「誕生日であり、死を迎える日」

ウーマ・ヴァレティは、自分が食べている肉がどこから来たのか、初めて意識した日のことをよく覚えている──。
心臓専門医でスタートアップの共同創業者でもあるヴァレティは、インド南東部のヴィジャヤワダで育った。父親は獣医、母親は物理の教師だった。
12歳のとき、隣人の誕生パーティーに招かれた。人々は前庭でダンスを踊り、タンドリーチキンやヤギのカレーを堪能していた。ふと家の裏手をのぞくと、料理人たちが次々に家畜をさばき、大きな皿に料理が盛られていた。
「誕生日であり、死を迎える日でもある。何かおかしいと思った」
もっぱら肉食だったヴァレティだが、研修医としてアメリカで暮らしはじめたころから、食事が理由で体調を崩すことが増えた。食肉処理場で動物の糞便が混じって汚染されたと思われる肉は、特に胸焼けがひどかった。
「肉は好きだったが、生産方法に納得できなかった。もっと良い方法があるはずだと思った」

分子生物工学者がのぞく顕微鏡

シリコンバレーから少し離れた、サンフランシスコ湾東部のサンアレンドロ。どこにでもありそうなビルのなかの小さな研究室で、分子生物工学者のエリック・シュルツが顕微鏡をのぞいていた。そのレンズの先に「もっと良い方法」があるのだ。
ひょろりとした赤毛のシュルツは、彼が私に見せようとしている標本と同じように「ハイブリッド」な研究者だ。
米食品医薬品局(FDA)の元取締官で、現在は教壇に立ち、テレビ番組のホストを務め、ヴァレティが2016年に設立したメンフィス・ミーツの上級研究員でもある。
高性能の空気清浄フィルター付きの実験用キャビネットに「鶏交配中」の札がかかっている。その隣の肉用冷凍庫には「アンガス」(NP注:アンガス牛)の札。向かい側の壁際に設置された培養器の温度計は、合鴨の体温と同じ摂氏41度を指している。
シュルツは培養器からシャーレを取り出して顕微鏡にセットし、私を手招きした。「長い皮のようなものが見えるでしょう? 筋肉を形成する細胞です。これを採取した合鴨は、どこかで元気に暮らしているでしょう」
半透明のパスタのような細胞のところどころに、明るい斑点──細胞核だと、シュルツが教えてくれた──が見えた。別のシャーレは、パスタの紐のあいだに、短くて太いチューブ状のものが散らばっている。ミミズのかたちをしたグミのようだ。
これは成長した筋肉細胞で、数日のうちに細胞同士が融合して細長い多核の筋管細胞になる。細胞の鎖はいくつも渦を巻き、ゴッホの「星月夜」の空を描く。そして「自然に収縮を始めます」と、シュルツはこともなげに言った。「すべて生きている細胞ですから」
収縮する? グミがくねくねと動いて?
山盛りの鴨肉のミンチが、皿の上で身もだえしいる光景が思い浮かび、私は首を横に振った。脳や神経の細胞ならまだしも、肉の切れ端がどうして動くのだろう。
シュルツは私のような反応に慣れている。「これまで1万2000年のあいだ、『肉』と言えば『動物』を連想するのが当たり前でした。2つは結びついていますが、切り離して考えようというわけです」
【肉食】食べ物には流行もあるが、肉は主役。2001~2014年の世界の食肉生産のデータもそれを物語っている(出典:FAO)。

● 15%増↑ 牛肉の生産量
● 34%増↑ 豚肉の生産量
● 71%増↑ 鶏肉の生産量

世界の食肉市場は今後30年で2倍に

動物を育てずに肉を生産する。その概念自体は、目新しいわけではない。
1932年にウィンストン・チャーチルは、さまざまな未来を予想するエッセイで次のように書いている。「胸肉や手羽を食べるために、鶏1羽を丸ごと育てるような不合理は終わる。部位ごとに適切な培養地で育てるようになるだろう」
実験室で肉を培養する基本的な技術は20年以上前からあるが、本物の肉と同じくらいおいしくて手ごろな値段の培養肉は、まだ実現していない。
しかし、あと数年もすれば市場に出回りそうだ。世界の食肉市場は数兆ドル規模に達し、今後30年間で2倍に成長するとみられている。豊富な資金を持つ多くのプレイヤーが一番乗りを目指すなか、メンフィス・ミーツは最有力候補だ。
メンフィス・ミーツはわずか10人のメンバーで(今後数カ月で40人に増える予定だ)、食用の牛、鶏、鴨の肉をバイオリアクター(生物反応器)で細胞から培養することに成功。ライバルを大きく引き離している。
動物を解体したのではない食用肉をどの政府機関が管轄するかなど、規制の方向性はまだわからないが、2021年には店頭に並べたいと考えている。

