「普通の人」から世界王者になった日本人の思考法

2017/3/26
2016年、日本で働く外国人の数が初めて100万人を超えた。厚労省の資料では、2012年に約12.4万人だった専門職、ホワイトカラーも2015年には約16.7万人と着実に増えており、今後も増加が見込まれる。
一方、海外在留邦人の数も2015年に131万7078人を記録し、過去最多となった。これに伴い海外で働く日本人の数も増えている。
国籍にかかわらず実力を問われる時代を生き抜くためには、個の力を高めなくてはならない。しかし、なにを、どうやって?
この疑問から「世界一に立った者だけに見える風景をのぞき見れば、ビジネスパーソンが世界で戦うためのヒントが見つかるかもしれない」という仮説が生まれ、2015年6月、「世界王者の風景」の連載が始まった。
この連載では、かつて「絶対王者」と呼ばれたボクサーから、バリスタ、DJ、ゲーマーなどさまざまなジャンルで世界を極めた日本人を取り上げた。取材を進めてみると、彼らの言葉や行動は想像以上に「個」がブレイクスルーするための示唆に富んだものだった。
今月、筆者はこの「世界王者の風景」をまとめた書籍『BREAK! 「今」を突き抜ける仕事論』(双葉社)を上梓した。発刊にあたり、一橋大学大学院の楠木建教授に解説をお願いしたところ、5000字におよぶ重厚な解説を寄せていただいた。その一部を抜粋する。
「これまでの成功物語は、メジャーなスポーツで大成功したアスリートや上場企業の創業者など、多くの人が自然と、そうなれたらいいな……と憧れる、すなわち誘因が強いものが多かった。
しかし、この本に出てくる10人の世界王者の大半は、僕も含めてほとんどの人が読むまでは知らなかったマイナーな世界の王者である。自然と誘因がはたらかない世界にあって、ほぼ動因だけで活躍している。だからこそ、改めて学ぶこと、気づくことが多い」
「普通の人」から世界の頂点に上り詰めた日本人は、そう多くない。ここで改めて、書籍に収録した10人の世界王者のなかから、5人の言葉を抜粋して紹介したい。
バリスタ・井崎英典
「ワールドバリスタチャンピオンシップ2014」王者
「質と量がダントツになれば、ダントツの結果しか出ない」(写真:安宅駿)
高校を1年で中退し、父親が経営するカフェで働き始めた井崎は、17歳の頃からバリスタにとって世界最高の舞台「ワールドバリスタチャンピオンシップ(WBC)」で優勝することを目標に掲げてきた。
世界一を目指すために教養が重要だと考えて大検を取って大学に入り、最高の環境で修業をしようと長野の有名店の門を叩いた。英語が必要だと思えばイギリスに留学し、学校にも行かずに現地で仲間を作って飲み歩き、わずか1年で生きた言葉を習得した。
こういった努力が実り、大学4年生のときにWBCの予選を兼ねた日本大会で最年少優勝。世界大会への切符を手に入れるが、圧倒的な練習を積んで臨んだ初舞台では、セミファイナルにすら進めなかった。
そこで敗因を分析し、練習量だけでなく、練習の質を徹底的に上げることを決意する。
「それまでは練習量だけで勝負していたんですけど、質と量がダントツになれば、ダントツの結果しか出ないじゃないですか」
2014年のWBCでアジア人初の世界王者となり、ダントツの結果を出した井崎はいま、グローバルコーヒーアンバサダーとして世界を飛び回っている。
DJ Shintaro
世界最大のDJコンペティション「レッドブル・スリースタイル 2013」で最年少優勝
「世界一になるためには、愛が一番重要だと思います」(写真:GMO Culture Incubation,Inc.)
