リーダー不在の野球界。ボトムアップでどこまで変えられるか

2017/11/12
2017年6月、青森県で29年ぶりにプロ野球が開催された。舞台となったのは、弘前はるか夢球場。
フランチャイズ球団のない地方にとって、プロ野球開催はまさに夢である。
2015年、それをかなえるために弘前市役所から職員として呼ばれたのが、元日本ハムの投手・今関勝氏だった。1996年のオールスター出場、あるいは187センチ、95キロのずんぐりむっくりの体型が記憶に残っている人もいるだろうか。
「元プロ選手でアドバイザーをでき、同時にスポーツを通した人間教育をできる者がいないかと、声をかけてもらいました。新しいことに取り組むのが好きなので」
東北楽天ゴールデンイーグルスでジュニアのコーチをしていた今関氏は、球場改築の交渉に加え、プロ野球開催に向けて地元市民の機運醸成を求められた。後者の活動の中で少年野球の競技人口減少を知り、調べてみると、2006年から2016年にかけて選手数が1113人から343人まで減っていた。
「今関さんに教えてもらって、衝撃的でした。原因どうこうより、単純に野球を始める人を増やすために、うちらができることは何かなと」
2013年夏に弘前聖愛高校を初の甲子園に導いた原田一範監督は、冬の土日の午前中、ビニールハウスの室内練習場を市内の少年野球チームに貸し出すことにした。
交換条件として、高校生が野球教室をさせてもらうこと、そして野球体験コーナーを作るので未経験の弟や妹、友だちを連れてきてもらうことを挙げ、市内の小学校にメールを流した。1週間も経たないうちに、2017年1月から3月まですべての土日が予約でいっぱいになった。
「青森にはプロの球団がないので、小学生にすれば高校生のお兄ちゃんがそうした憧れの存在なんです。未経験の子も、一緒に野球をして喜んでいましたね。それに良かったのは、高校生が成長することです」
野球教室も体験コーナーもすべて部員主導で、どうすれば小学生が楽しめるかと議論を重ね、安全面にも配慮して実行した。
この活動を始める前の秋、チームは9年ぶりに県大会出場を逃すくらい力がなかったという。野球教室のため冬の練習時間は半分になったが、以降、自分たちで考えて行動することで急速に力を伸ばしていった。
春の大会では県内きっての強豪・八戸学院光星を倒して準優勝し、東北大会では甲子園の常連である盛岡大学附属を撃破。夏は八戸学院光星に返り討ちにあったものの、準決勝まで進んだ。野球教室に参加した小学生たちは球場に足を運び、地元のヒーローたちに大きな声で声援を送った。
「こういった活動が増えて、理念を持つ人が増えてくると、世の中が変わってくると思います。野球界は大学、社会人、プロと別組織でバラバラだけど、逆に今、一つになるチャンスなのかなと」(原田監督)