嫌々引き受けた“素人顧問”の強み。「野球を疑う」指導法

2017/11/12
今から5年ほど前、埼玉県所沢市立安松中学野球部は、学区内の野球少年からなかなか見向きもされないチームだった。
周辺にはボーイズやシニアの硬式チームがいくつもあり、そこに進んだ方がうまくなれるはずだ。顧問の指導力不足が主たる理由で敬遠される中学野球部は、全国に少なくない。
だが近年、安松中の名は中学野球界で少しずつ知られつつある。一人の男が赴任してきてからのことだ。
「僕は野球をやって来なかっただけに、いい意味でも悪い意味でも野球を疑ってきました。それで何となく技術的に向上していたり、今年のチームは秋に市内の新人戦で優勝させてもらったりという結果が出ている気がするんですよね」
今特集の3回目で紹介した郡司匡弘は、いわゆる“野球素人”だ。青森高校時代はサッカーに熱中し、冬の全国選手権出場まであと2勝に迫った。
大学卒業後、小学校教諭として働きながら日本サッカー協会のC級ライセンスを取得し、長澤和輝(浦和レッズ)、米倉恒貴(ガンバ大阪)ら多数のJリーガーを輩出する千葉県立八千代高校サッカー部を手伝いながら指導者の勉強をした。結婚とともに埼玉に引っ越し、「サッカー指導者として全国に行こう」と中学の体育教師として採用された。
そうして赴任した飯能西中学で、寝耳に水の配属を告げられる。「野球部の顧問がいないから、よろしく」と頼まれたのだ。
「最初は嫌々でした。むしろ、野球が嫌いでしたから。バスケットやサッカーのように、流れの中で攻守交代が切り替わるスポーツが好きでしたね」
もともと負けず嫌いの性格で、本や動画を見ながら独学した。3年生が夏で引退した後の代には能力の高い部員がそろい、県大会出場を果たしている。だが、1回戦で敗れた。
「自分が野球を知らないで、負けさせた感じがすごくあって。“子どもらは何も関係ないじゃん。大人の都合で俺が顧問をやって、負けて、子どもたちが泣いていて”って。申し訳なさとか、悔しさが一気に来ちゃって」
“野球経験のない自分にできることは何だろう”と考え、中学体育連盟のホームページを見て、県大会に出ている中学に片っ端から電話した。練習試合を申し込み、どんな練習をしているのかと教えを請い、自分なりの分析を加え、練習法や野球の考え方をアレンジした。
そうして繰り返しているうちに、飯能西中は2010年に関東大会でベスト8、2013年に全国ベスト16に輝き、強豪私学に選手を送り込むほどになった。