彼女のお尻を追いかけて、18歳のときに故郷の秋田から上京。しかし、しばらく後に彼女に振られ、手持ち無沙汰になったときに熱中したのがDJだった。
自分で「ホント病気」と表現するほど練習に没頭し、徐々に東京のクラブで頭角を現していくシンタロウ。世界大会の切符をかけた「レッドブル・スリースタイル」日本大会では2年連続で敗れたが、3度目の挑戦で日本一に輝き、ワールドファイナルに挑んだ。
世界17カ国のDJが集う本大会では、まさかの予選敗退を喫するも、ワイルドカードで復活。決勝の舞台に臨んだシンタロウは会場を大いに沸かせ、優勝する。
しかし、技術レベルだけみればシンタロウより上のDJもいた。なぜ優勝できたのか? を振り返ったときに、審査員や別の選手から言われた言葉によって、シンタロウは気づく。
「あの大会では、自分が(観客を)愛したから愛された。世界一になるためには、愛が一番重要だと思います」
プロボクサー・内山高志
元WBA世界スーパーフェザー級王者
「弱い選手は、良いパンチが当たったな、で終わり。分析しないから強くならない」(写真:TOBI)
高校から本格的にボクシングを始めた内山は決してエリートではなく、大学時代には試合に出られず荷物番という屈辱も味わった。
そのときに「練習量で一番になる」と決め、部内の誰にも負けないほどの練習を重ねた結果、大学4年時から全日本選手権を3連覇。アテネ五輪予選で敗退した際には一度、引退を決意したが、ボクシングへの思いを断ち切れず、プロに転身。デビューから5年半後、30歳で世界チャンピオンの座に就く。
それから内山は11度の防衛を重ね、「絶対王者」と呼ばれるようになった。武器は、日本歴代1位のKO率を誇る強烈なパンチ。日々の練習のなかで意図せずに繰り出した感触の良いパンチを見逃さず、何が良かったのかを細かく分析し、その感覚が身体に染みつくまで繰り返し練習してきた。
「弱い選手は、良いパンチが当たったな、で終わり。分析しないから強くならない」
昨年、王者の座を奪われ、リベンジマッチでも敗れたが、37歳の“元”絶対王者は、トレーニングを再開している。
バリスタ・澤田洋史
「フリーポア・ラテアート・ワールドチャンピオンシップ 2008」優勝
「おしっこの流れがラテアートに見えているやつは、俺しかおれへん」(写真:Sawada Coffee)
幼少の頃から、「人がやっていないことをやろう」と考えて生きてきた澤田。社会人になってからもその独特の感性で活躍していたが、あるとき、「あれほどつらいことはない」という任務を命じられ、心身ともに疲れ果てて退職。その後、シアトルに留学した。
そのとき、現地のカフェでラテアートに出会って熱中。帰国後、会社勤めをしながら練習を続け、2005年、ラテアートの世界大会「フリーポア・ラテアート・ワールドチャンピオンシップ」に参戦する。しかし、プレッシャーで自滅。これを機に会社を辞めて、ヒモのような生活を続けながら、腕を磨いた。
改めて、世界大会優勝を目標に据えた澤田は、1日100リットルの牛乳を使い、練習に没頭。2008年の大会の開幕直前、トイレに行った澤田は自分のおしっこがラテアートに見えた瞬間、優勝を確信した。
「その大会は100人ぐらい参加していましたけど、これはイケるわ、と思いました。おしっこの流れがラテアートに見えているやつは、俺しかおれへん」
この大会でアジア人初、史上最高得点で優勝。バリスタとして名声を得た澤田は、2015年、シカゴに自分のカフェをオープンし、いまも世界に挑み続けている。
プロゲーマー・阿井慶太
20代半ばから数々の世界大会で優勝
「できる限り1日10時間はゲーセンにいたいなと思ってます」(写真:是枝右恭)
子どもの頃から、ゲームセンターを遊び場にしてきた阿井は、2006年、21歳で初めて格闘ゲームの全国大会「闘劇」を制した。
さらに、韓国開催の国際大会「ワールドサイバーゲームズ」(2009)、フランス開催の世界大会「ワールドゲームカップ」(2010)、世界最大の格闘ゲーム大会「EVO」(2011)に参戦した阿井は、すべて異なるゲームで優勝してゲームファンを驚嘆させた。
「EVO」の優勝によって、アメリカの世界的ゲーミングデバイスブランドから声をかけられ、2012年にプロ契約。
その後も数々の世界大会でタイトルを争いながら格闘ゲーム以外にも手を広げ、2015年にはオンライン対戦型アクションシューティングゲームの全国大会でも優勝している。
「誰よりもゲームが好きという自信がある」と語る阿井が続けた言葉を聞いて、筆者はぽかんと口を開けてしまった。
「いろんなゲームをやりたいんで、できる限り1日10時間はゲーセンにいたいなと思ってます」
日本が生んだゲームの申し子は、昨年も「EVO」の『ストリートファイター5』部門で準優勝を飾っている。
ここに記した5人は、もともと、どこにでもいるような普通の人だった。彼らのアプローチや思考法は、ビジネスパーソンにとっても参考になる部分があるのではないだろうか。