「クリーンミートのトップランナー」

「クリーンミート(培養肉)のトップランナーだ。誰も追いつけずにいる」と、ベンチャーキャピタリストのスティーブン・ジャーベットソンは言う。
ジャーベットソンのファンド、DFJは今夏のメンフィス・ミーツの資金調達ラウンドを率い、1700万ドルを調達した。ジャーベットソンは培養肉や代替肉の市場が爆発的に成長するとにらみ、5年近く調査していた。
そして2016年に、ヴァレティに出会った。「業界を変えるような価格と規模を実現できると私が確信したのは、彼らだけだ」
ほかにもビル・ゲイツやリチャード・ブランソン、ジャック・ウェルチなど、名だたる投資家がメンフィス・ミーツに可能性を見出している。その豊富な資金をもとに、先進的な技術をさらに洗練させる計画だ。細胞を培養してとびきりおいしいステーキやハンバーグを生産し、コストの引き下げを目指していく。
錚々たる投資家の後押しは、競争相手の追い風にもなっている。「自分たちのように小さな会社には、とくに心強い」と、魚の切り身の培養に取り組むスタートアップ、フィンレス・フードのマイク・セルデンCEOは語る。
「『いいアイデアだが、その技術に賭けるわけにはいかない』と投資家に言われたら、リチャード・ブランソンやビル・ゲイツも高く評価しているんですよ、と返せるから」

ゲイツやブランソンが興味を抱く理由

クリーンミート(誕生したばかりの業界の先駆者は「培養肉」よりこの呼び方を好む)は、ビジネスとしての潜在能力は明らかだ。
中国やインドなどで台頭する中産階級は欧米流の食生活を好み、動物性タンパク質の消費量は世界的に急増している(メンフィス・ミーツが鴨肉を選んだのは中国で人気があるからで、1カ国で世界全体の消費量の半分以上を占める)。
一方で、国連食糧農業機関(FAO)の推計によると、世界の水産資源の90%は過剰に搾取されているか、乱獲の危機に瀕している。さらに、世界全体で利用可能な陸地と淡水の4分の1は、家畜の飼育に使われている。
食用肉1キロカロリー分を生産するために牛が消費するエネルギーは25キロカロリー。食肉を加工する過程で足やくちばし、毛皮、軟骨など、食べられない部位が大量に残り、廃棄業者にカネを払って処分を頼むことも少なくない。
ただし、ゲイツやブランソンたちの興味をかきたてているのは、経済的な可能性だけではない。食肉は、世界の環境と公衆衛生に悲劇をもたらしているのだ。
温室効果ガスの14.5%は家畜産業から排出され、その割合は運輸部門全体より多い。食肉の需要急騰にともない、原生熱帯雨林が破壊されて牧草など飼料の栽培地になり、水資源は渇水に苦しむ地域ではなく農場に回される。
過密状態の飼育施設は大規模な感染病の源となり、抗生物質が大量に投与されてスーパー耐性菌が次々に生まれている。

「細胞農業」分野に高まる期待

裕福な消費者は、放牧の牛肉や平飼いの卵など、動物虐待を伴わない持続可能な生産と銘打った畜産物に喜んで高いカネを払う。ただし、まだほんの小さな市場だ。
FAOの予想では、肉の消費量は2050年までに現在の2倍に増える。従来の概念を根本から変えないかぎり、過密な肥育場や何段にも積み重ねられたケージなど、飼育環境も倍速で悪化するだろう。
ブランソンは森林破壊と食肉処理場の慣行を懸念して、2014年に牛肉を食べるのをやめた。彼はブログに次のように投稿している。「あと30年もすれば、動物を殺す必要はなくなり、すべての肉は培養か工場生産になるだろう」
ブランソンの予言もさることながら、メンフィス・ミーツを支援する人々はもっと大きな構想を描いている。
「細胞農業」と呼ばれる分野ではすでに、皮革やワクチン、香料、建築資材など、本来は動物や植物から収穫する農産物を細胞培養で生産している。この新しい手法が進めば、臓器提供や石油の掘削、森林の伐採などが不要になると、推進派は期待する。
その可能性は、生命の秘める力と同じくらい広い。
「文明が発達した大きな理由は、動物の家畜化だ」と、メンフィス・ミーツの共同創業者ニコラス・ジェノヴェーゼは言う。「家畜なしで肉を生産できるようになれば、第2の家畜化に成功するだろう」

