【進次郎ーDay9】バッシングには折れない心を。「問題閣僚」を徹底擁護

2017/10/20

選挙戦最大の「山」

朝のニュースは「東京は60年ぶりの寒さ」と伝えていたが、7時のちょっと前に東京駅の新幹線ホームに現れた小泉進次郎はコートを着ていなかった。
寒くありませんか?
「中にヒートテック着ているから大丈夫」
そう言って、上越新幹線Maxとき303号に乗り込んだ。
前夜は21時まで「候補者」に戻っていた。たった2時間だけ自分の選挙区に入ることを許されたのだ。三浦半島の先端にあるホールで地元支援者向けの個人演説会を開き、最後の一人が帰るまで深々と頭を下げ続けていた。
「政治家の会合なのに子どもたちがたくさん来てくれて、『楽しかった』という感想がもらえて嬉しかった」
それから、10時間後に会った進次郎の目元には、クマができていた。全国行脚も終盤に差し掛かると、時間と場所の感覚が狂ってきて、気力だけが頼りになってくる。
しかし、この日は、9日目にして最も激しい移動が計画されていた。
新潟駅から車で1時間ほどかけて阿賀野市(10時半ごろ、新潟3区)に寄り、次は磐越自動車道を走って福島県の会津若松市(12時半ごろ、福島4区)、そこから車で北上して山形県の米沢駅から新幹線に乗り、終点の新庄駅からまた車に乗って、最上川を下るように酒田市(16時半ごろ、山形3区)に入る。
酒田から秋田までは特急いなほ号。秋田からは、またまた車に乗り換え、北秋田市(20時、秋田2区)の演説会場に滑り込む──。
演説会そのものは1日で4カ所に過ぎないが、いくつもの「山」を越えないとこなせない。60~90分ごと、じつに12時間以上も乗り物に座って、降りて、喋って、握手して、また座って……を繰り返す。
〝魔法のじゅうたん〟に乗せられている進次郎にとっては、山形新幹線の中で大好物の駅弁「牛肉どまん中」を食べる瞬間がこの日唯一の息抜きとなった。
どんなにインターネットを駆使しても、この「最短移動経路」は割り出すことはできない。今日は自民党前職が比較的弱い重点区ばかりを回るだけに、確実に客を集め、得票につながる「効果」を追求しているのだろう。
1カ所目は高齢者が多い集落で10時半、2カ所目は商店街で12時半、3カ所目は夕方のショッピングセンター前──などと、それぞれの演説会が「最も人が集まりやすい時間」に設定されている。
筆者が進次郎より先に現地に着いて、演説会場に近いローカルの喫茶店に立ち寄ってみると、次々と入ってくる客たちは全員、「小泉進次郎」が来ることを話題にしていた。
こういう長距離移動の際にもまた自民党特有のルールがある。それは、県境を越える移動には、行き先の地方組織が車を用意するということだ。
過去の全国行脚の中でも、たとえば、岐阜県から長野県に山越えする際、県境に近いパーキングエリアで岐阜ナンバーの車から長野ナンバーの車に乗り換えたことがあった。
「縄張り」が明確なのも、全国組織ならではの知恵だろう。今日のスタート地点である新潟・阿賀野の会場には、次の目的地である福島のナンバーが付いたジャンボタクシーが待ち構えていた。
目の前には白鳥の飛来で有名な人工湖が広がっていた。予定時間より早く現地に着いてしまった進次郎は、お得意の寄り道をしてネタを仕込んできた。
「ここに来る前にちょっと時間があったから、瓢湖(ヒョウコ)に立ち寄って。票(ヒョウ)を取りに来たからね。そうしたらですよ、中から『小泉さん、ちょっとお茶飲んでいかない?』と係員の方が言ってくれて、白鳥おじさんに会わせてくれたんですよ。そして、なぜだかしらないけど、私が、白鳥おじさんが白鳥にあげる食パンを切ることになって……」
小泉進次郎は動物マニアの一面がある。訪問先で動物を見つけるなり、人目も憚らずに戯れようとする。じつは親子共通の趣味も、動物のドキュメンタリー鑑賞なのだ。
横須賀の実家で父と談笑するような感覚で、聴衆との掛け合いでもご当地の動物ネタを使うことがよくある。

