モザンビークでお金の新ストーリーを作る日本植物燃料
コメント
注目のコメント
今回は日本植物燃料の合田さんの、本当にベンチャースピリットの精髄のお話しです。この連載は毎回興味深いケースに恵まれていて、ありがたい話です。文化開発論的見地から、フィンテック、BOPビジネス、アフリカ開発、人類と商業、いろんなテーマにつながる話になりました。こちらでもなんでも質問をお受けできればと思います。
2017/05/31付記
金子さんのコメント、気になる、というところがおありのようなので、私の意見を補足します。まず、「勤勉がどこの社会でもベストな生き方か」という疑問は、日本社会を見ていると相対化したくなる気持ちも湧くかも知れませんが、これは程度の問題ということもあります。独立戦争、内戦と数十年の混乱を経て、モザンビークの人たちはそのあいだ、じっくり経済生産に腰を据えて取り組む体制ではなかったし、そのあいだは真面目に働こうにも、仮に収穫を蓄積しようとしても、武装勢力の存在を考えると、ままならなかったでしょう。その状態と比較すれば、やっと勤勉に働くことの意義が感じられやすくなった、というのは、無理からぬことではないでしょうか。そしてその変化が起きるとすれば、それは別に合田さんたちがその価値観を推したからではありません。合田さんが本文でおっしゃっているように、薪は既に積み上がっていたのです。合田さんが提供したのは、彼らが便利になる電子マネーのシステムと、それを利用した金融サービスの萌芽です。価値観を押しつけるような僭越なことは、誰もしていません。それでも彼らの文化は、変わろうとしているということは、現地の観察から言えるのではないでしょうか。>価値を貯蔵できなかった時代には、勤勉になる意味があまりなかったと思う。
俺は勤勉な生き方嫌いじゃないけど、勤勉がどこでもベストな生き方なのかなあ。他の社会で別の価値観を推すことは危険もあると思うんだけど、その辺りは言及されてないから、考えてないのか、記事の本質じゃないから飛ばされてるのかわかんないけど気になります。
【三宅さんの追記へのリプライ】
ご回答ありがとうございます。
私のコメントが乱暴に過ぎる部分があったと思います。合田さんが勤勉という価値観を推しているわけではないですよね。逆に非常に慎重に彼らの文化との関わりを行なっている。彼が勤勉を推すようなことはしていない。丁寧に読めば、特に私の引用した部分のあとを読めば、理解できることでした。「現代の日本的価値観をよしとする発想」にピリピリしがちな私としては勤勉というワードが出て来たところで過剰に反応してしまったようです。
※今回の記事へのコメント、リプライのリプライを通じて、勤勉という単語というか「現代の日本でよしとされている文化をよしとする発想」にピリピリしてる自分が認識できました。フェアネスを意識してナイーブになり過ぎてるという感じでしょうか。個人的にはこのやりとりが行えて非常によかったです。ありがとうございました。