【進次郎ーDay8】共産党・志位氏とニアミス。灼熱の激戦区で叫んだ言葉

2017/10/19

思い知らされた「父の知名度」

小泉進次郎は「無類の新聞好き」という話を以前に書いたが、選挙中は遊説先の地方紙までチェックしている。
この日の目的地は沖縄。人口110万人ほどの本島には県紙が2紙もあり、激しくシェアを争っていることで知られる。朝刊の1面には、同じニュースの大見出しが躍っていた。
〈米軍、きょう飛行再開〉(沖縄タイムス)
〈同型機きょう飛行再開〉(琉球新報)
11日に県北部の民間地に不時着し、炎上した在沖米海兵隊のヘリと同型機の飛行が、この日から再開された。
防衛相は「安全性が十分に説明がない状況において、海兵隊が一方的に発表したことは極めて遺憾」とコメントし、県知事の翁長雄志は「日本政府に当事者能力がない」と怒りを示している。
一方、衆院選のニュースは端のほうに追いやられていた。共同通信の終盤情勢調査で自民党候補が沖縄で軒並み苦戦する中、沖縄1区と4区で接戦に持ち込んでいることが書かれていた。いずれもこれから進次郎が応援演説に入る選挙区だ。
自民党では選挙戦の折り返し地点を越えた頃に終盤戦の重点区が絞られる。今回は49の選挙区で自民党候補が当落線上にある。
そこに人気弁士を集中投下する戦略が、今日から実施されるというわけだ。中でも、これから4日間で小泉進次郎が入るいくつかの選挙区が、「安倍政権として、なにがなんでも負けられない選挙区」を意味することになる。
言うまでもなく沖縄には米軍基地の問題が横たわる。3年前、地元自民党のボスだった那覇市長(当時)の翁長が党を割る形で保革共闘の「オール沖縄」路線を敷き、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画に反発。移設を受け入れた現職の仲井眞弘多を知事選で破った。
さらに、その直後にあった衆院選では「オール沖縄」の共闘で県内4選挙区を独占。自民党候補は小選挙区で全敗した。きょうび、翁長は中央の野党議員以上に、「最も安倍晋三に恐れられている政治家」と言っても過言ではない。
翁長ら「オール沖縄」の一部は、先述の事故現場に近い米軍ヘリパッドの新規建設にも反対していた。一方、安倍政権は沖縄基地負担軽減担当相を兼務する菅義偉が動き、昨年末にその建設を断行したという経緯がある。
沖縄の選挙には「3日攻防」という言葉がある。投票日直前の木・金・土は、それぞれの陣営が総力を注ぐ。保守と革新が拮抗する沖縄においては、最後の3日で情勢がひっくり返りやすい。
公示後に沖縄の世論を左右するデリケートな問題が生じる中、自民党が不用意に大物議員を送り込めば火に油を注ぐようなものだ。重点区の中でも最も難しいところに進次郎が送り込まれた。
7時45分に羽田を出発した全日空機は、10時10分過ぎに那覇空港に到着した。予定よりも10分以上も早かった。進次郎は従来ならば、時間調整を兼ねて回り道する。高台を探し、そこから数十秒だけ眺めた景色を演説のつかみに使うことがよくある。
だが、この日は南風原町の演説会場(沖縄4区)に直行した。空港から車で20分ほどの交差点の脇に、鉄パイプでつくられたステージが設置されていた。進次郎はすぐにそこに上がらず、いつもより少し長い時間、聴衆との握手を丁寧にこなした。
「小泉純一郎さんが駆けつけて下さいました!」
進次郎がステージに上がった瞬間、マイクを握っていた弁士がそう言った。自民党関係者でさえもよく、彼のことを「純一郎」と呼んだり、「筆頭幹事長」と間違えたり、「俳優の兄」と勘違いする。
進次郎はすかさず、弁士が握ったままのマイクに顔を近づけ、「どうも、純一郎です」と応じた。相手のミスを一瞬にして笑いに変えたのだ。マイクを渡されるとこう切り出した。
「さきほどご紹介をいただきました、小泉純一郎です。いや、進次郎です。みなさん、名前を覚えてもらうって大変ですよね。私のことをあえて純一郎と呼んでもらうことによって、候補者の名前も覚えてもらうことが重要だということをああやって確かめてくれたんだと思います」
そして、本題に入った。

