【小橋賢児】人気俳優から「転身」。10万人の音楽フェスを手がける男

2017/9/15

全て自分で決めてきた

落ちるところまで落ちたら上がるしかないーー。
映画「スワロウテイル」「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか? 」やドラマ「人間・失格」などで一世を風靡した俳優の小橋賢児は、27歳の時、忽然と芸能から姿を消した。
そして、長い沈黙の時期を経て、今は10万人以上を集める日本最大のダンス音楽イベント「ULTRA Japan」などのイベントを手がけるディレクターとして、再び表舞台で日本に熱狂の風を吹き込んでいる。
なぜ彼は俳優を辞め、今また新たな舞台で活躍を遂げているのか。16日に始まる「Ultra Japan」を前に、本人に直撃した(全3回)。
──小橋さんは、俳優から転じて、今、日本最大のダンスミュージックイベントである「ULTRA Japan」 を仕掛けていらっしゃいますが、なぜ、順風満帆だった俳優をまず辞められたのですか。
僕は、8歳の頃から俳優をやっていて、27歳になったときに一応休業という形になったんです。
でも、振り返ると、もともと結構両親が共働きだったこともあって、子どものときから親に何かをやってもらうっていうよりは、自分が「手に入れたい」「やりたい」と思うことを自分でやってきたんですね。
それこそ、最初にテレビに出たきっかけも、「パオパオチャンネル」という高田純次さんが司会していたバラエティ番組で、「レギュラー募集中」というテロップが流れて、レギュラーっていう意味がわからず、観覧希望と間違えてはがきを勝手に送ったところから始まっています。
普通は小学校2年生では、あんまりはがきとか送らないと思うんですが、逆に親がいつもいないから、思ったら自分でやるしかない。習慣的に「思ったらやる」という癖がついてたんで。
その後、オーディションの通知が来て、親もびっくりして「なにこれ、いつの間に送ったの」みたいな(笑)。

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