食べることができない。骨や皮膚などの残留物はペットフードや糊などに加工される。「ポスト農場」社会では、賞味期限切れの肉やレストランの使用済み油を処理する業界は小さくなるだろう。

● 皮革 現代では、生産される皮革の大半は食肉処理場で出たものだ。肉を獲るために殺される牛が減れば、皮革は細胞農業に移行するだろう。モダン・メドウなどのスタートアップが、すでに取り組んでいる。

鶏の唐揚げと鴨のオレンジソース

戦略を絞っているメンフィス・ミーツにとって、成功の条件はわかりやすい。肉をもっとおいしく、もっと安くすることだ。この夏、ヴァレティは10人のスタッフ全員を集め、これまでの成果とこれからの課題について話し合った。
その数週間前に、初めて社外で試食会を実施。鶏の唐揚げと鴨のオレンジソースを25人に食べてもらった。
「みんな食感に驚いていた」と、持続可能な食品を提唱する活動家で、試食会に参加したエミリー・バードは言う。
ただし、実に高価な肉だ。培養鶏肉の生産コストは1ポンド(約453グラム)につき3800ドル。「月に1000ドルのペースで安くしていきたい」と、ヴァレティは言う。「目標は市販の肉と同じ値段まで下げて、さらに安くすることだ」
道のりは遠い。それでも理論上、培養肉の生産は、初期投資は高いが運用コストは安くおさまるはずだ。適切な環境を設定すれば、細胞は勝手に分裂する。コスト管理の鍵を握るのは、栄養が豊富な培養地だ。培養肉の生産に成功している企業はどこも、培養地の主な成分にウシ胎児血清(FBS)を用いている。
ただし、FBSは高価で、植物由来や動物を虐待しない製品をつくる企業に対して優位性が薄れかねない。
ハンプトン・クリークはFBSを使わずに鶏肉を培養していると説明するが、具体的な手法は明かしていない。メンフィス・ミーツは細胞株の最初の培養にFBSを使っているが、「血清をまったく必要としない生産方法を実証済みで、今なお新たな方法を開発している」。
テトリックは、培養地──メンフィス・ミーツは「飼料」と呼ぶ──のコストを、電気自動車メーカーがバッテリーを改良しなければならないことにたとえる。「その制限を克服する方法が見つかったときに、すべての経済面が好転する」

求められる「第2の家畜化」

電気自動車のたとえのとおり、培養肉がスーパーの棚に並ぶころには、一般の肉よりほぼ確実に安くなっているはずだ。今後数年間は、ホールフーズ・マーケットで天然のサーモンや牧草で飼育したサーロインを買うような消費者に、売り込んでいくだろう。
「より高いカネを払う価値があるという地位を獲得しなければならない」と、ミンテル・グループの食肉業界担当アナリスト、パティ・ジョンソンは言う。
たとえば、インポッシブル・フーズのように、影響力のあるシェフを口説いてメニューに使ってもらうことも1つの方法だ。あるいは、遺伝子組み換え技術で栄養を強化すれば、オメガ3脂肪酸を加えた牛肉はサーモンと同じくらい健康的だという宣伝もできる。
ヴァレティは、大手の食肉会社を倒すという口調にならないように、慎重に語る。大手食品加工会社は培養肉の技術発展にとって、販売業者としても、顧客や投資家としても、買収者としても、大切な存在なのだ。
穀物大手のカーギルは、ゲイツとブランソンともにメンフィス・ミーツの資金調達のAラウンドに参加。精肉大手のタイソン・フーズはベンチャーキャピタルを立ち上げ、持続可能な生産技術に出資している。
牛や豚の飼育や解体処理のコストが下がることはないだろうが、培養肉が新しいテクノロジーのセオリーを踏襲するなら、今後数年間はコストが下がりつづけるだろう。
「1ポンドにつき2ドル、あるいは1ドルで生産することも夢ではない」と、ベセンコートは言う。「そこまで行けば、ほぼあらゆる種類の加工肉に取って代わるだろう。20年後には、動物を育てて殺すことは奇怪な行為になっている」
ミズーリ州の養豚農家は廃業に追い込まれると危機感を抱いているかもしれないが、農家から肉を買う業者の発想は大きく異なると、ジャーベットソンは言う。鳥インフルエンザや狂牛病の大流行は「業界の人間にとっては、恐ろしすぎる現実だ」。
それについてはヴァレティも言葉を濁さない。「畜産業の現状は好ましくない。このままでは多くの人命が奪われる」。だからこそ、第2の家畜化が求められている。
原文はこちら(英語)。
(執筆:Jeff Bercovici/San Francisco bureau chief, Inc.、翻訳:矢羽野薫、写真:yipengge/iStock)
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This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with IBM.