教育を再考すべき理由

今の教育システムは、20世紀の状況に合わせて作られている。重視されているのは、情報を覚えたり、数を操作したりする方法を教えることだ。
子どもたちは、これらの能力を身に着けたかどうか繰り返しテストされる。そして、もし成績がよければいい大学に進み、すばらしいキャリアを築き、幸せで豊かな生活を送れることが保証されるというわけだ。
だが残念ながら、こうした保証はもはや得られなくなっている。誰もがポケットにスーパーコンピュータを入れて持ち歩いている今、物を覚えたり割り算を計算したりする作業はほとんど自動化されている。
にもかかわらず、グーグルでちょっと検索したり、Excelでスプレッドシートを使ったりするだけでは対処できないことは、今の学校ではほとんど教えてもらえない。
教育の見直しが必要なのは、もはや明らかだ。われわれの子どもたちは、今われわれが生きているのとは大きく異なる世界に対峙することになる。実際、オックスフォード大学の調査によれば、今後20年以内に今ある仕事の半数近くが自動化されるという。
したがって、将来に備えるためには、今の厳格な教育システムを改め、チームワークやコミュニケーションのスキル、そして探求する力を育てるようなシステムに変える必要がある。

1. チームで仕事をする

これまでの学校の勉強では、一人ひとりの達成度が重視されてきた。そこで求められるのは、自宅で勉強し、テストの準備をし、誰の助けも借りずにテストを受けることだ。
友だちの解答用紙を見たりしたら不正行為とみなされ、さまざまな面倒に巻き込まれることになる。自分の力で学習目標を達成する責任があると、誰もが教えられてきたのだ。
しかし、仕事の本質がどれほど変化しているのか考えてみてほしい。たとえ専門性の強い分野であってもだ。
1920年には、ほとんどの学術論文が一人の著者によって書かれていた。だが、1950年までに状況は変わり、共著者がいることが当たり前になった。現在では、平均的な論文では、著者の数が以前の4倍に増えている。
また、共著者が複数の学問分野にまたがっている割合や複数の国にまたがっている割合も、昔に比べてはるかに大きくなっている。
間違いなく、価値の高い仕事はチームで行われるようになっている。仕事の自動化が進むにつれて、この傾向はさらに強まるだろう。未来の仕事は、特定の専門知識や膨大な計算を必要としなくなる。機械が仕事をしやすいように、人間どうしが協力し合うことが仕事になるだろう。
「知る能力」から「社会的能力」へと価値がシフトしているのは明らかだ。休暇の価値を重視する教育者が増えている理由もここにある。
だが残念なことに、この変化に対応できている学校はほとんどない。多くの学校が社会的交流の価値にまったく気づいておらず、悪い行いをした子どもに休暇を減らす罰を与えるようなことを今もしている。
協力し、遊び、人間関係を作る能力の育成を重視するように学校を変えていくことが、どうしても必要なのだ。

2. 効果的にコミュニケーションする

この数年間、非常に専門性の高い分野で競争に勝つという理由で、STEM(科学・技術・工学・数学)教育を強化する必要性が強調されてきた。
だが、「STEM教育が不足している」という見方が誤っていることを示す証拠が次々と提示されている。
ファリード・ザカリアが自身の著書『In Defense of a Liberal Education』(教養教育の擁護)で指摘しているように、今もっとも必要なのはコミュニケーション能力を向上させることだ。
その理由を理解するには、IBMの人工知能「ワトソン」のような高度な技術について考えてみるとよい。
ワトソンは、医薬品や金融はもちろん、音楽にも使われるなど、実にさまざまな分野で利用されている。このような取り組みでは、専門的なスキルがあるだけでは不十分だ。コンピュータ科学者がさまざまな分野の専門家とうまく連携することが必要になる。
世界最高レベルの専門的人材に仕事をアウトソーシングできるサービスを展開しているToptalのタソ・デュ・バルCEOは、筆者にこう語った。
同社がプログラマーを評価する際には、専門的なスキルを見るだけでなく、コミュニケーション能力、自発性、そしてチームワーク力を同じくらい重視するというのだ。問題を完全に把握できなければ、その問題を解決できるすばらしいコードを書くことは絶対にできない。
わかりやすくて説得力のある文章を書くこと、物事を批判的に考えること、そして学習する方法を学ぶことによって、さまざまな事実を理解し、文脈に沿って整理し、わかりやすい形で表現する。こうした能力はどれも、将来の専門家にとって今よりはるかに重要なものとなるだろう。

3. 数字よりもバターンを学習する

われわれが学校で習った「読み書き算数」のうち、たいていの人が最も苦労したのは算数ではないだろうか。九九、割り算、それに一見簡単そうな文章題は、幼い生徒だった頃に誰もが泣かされたものだ。
こうした学習の有効性は、少なくとも筆者の時代には明らかだった。だが、今の子どもたちは当たり前のように「どうしてスマホの計算機を使ってはいけないの」と尋ねるに違いない。
データがますます重視されている今の時代において、数学能力がかつてないほど重要になっていることは明らかだ。
ただしその能力は、われわれが学校で学んだものと同じではない。数を数えたり掛け算をしたりする能力の重要性はすでに薄れている。今はそのほとんどを自動で行えるからだ。今日絶対に必要なものは、データから意味を読み取る能力だ。
Orgnetのバルディス・クレブス氏はこう説明する。「学校は、物事を理解するという21世紀の数学ではなく、物を作るという20世紀の数学をいまだに引きずっている」
同氏は、(代数や微積分など)エンジニアリングの数学を重視したカリキュラムではなく、(集合論やグラフ理論など)パターンの数学を重視したカリキュラムにすべきだと主張している。
これは奇をてらったアイデアのように聞こえるかもしれない。だが実際には、より高度な数学にシフトするということだ。
偉大な数学者G.H. ハーディは次のように言っている。「数学者は、画家や詩人のようにパターンを作る人だ。数学者の作るパターンが画家や詩人より永続的であるとすれば、それは数学者のパターンが概念によって作られているからだ」

4. 知ることよりも探求することに目を向ける

どの学校のカリキュラムを見ても、子どもたちが卒業までに知っておくべき知識のリストが並んでいる。歴史的出来事が起こった時期、数学の公式、特定の生物学的構造の名称などだ。
だが、今や知識は「動く標的」となっている。今の教科書に書かれている情報の大半が、子どもたちが働き始める頃には時代遅れとなっているだろう。
生涯にわたって使える知識を教育が提供してくれるという考え方は、まさに時代錯誤なのだ。今の子どもたちには、われわれがまだ知らない世界で使える能力を提供する必要がある。子どもたちが将来何を知っておけばよいのかについて、今の私たちがどうして適切に判断できるだろうか。
子どもたちにさまざまな知識を詰め込むのではなく、自分で物事を探求できる能力を与える必要がある。新しい情報を取り入れ、その意味を理解し、学んだことを他の人たちに伝えられる能力だ。
かつては人間でなければできないと思われていた仕事が次々と技術に奪われている時代には、こうした能力が最も重要になる。
混乱が進む時代において、最も欠かせない能力は適応力だ。われわれはこの能力を子どもたちに身につけさせる必要があるのだ。
原文はこちら(英語)。
(執筆:Greg Satell/Author, Mapping Innovation、翻訳:佐藤卓/ガリレオ、写真:pinstock/iStock)
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This article was produced in conjuction with IBM.