稲田防衛相「教育勅語の核の部分は取り戻すべき」
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私の父は88歳、健在で傷痍軍人です。小学生で教育勅語を復唱させられ、天皇への忠誠を叩き込まれた結果として、15歳で志願しました。
この教えはいわば、子供たちをマインドコントロールし、戦闘へ自ら志願させ、未来を奪ったのです。
文言の素晴らしさを賞賛するものではなく、日本人にとってはもっと深い負の意味をもつのです。それを理解しない方に防衛大臣は任せられないと強く思います。
10代の戦友たちを目の前で失った父が、瀕死の中から生還したからこそ、私の命があることに感謝する身として、断固として、彼女の考えを認めるわけにはいきません。いわゆる教育勅語に関する最大の論点は「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という部分でしょう。
反対派は、この考え方があったからこそ、多くの人命が失われて国が滅んだと考えているわけで、それはそれで生存本能に基づく確信のレベルに至っているわけです。
一方で、勅語への支持派は、この考え方を復活させて「守ってもらえれば安心」だという、これまた生存本能に基づく確信を抱いているのだと思います。
その両者が和解することなく、バランスしているのが戦後日本の「国のかたち」であったわけで、確かにこれでは国家の体を成していないと言われても仕方がありません。
問題は、勅語支持派が少数派としての被害感を持っているのに対して、反対派は支持派を批判するだけでなく、断定的な侮蔑や排除を行いつつ全く反省しないという非対称性にあるわけです。ですが、それも本土焦土化による全的喪失という「生存への脅威の記憶」を継承しているからで、反省や修正をせよと言っても難しいでしょう。
そこまでの分裂や対立を抱えて国家の体を成していないにしても、それはそれで、それがこの国の個性だという理解でこの先も何とかバランスを取りつつ、左右がいずれも暴発しないようにしていくのが経済社会の安定を確保する上での最低限のインフラなのかもしれません。
とすれば、この方のポジションは、やはり逸脱していると思われます。思想ではなく、実務としての防衛の仕事にもっと力を注いで頂きたいですね。何よりも「日本の現政権」に「枢軸国のイデオロギー」が残存しているというプロパガンダに口実を与えるのは、防衛上は大きなコストになるという反省が必要ではないでしょうか。