いまどきの大学生「大学に面倒を見てほしい」
コメント
選択しているユーザー
注目のコメント
大学に面倒を見て欲しいとは思わなかったし、いまも大学院生として、そう思う。
一方で、高校と大学が学びにおいても、環境においても、接続が悪すぎることに強い違和感があった。
高校で学んだ内容が大学での勉強に繋がっていると実感できなかった。高校時代は、やりたいことなんてなくても、座っていれば科目は自動的に決まった。
卒業してたったの一ヶ月で、何が学びたいかを自分で考え、授業を選べといきなり言われても無理。
大学院生になってはじめて、自分が学びたいことを、学べている実感がある。
大学に入って、楽単を探し、欠席が当たり前の文化に、一ヶ月で馴染み切る、すごいもんだなぁと思ってしまった…。この手のニュースのたびに最近の若者は主体性がないみたいな議論が出てくるけど、別意見です。先輩方の学生時代の話を聞けば、授業なんか出ずに麻雀に明け暮れてたよ、ガハハ。みたいな武勇伝か、研究室の恩師に就職まで面倒見てもらったというエピソードが多いです。
つまり昔も自らテーマを見つけ、周囲を巻き込み協力を得ながら研究に没頭していた学生なんて一握りだったはず。
学生が大学を頼るようになったのは麻雀やバイトに明け暮れているだけでは社会で通用しなくなったから。就職の方法が多様化し、ゼミの先生の紹介のようなコネが稀薄になったから。
学位をとって卒業しても、望まない非正規雇用に多くの卒業生がついている現実に、よりいっそう大学が切実に取り組まないといけないと思います。すでに面倒見を重視するのは主流になっている感はありますが、もっと。
あれだけいいこと言って入学生を募集しているのだから。大学に入るまでは、ひたすら受け身で受験科目を勉強することを求められていて、大学生になった瞬間に「さあ、君たちは自由だ!好きなことをやりたまえ!!」とか言われても、今までの受け身人生が染み付いていて、簡単に自由を謳歌できるのだろうか。
例えやりたい事が見つかったとして、今までは教材を与えられて、手取り足取り教えてもらえていたのに、自分で調べて、考えて、実現するなんてプロセスを経験してないので、上手くいくだろうか。
また、何かを学んでいて、わからない事があった時は、これまでは授業の後に聞く事ができた。でも、自分がやりたいことは、誰に聞いたら良いのかも分からない。
期待する行動があるなら、期待する行動が取れるかを、実現する立場として考える必要がある。
一部のできる人を例として、できて当たり前と切り捨てるのは簡単。ただ、それでは大多数が期待する行動はしない。