弱冠29歳でグローバル企業の落下傘社長へ

2017/1/19

震災をきっかけに台湾本格進出

──迫さんはマザーハウスの念願でもある海外展開を任され、台湾での店舗の立ち上げを行っています。その後、ミスターミニットの社長に転身しましたが、どのような経緯があったのでしょうか?
 マザーハウスの台湾展開は、現地の大手百貨店の催事を取れたのが始まりです。それが日本でいうと、伊勢丹新宿店の入り口で催事ができるみたいな大きな話だったのです。僕は担当として台湾に行っていました。
その催事では初日から予算の4倍と、めちゃくちゃ売れました。初の海外展開で、幸先のいいスタートです。ところが、お客さんに店舗で撮った写真をメールしても、誰からも反応がありません。おかしいなと思ったら、その日は2011年の3月11日だったのです。
山崎 東日本大震災の日が本格的な台湾展開の初日と重なってしまった。僕は、その3日後に台湾へ飛びました。