ノーベル賞になくて、京都賞にあるもの


11月、国立京都国際会館で稲盛財団が主催する「京都賞」の授賞式があり、先端技術、基礎科学、思想・芸術の3部門の受賞者に、それぞれ5000万円の賞金が贈られた。稲盛経営が注目を浴びたことで、稲盛財団の活動にも多くの耳目が集まっている。来年創設30年の節目を迎える京都賞に秘められた稲盛氏の思いを聞いた。

「京都賞」は2014年で創設30年です。きっかけは何だったのですか。

稲盛:1981年のある日、東京理科大学の教授だった伴五紀(ばん・いつき)先生から連絡をいただきました。「昨年(80年)、『伴記念賞』というものを作りまして、今年はぜひ稲盛さんにその賞を差し上げたいのです」と。私が50歳くらいの頃です。喜んで東京理科大に出かけました。ところが、先生の教室で景品のカットグラスの花瓶を手に持った瞬間に、「恥ずかしい」という感情がふわっとこみ上げてきたんです。


京都賞は稲盛氏の「恥ずかしい」という思いから始まった(写真:菅野勝男)

なぜ、恥ずかしかったのでしょうか。

稲盛:伴先生は大学でいろいろな技術開発をされ、特許もいっぱい取った方です。その特許を民間企業に使ってもらい、そこから得られるロイヤルティー収入などを元手に伴記念賞を作られた。自分と同じように技術開発、研究開発をする人を顕彰するためです。失礼ながら、薄給の大学教授がわずかな収入をもって、こういう賞を創設された。花瓶も大きなものでしたから、何万円もしたのだろうと思うのですよ。本当に素晴らしいと思うと同時に、本当に申し訳ないと思った。「京セラも立派な会社になって、資産もある。自分こそが、賞をあげる側に立たなければいけない」と恥ずかしくなったのです。

人知れず苦労している学者に光を当てたい

 ちょうどその81年に京都大学教授の故福井謙一先生がノーベル賞を取られました。私は福井先生とも親しかったものですから、京大の人たちに「こんな賞を新しく作りたいのです」という話をしました。伊藤忠商事で(会長を務めた)瀬島龍三さんたちと一緒にノーベル財団を訪問したこともありまして、できればノーベル賞に次ぐ国際的に立派な賞にしていきたいと思って調査研究を始めました。世の中には何万という研究者が辛酸をなめながら日夜研究に励んでいます。人知れず苦労して研究をしていらっしゃる世界的な学者の方々に光を当てたいという思いで、京都賞を始めたんです。

京都賞では、技術部門(先端技術部門、基礎科学部門)に加え、思想・芸術部門も設けているのが特徴ですね。

稲盛:私は心の問題を研究することも非常に大事だと思い、ノーベル賞にはありませんが、京都賞では思想・芸術部門を作りました。芸術といっても、芸術的、技術的に優れているというより、人間の感性に安らぎと喜びを与えるような芸術を顕彰したいと思っています。審査員をしてもらっている学者の先生方は、どうしても芸術性が高いものを選ばれる傾向がありますので、私から注文を付けることもあります。


2013年の京都賞受賞者。左から、電子工学者のロバート・ヒース・デナード氏、進化生物学者の根井正利氏、ジャズ・ミュージシャンのセシル・テイラー氏

京都賞のウェブサイトで、稲盛さんは「人類の未来は、科学の発展と人類の精神的深化のバランスが取れて、初めて安定したものになる」と強調しています。

稲盛:科学技術の発展をリードしてきたのは、人類が持つ好奇心と探求心です。しかし原子爆弾の開発が象徴するように、その進歩が人類にとって善であるのか、悪であるのかという点が常に問われます。好奇心と探求心のベースには、善なる心がなければならないのです。科学技術の一方的な発展は、場合によっては人類の滅亡につながっていく。ですから、精神的な深化を表彰する部門を京都賞で設けたのです。

現代の文明社会は人類の思いの集積

稲盛さんは経営でもそうですが、精神的なものにとても重きを置いていますね。

稲盛:科学技術の進歩は、研究者がこういうものをやりたいと、まず思うことから始まります。どんなに偉大な発明、発見も、どんなに偉大な企業経営も、全てはそれを担当した人の思いが結実したものです。現代の文明社会は、人類の思いの集積だといえます。ある哲学者の方が、「現在あなたの周囲に起こっている現象や環境は、過去から今日まであなたが思い続けてきた思いの結果だ」というようなことを言っています。思いは事ほどさように重要なのに、多くの人がそのことを認識していない。

 そして、思いには気高さが要るんですね。思想家の中村天風さんは「新しい計画の成就はただ不屈不撓の一心にあり。 さらばひたむきにただ想え、気高く、強く、一筋に」と言っています。邪心にまみれた思いではなく、純粋に自分を奮い立たせていく思い。それを持っていれば、個々人の人生も、会社経営も、社会も全ては変わっていく。しかし、そういう思いの気高さについては、誰も言わないですね。だからこそ私は、それが非常に大事なことなのだと重ねて言わなければならんのです。

よこしまな欲得では、信念にまで高まらない

稲盛さんは50代のときに京セラを経営しながら、京都賞と、盛和塾(1983年発足)、第二電電(84年設立)を始めました。それもまた、思いですか。

稲盛:世のため人のため、という大義がありました。よこしまな自分の欲得だけで始めたのなら、逡巡するといいますか、信念にまで高まっていかない。確かに自分の欲望をエンジンにしても、ある程度の強い願望はもたらしますが、大義は全然違う。世のため人のためという大義があれば、自らの命を落としてでも構わんというぐらいの信念になっていきますから、やはり強いんだと思いますね。