集中力を育む「モンテッソーリ教育」の本質
コメント
注目のコメント
モンテッソーリ教育は流行り廃れが何度か繰り返されますね。日本でもモンテッソーリを掲げる幼稚園は少なくないです。ただ、実際の教育内容がどこまでその教育思想の良い面を反映できてるかは謎ですが。
アメリカでも、1910年代にモンテッソーリ教育が一度流行ったあと、1960年代のスプートニック・ショックを契機に、科学教育と相性の良いモンテッソーリ教育が流行した時期があり、それをモンテッソーリ・リバイバルと呼びます。
「お仕事」と呼ばれる作業の重視、「教具(玩具とは呼ばない)」の存在などはもともとモンテッソーリ教育が障害児教育だった名残も感じさせますが、「自分で気づくことの保障」という観点は多くの幼児教育の現場にも参考になるものだと思います。娘が3歳から6歳までモンテッソーリのプリスクールに通いました。通いだしたばかりのころ、お迎えのときに先生に「娘はいい子でしたでしょうか。」と聞いたら、「いい子でしたよ」と答えてから「NOと言えるようになりました」と。
やりたいこと、やりたくないこと。嫌な理由。ちゃんと言えるのは、先生や学校に安心しているから。自分の考えを言葉で伝えられるのは、いい子です、と言われました。
ついつい私は親の言うことを聞くこと、扱いやすいことを「いい子」扱いしてしまっていたので、この指摘にはハッとさせられました。今年卒業しましたが、相変わらず、手こずるぐらいの、いい子です。息子がモンテッソーリ教育の保育園に通っています。
教育に正解はないのですが、何がしかの哲学やモットーがある所が向いている感じがして三歳の時に転園しました。
(面接時は自由に遊ぶ息子の姿を見て「おもちゃとかどういう収納をしていますか?」と痛い所をつかれ、ハッ!としました。)
ちなみに、息子が通うところは小規模で、異年齢ミックスでの保育。「小さい所じゃ寂しいわねー」と他の人から言われることも。
もちろん、同級生がわんさかの中で切磋琢磨ていいなーと感じることもあります。
しかし、小さい頃はお兄さんお姉さんの刺激を大いに受け、今はリーダーとして年下の子たちの面倒を見ている姿は頼もしい。
認可、小規模、モンテッソーリ、自然保育、体育系保育、色々ありますが、現状はどこかに「入り込む」だけでいっぱいいっぱいの社会。
本当は「一番の敏感期」だからこそ、その子と家庭に合うものを探してみれる環境を作りたいものです。
![アプリをダウンロード](/resources/images/banner-app-download.png)