時間は流れてはいない。止まった状態で現在・過去・未来が同時に存在している。「スポットライト理論」(米研究) : カラパイア
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時空間を四次元空間とすればそういう解釈もできますが、量子力学との関連が解決されてないように思われます。
「シュレディンガーの猫」は生きているのか死んでいるのか。箱を開ける前から状態が確定しているということでしょうか。多世界解釈とも矛盾しているような…。
注目のコメント
休暇中なので長く書きませんが、原文パッと見ました。この日本語版記事は誤訳と科学リテラシーの低さが目立つ記事です。トップに載せるのは不相応かと。>NPの方
時間が流れるものかどうか。面白い話ですし、哲学上重要な問題であることは間違いではありませんが、これは科学の問題ではなく、科学法則の解釈の問題です。量子論の多世界解釈とかと同じような問題だと思う。どちらにせよ科学法則は影響を受けず、また観測から解釈を分離不可能なので、科学はこの問題に立ち入りません。科学は否定も肯定もしません、なぜなら否定も肯定も不可能だからです。
と、偉そうに技術者が科学のことについて書きましたが、科学者の方、もし間違いがあれば指摘をお願いします!すべてはひとつでありバラバラなものは何もないという視点でみると過去も現在も未来もバラバラではなくひとつで、宇宙とはすべての選択肢であると言えます。我々はその無数の選択肢の中から毎瞬ひとつの道を選択しながら進みます。その意味で人生とは選択のプロセスであり、あらゆる可能性はすでに創造されています。すでに創造されている未来の中から好きなものを選べば良いだけなので人は創造性を有する訳です。
好きな未来を選択する方法は非常にシンプルで、それを信じるたけです。第六感が鋭い人の中にはやがて選択される未来を垣間見る人もいれば、選択されることのない未来を垣間見る人もいます。自分も相手もバラバラではなくひとつであり、過去も未来もバラバラではなくひとつです。すべてはひとつだからです。そんな視点もありますね。二十歳くらいに 時間はどこにあるのか?って 一生懸命に探した。で、時間って 無いじゃんって結果に行き着いた。あるのは 変化だ。
もし、変化するモノが 全くなかったとしたら、時間も存在し得ない。時間だけ有るって あり得ない。無を想像できないのと同じ感じ。
過去や未来は、記憶と仮想。現存している訳じゃ無い。
だがしかし、月の裏側や ドーナッツの穴 理論を考えたとき、過去や未来は 現存していると言っていい気がしてきた。
要は、「この世にあっても 誰も認識してなきゃ 無いのと一緒」理論の反対バージョン。
例えば、江戸時代にDNAは なかった。あの時代 誰一人として DNAを知らないんだもん。誰も有るって思ってないんだもん。江戸時代の人たちにとって DNAは存在してなかった。
今から考えれば、当然 江戸時代にもDNAは有る。あるけど、無い。← これの反対で、時間は無い。だがしかし、時間を皆が感じるから 有ることになる。過去も未来も無いけど、有ると 思うから 有る。
ってな訳で、時間ってどうやって存在するか?
今この時 私たちの心の中に過去も未来も現在も 同居しているわけだ。
こんなこと あたまんなかで考えるの好き。
渡邊先生が、考えるより 図書館行け。もっと頭がいい人が すでに答えを書いているから。って言ってた。
あら、ごもっともと 思ったけど、私なりの世紀の大発見。
時間は無い。無いけど 有る。