10月19日の「小泉進次郎の言葉」

「今日は最初が阿賀野で本当に良かった。みなさん、いーところ、住んでいますね。
さっき白鳥が飛ぶところ、多くの白鳥が田んぼで虫を食べているところ(を見た)。虫じゃない?米を食べている? だから、あんなに白いのかなあ。まあ、ジョークだけど。
あの姿を見ていて、私は感動したんですよ。たぶん、みなさんは毎年当たり前に白鳥を見ているから、もしかしたらなんとも思わない方もいるでしょうけど、あの景色はほかでは見られませんよ。
当たり前に白鳥がいる町、当たり前に毎年白鳥が来るところ。日本酒もおいしくて、『白龍』ですよね。
いいところがいっぱいあって、私、新潟に着いてから、阿賀野に向かう途中でコンビニに寄ったんですよ。
私が買った物、『安田ヨーグルト』。みなさん、コンビニで地元の酪農家さんがつくったヨーグルトが販売されている町って、ほかにはあまりないんですよ。私の地元にないものばっかり持っているんです。
まず、白鳥は来ない。そして、地元に酒蔵はない。コンビニに地元のヨーグルトは売っていない。
こういったものを一つひとつ取ってみても、私が言いたいことは東京、東京と言って、若い人は全国の地方から東京に出てきて、東京の大学に通い、就職活動を東京でやって、東京で就職して、そのまま地元には帰ってこない。
それで、地方から東京に若者が流れて行って、地元には若者がいなくなり、農業の担い手もいなくなり、そして、東京が一極集中と言われて、あたかも東京が『一番魅力的な町だ』というような勘違いが日本の中で生まれているんじゃないかと思う。
私は全国遊説を含めて、政治活動の中で、おそらく他の議員さんと比べても全国を何回も回っていると思います。そういった中で本当の豊かさって何だろうと思うんですよ。
今日、今から行く山形県。先日も山形県に行ってこんな景色を見たんですよ。
空港から会場に向かう途中、道路の右側、左側、ありとあらゆる果物の木。洋ナシ、梨、さくらんぼ、マスカット、シャインマスカット、ほかのぶどうも。いろんなフルーツが実る木が右左、どこでも当たり前に生えている。
その地力、土地の力。しばらく行ったら大きな水源、そして収穫作業をしている農家さんがいて、もうちょっと行ったら川があって、川っぺりではいろんな人が輪を作って何かをやっていました。
私は『バーベキューをやっているのかな』と思ったら、芋煮。それを見ながら会場に行きながら、なんかジーンときたんです。うちの地元はこんなにフルーツはないな、こんなにお米もないな。地元はキャベツ、大根はいくらでもありますけど(笑)、お米はほとんどありませんから。
そして、里芋の季節が来たら、会社の同僚とかと芋煮で集まったり、大学生の仲間で集まったり、近所のみなさんで芋煮をやったり、そんな文化は、うちの地元にはないな。
そう思ってから、これからの日本人が考え直すべくは、『真の豊かさって何だろう』と、そう思い至るようになった。
(中略)
その地域、地域で、もともとあるものを生かして、そこに生きることに誇りを持って、東京を羨ましく思うんじゃなくて、むしろ東京は新潟の食がないと毎日の生活が成り立たない。
全国から東京に若者を呼び込まなくては、東京は成り立たない。むしろ地方が支えているんです。
そういったことをもう一度思い返すような、地方の魅力、地方のネットワークを生かせる政党がどこにあるかと言えば、自民党しかないんです」(10月19日午前10時半ごろ、新潟県阿賀野市)

公明党・山口代表が「前座」?

