トランプに「英語を話さない」と言われた昭恵夫人、米でヒーローに
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昭恵夫人が米リベラル・メディアの「ヒーロー」になった、というところに、「欧米の報道」のいい加減さが表れている。夕食会で昭恵夫人が全く英語を喋れなかった、とトランプが語ったというところに乗っかって、過去のスピーチ原稿丸読みの映像を出して来て、「本当は喋れるのにトランプを無視した」と勘違いされて反トランプのリベラルなメディア人たちに「ヒーロー」扱いされているのだが、いわゆる先進国のエリートの方々の浅薄さを表すので、日本人としては、じわじわ考えておいてもいい題材だ。
まず、外国語を「読めるけど喋れない」というのは日本ではある程度の教育を受けた人の間にかなり多いが、これを英語圏の人はまず理解できない。なぜならば、英語圏の人の大多数の人の場合、こういった記事を書いているようなエリート層の間でも、日本の大学入試程度の外国語の文章を「まともに読める」人が極めて少ない。で、「外国語が喋れる」ことを、「ありふれたフレーズの会話ができる」ことと勘違いしている場合が極めて多い。そして、相手がなんとか必死に英語を喋ってくれるので、途中から英語に切り替えてもらって話が通じている、ということになぜか気づいておらず、「自分は外国語が喋れる」と思い込んでいる人が極めて多い。
ワシントン・ポストがSNS上の「ヒーロー」説に追随して長い記事を書いていたが、昭恵夫人の卒業した学校を「聖心インターナショナルスクール」とするなど(ならば英語を喋れないということはありえない)、日本社会についての取材能力がまるでないこともさらけ出していた。英語で喋ってくれる人を相手に取材しているからこうなる。
私自身は、頑張って英語を読んだり喋ったりするようになれば世界が広がる、ということは学生時代以来痛感しており、中東をテーマに、それを実例で示すために膨大な労力を払ってSNSなどで情報を日本語空間に提供して来ている。だが同時に、英語圏のメディアや大学・シンクタンク、そしてそれらの情報に依拠する政策エリートなどが、実は中東の現地語を介さず、英語を喋るエリートのみと付き合うことで、社会について肝心のことをわかっておらず、致命的な場面で間違いを犯すのもたびたび目撃して来た。例えばアメリカはイラク統治で、当初英語を上手に喋る人ばかりに依存して全く社会に影響を与えられない人たちを登用し、騙された。ほとんど語学に照準を合わせてコメントをしているね。英語得意な人でも、そうでない人でも。
ここから一種のコンプレックスをさえ感じる、喋れる人からでも感じた。
私はトランプの書いた内容に品のなさを感じた。欧米の宴会は紳士が話題を探して、淑女と盛り上がる、これは役割的なもの。通訳がいるのに、話題を振らない上、席を立った。つまり立つ前まで結構次のプーチンとの会話で頭がいっぱいのはず。だから会話がないんだ。女性のせいにし、しかも海外の女性の英語力のせいにするなんて、最低。
また、こういうことをインタービューにて公にすることは品格のなさに加え、上から目線も感じる。ロシアや中国のファーストレディーに果たしてそんなことを言えるのか。