10月18日の「小泉進次郎の言葉」

「物事に反対することは、簡単です。言うことは簡単です。だけど、それを形にすることはそう簡単なことじゃない。だけど諦めないで、一つひとつを形にしていくことをいくら時間がかかったって、私たちはぶれずに真っすぐその道を進んでいきたい。
今から8年前に何があったかを思い返してみてください。自民党と言えば、人は逃げて行って、小泉進次郎のような世襲の国会議員は日本の政治を悪くした元凶だと言われ、とにかく批判がすごかった。
そして、8年前にもしもこの沖縄で、この南風原で、これだけ多くの人が街頭演説に集まっているとしたら、それは間違いなく民主党の街頭演説でした。そこで配られたのは鳩山(由紀夫)さんの顔が大きく入った「マニフェスト」というものが配られ、沖縄のみなさんに言われたことは「最低でも県外、目指すは国外」。
その結果、一体何が起きたのか。県外もなく、国外もなく、日米関係が悪化をして、今の自民党・公明党で進めている基地負担の軽減が実行されたのか。実現されたのか。結果は逆でしたよ。
言葉は良かったかもしれませんよ。だけど、政治は、最後は結果です。地味かもしれません。
だけど、私たちは一つひとつを形として、沖縄県民のみなさんに届けることができることを、あなたの手の中に届けられることはなにかということを真摯に考えてきた結果です。
今回も、沖縄では米軍のヘリが墜落して、そして飛行再開という、私たちからしても抗議しなくちゃいけない、説明をなされなくちゃいけないことが起こりました。
これが意味していることは、間違いなく自民党政権にもう一度戻って、自公で頑張ってきて、日米関係は今までと比べても間違いなく良くなっています。
だけど、今の情報提供のあり方とか、連携のあり方とか見ていれば、私たちにやらなきゃいけないことは、まだまだある。
それを確実に形にしていくために、この沖縄から与党・自民党に沖縄のみなさんの声を届ける人材をどうか今回の選挙で勝たせてください。」(10月18日午前11時ごろ、沖縄県南風原町)

かつての鬼門、「沖縄」

この話をしている間、さっきまで笑っていた聴衆の多くは神妙な顔をしていた。
そこに救急車が近づいてきた。壇上の進次郎はそれが通り過ぎるまで口からマイクを離した。
そして。
「おそらくあのピーポーの音を聴いて、ウルトラマンを思い出したのは私だけではないでしょう。この南風原はウルトラマンの生みの親、(脚本家の)金城哲夫さんの地元です。あの音が、ウルトラマンが3分で戦いを終えて、星に帰るので、小泉進次郎もそろそろ話が終わりだぞというサインだと受け止めて、暑い中、聴いてくれたみなさんにこれで締めたいと思います」
演説会は笑顔で終わった。
じつは沖縄はかつて小泉進次郎の「鬼門」とされた場所だった。
2012年の衆院選まで全国行脚のコースに入ることはなかった。2013年夏の参院選では沖縄の離島を遊説で巡ったものの、本島での演説は実現しなかった。
それには、理由がある。
沖縄選出の自民党国会議員は2013年11月まで党本部の意向に従わず、2013年11月まで辺野古移設に慎重な態度を取り続けていた。そもそも、その辺野古移設は小泉純一郎政権の時に大きく前進されたという経緯がある。
進次郎は、純一郎の考えを継承する後継者だ。沖縄自民党では「コイズミ」に対する世論を気にする一方、進次郎も発言が制約されかねない環境での演説を嫌がった。
進次郎が沖縄本島で初めて演説したのは、2014年のことだった。沖縄の自民党は辺野古移設容認に舵を切ったばかり。その移設先を抱える名護市の市長選の際、自民系候補の応援に入り、決起集会の場でこう訴えた。
「私の父が総理の時に日米合意があった。普天間飛行場の代替施設建設を2014年までに完了する。そう書いてありました。今、14年ですが、残念ながら目標達成はできませんでした。17年間、みんなで必死に悩んだけどここまで来た。今年は積年の課題をみなさんと前に進めたい」
結果は、自民系候補が落選。しかし、それから沖縄には国策に影響のある与野党対決型の首長選が行われると必ず進次郎が応援に入るようになった。
だが、今回の衆院選は沖縄の自民党にとって前回以上に厳しいことが進次郎の行動からわかる。
前回は本島を縦断するように沖縄1〜3区を回った。しかし、今回は2、3区を回らなかった。「進次郎がうちの選挙区に来ない」とわかった陣営は、すでに負けを覚悟している。
「党本部は『勝てない』と判断したのでしょう」(沖縄自民党関係者)
また、県都・那覇(沖縄1区)で進次郎が応援演説する際はいつも「県庁前」と決まっていたが、今回はそこから300メートル離れた交差点で自民候補の演説会がセットされた。
那覇で一番交通量の多い十字路だが、大人数が集まりやすいスペースではない。対抗馬の陣営関係者は、自民党の判断を知ってほくそ笑んだ。
じつは同じお昼の時間帯に県庁前では、オール沖縄の共産党候補が集会を開いていた。前回、沖縄1区は共産党が制している。そこに東京から共産党委員長の志位和夫と県知事の翁長がそろい踏みする場面をぶつけてきたのだ。
進次郎がマイクを握った会場は、自民党の演説会なのに公明党の幟のほうが目立って見えた。沖縄の公明党は選挙ごとに独自の動きをし、キャスティングボートを握ることが多い。自民党は公明党との共闘なくしては、もはやオール沖縄に対抗できないほど疲弊している。
約20分間にも及ぶ演説だった。進次郎は最後になって思い出したようにこう訴えた。
「最後に、今日は幟を立てて駆けつけていただいた公明党のみなさんも本当にありがとうございます。私たちが信頼を失った野党の時も、与党になびかず、支えていただいた公明党というパートナーがあったから、自民党の今があることを決して忘れないようにこれからも頑張ります」
開始から一度しか上がらなかった拍手が、そう言った瞬間に「そうだ!」という声とともに鳴り響いた。
進次郎は12時55分発の全日空機に乗り込んだ。たった3時間足らずの沖縄遊説を終え、夕方に地元・神奈川県三浦市に入った。
✳︎敬称略
(取材・構成・写真:常井健一、編集:泉秀一)