心臓専門医から転身のきっかけ

ヴァレティが「動物なしの肉」に注目したきっかけは、2005年に研修医としてメイヨー・クリニックに赴任したことだ。
ある臨床試験で、心不全で損傷を受けた組織の修復に肝細胞を使った。肝細胞は未分化の細胞で、さまざまな種類の組織に成長する。心筋梗塞などで組織が破壊された心臓に肝細胞を移植すると、新しい健康な組織に成長し、損傷した組織に取って代わる。
肝細胞を培養して心臓の細胞をつくることができるなら、鶏の骨付きもも肉やTボーンステーキに成長させることも可能ではないか。最初からTボーンの組織だけを育てれば、牛の残りの部位は省略できるのではないか。そうすれば、より健康的な栄養バランスのステーキ肉をつくれるはずだ。
少し調べてみると、すでにさまざまな試みが行われていたが、かつては実現不可能だった手法が急速に普及していることもわかった。
たとえば、DNA塩基配列解析(シーケンシング)が短時間でできるようになり、タンパク質を生成する酵母細胞のプログラミングにかかる時間もコストも、以前より大幅に削減された。
データサイエンスの進化により、膨大な量の実験データから簡単に関係性を導き出せる。また、持続可能な手法で人道的に飼育された食品が高価でも売れる市場が広がり、商品化した当初は価格が高くなる培養肉を投入しやすい環境が生まれていた。
「心臓専門医を続ければ、これから30年で2000人、3000人の命を救えるだろう」と、ヴァレティは語る。「でも、この研究に集中すれば、数十億の人命と無数の動物の命を救える可能性がある」

2014年、大きく前進した野心

その野心が大きく前進したのは2014年のこと。細胞農業を支援する非営利団体ニュー・ハーベストで活動する友人から、幹細胞に詳しい生物学者のジェノヴェーゼを紹介された。
ジェノヴェーゼはヴァレティと同じように、大人になってから菜食主義に転向した。高校時代は、地元の「4-Hポウルトリ・クラブ」で鶏を大きく育てる競争に熱中した。
「同じ日からひなを育てはじめ、数カ月後に計量して勝者を決める。ティーンエイジャーには楽しくてたまらない」。しかし、厳しい現実も経験した。「鶏は餌をくれ、守ってくれと、僕たちをじっと見つめる。夜は鍵をかけて、キツネに教われないように守る。でも、最後は殺すだけだ」
ジェノヴェーゼは大学で細胞生物学と組織工学を学び、再生医療に携わるウラジミール・ミロノフが運営する研究機関に就職した。発生生物学者のミロノフは3Dプリンターの技術を用いて、生きた細胞で人工臓器を再現する研究に取り組んでいた。
2010年から3年間、ジェノヴェーゼは動物愛護団体PETA(動物の倫理的扱いを求める人々の会)の奨励金を得て培養肉を研究した。ミズーリ大学に移ってからも、何かと物議をかもすPETAとの関係ゆえに、地元の養豚業界から目の敵にされた。
そして、ヴァレティの研究のことを知ると、すぐにミネソタ大学医学部の彼の研究室に加わった。
2015年には、ヴァレティは大学を離れる決意を固めていた。ニュー・ハーベストの別の知人から、バイオサイエンス分野を中心にベンチャー企業を支援するアクセラレーターのインディバイオを紹介された。
連絡を取ってから1時間足らずで、インディバイオのディレクター、ライアン・ベセンコートと電話がつながった。
※ 続きは明日掲載予定です。
原文はこちら(英語)。
(執筆:Jeff Bercovici/San Francisco bureau chief, Inc.、翻訳:矢羽野薫、写真:yipengge/iStock)
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This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with IBM.