この日、雪国の計4カ所で話した共通のテーマは、「真の豊かさとは何か」だった。
いずれの会場も農山村部にあり、高齢化と人口減少が著しい地域である。
そこで、その土地の「当たり前」がじつはスゴイと訴えることで、地域に根差して暮らす聴衆たちのプライドをくすぐり、「その気概に寄り添えるのは自民党である」という雰囲気をつくりだそうとしていた。
この日、進次郎が応援した4人の前職はいずれも苦戦を強いられている。昨日の沖縄と同じく、どの会場でも公明党の幟が数多く立つなど、友党の存在が色濃かった。
困った時は公明党の動員力にすがりつくのが、最近の自民党の選挙というものだ。
候補者たちはみな、「比例は公明党!」と絶叫していた。
酒田であった山形3区の街頭演説では、象徴的な出来事があった。
進次郎が到着する5分前まで別の大物弁士が同じ場所でマイクを握っていた。ナント、公明党代表の山口那津男である。
「酒田のみなさん、こんにちはー。なっちゃんです」
進次郎目当てで1000人近くが集まったと思いきや、聴衆の中からは「なっちゃーん」と歓声を上げ、熱心に拍手する女性たちが最前列を埋めているではないか。
山口の応援演説が終わると公明党の街宣車が立ち去り、クレーンを使ったゴンドラが新たな舞台として用意された。
そこに、なにもなかったかのように進次郎が登場した。先ほどまで山口に喝采を浴びせていた女性たちは、こんどは進次郎に向かって大きく手を振っていたのである。
政権与党の代表が、当選3回生の「前座」を務める──。そう思われても仕方がないような仕掛けは、部外者の筆者からすれば少し異様なパフォーマンスに見えた。
だが、進次郎はこの日も公明党への「感謝」をマイクで伝えるのを忘れなかった。
地方の聴衆を称え、公明党を労った進次郎は、いつもより多めに候補者を持ち上げるフレーズも盛り込んでいた。中でも、法相時代の珍答弁が話題となった秋田2区の金田勝年に対する援護射撃はすさまじかった。
少し長いが最後に紹介する。
「金田先生は私の上司なんです。私が自民党の筆頭副幹事長、直属の上司が、金田先生がやっている幹事長代理です。
とにかく実現力がすごい。解散が決まってから、金田先生とどこかで会うたびに『小泉さん、応援よろしくね』。会うたびに、すれ違うたびに、ですよ。しかも、それが非常に謙虚なんです。
『東北に入る時があったら、秋田についでに寄ってくれればいい』と言われるうちに、私の中では外せないところになった。それで今日実現した。その実現力(がある)。
そしてみなさん、金田先生は大臣の時に大変でしたね。マスコミから散々叩かれて。報道のカメラを見るのも嫌になったと思いますよ。あそこで見せた金田先生のすごさは、それでも、心が折れないタフさ。これは政治家にとって大切ですよ。
金田先生は衆議院議員の初当選としては、私と同期なんです。今から8年前、自民党が野党となった時に衆議院に初当選している。
あの時、私もマスコミから集中砲火を浴びました。あの時、私が経験してよくわかったのは、マスコミが『この人のことをこう報じよう』というシナリオを一度つくったら、そこから絶対外れない。
何を言ったって無駄。あれは強く学んだことですね。そういう批判の時は、耐えて、耐えて、耐えるしかない。これはきついですよ。
面白いのはマスコミの論調はすぐに変わる。驚きましたよ。私が当選してからしばらくして、ある週刊誌が大きな特集を組んだのです。
そのタイトル、『世襲こそが革新を生む』。私は驚きましたね。あれだけ世襲がこの国を悪くしたと言っておきながら。
あれから思うようになったんです。人が、マスコミが、批判をしている時は評価される始まりである。
逆に、持ち上げられる時は叩き落とされる始まりである。そう思うようになると一喜一憂しなくなるんです」
500人ほどが詰めかけた山奥の宴会場には、女性たちの声で「へ~」とどよめきが上がった。
「金田先生、嬉しそうでしょ」
進次郎が振ると、金田の目はさらに細くなっていた。
✳︎敬称略
(取材・構成・写真:常井健一、動画、石原弘之、編集:泉秀一)