リアル・ルーキーズを甲子園に導いた監督が説く、日本野球の未熟

2016/12/30
2015年夏、創部初の甲子園出場を果たした大阪偕星高校は「リアル・ルーキーズ」として注目を浴びた。
やんちゃな集団を深夜に及ぶ練習で鍛え上げたというサクセスストーリーは、各方面で賛否両論を呼んだ。
その大阪偕星を率いたのが韓国プロ野球に在籍経験のある元プロ選手、山本晳だった。
「当時はそう報道されましたが、内情は違うんです。子どもらに動機づけをしたことが『やらなければいけない』という雰囲気を生み、夜遅くまでの練習につながったんです。僕には『やらせる』感覚はないです。数学の方程式が解けるようになればうれしいのと同じで、野球のなかで達成感を感じてくれたら、と。指導者はそのお手伝いをするアドバイザーだと思っています」
そう語る山本は、高校野球の指導者を志した際、プロアマ規定の壁にぶち当たった1人だ。韓国のプロ野球でプレーした後、多摩大学附属聖ヶ丘高校で2年の教諭経験を積み、2002年から岡山の倉敷高校の監督を務め、2011年から大阪偕星高校で指揮を執っている。
山本晳(やまもと・せき)
1968年岡山県生まれ。津山商業、大阪学院大学を経て、尽誠学園のコーチを4年間務めた。アメリカ留学を経て、韓国プロ野球で1年間プレー。多摩大学附属聖ヶ丘高校で2年間教諭を務め、2002年倉敷高校の監督に。2010年保険金詐欺容疑をかけられて逮捕されるも不起訴処分。釈放されたが、同校から解雇された。2011年此花学院(現大阪偕星)の監督に就任。2015年夏、創部初の甲子園出場を果たした
山本がプロの世界に足を踏み入れたきっかけは、大学卒業後に尽誠学園でコーチを経験したことが大きく影響している。

香川と米国、指導者としての原点

学生時代は津山商業高校、大阪学院大学で中心選手として活躍したものの、指導者から野球の手ほどきを受けたことがなかった。
しかし、コーチとして尽誠学園の指導法に触れると、たくさんの学びがあった。
「尽誠学園に入って、初めて野球を知りました。フォーメーションから戦術、投球フォームのバイオメカニクスまで、尽誠学園ではみんなが納得できるように論理的に教えていたんです。自分は野球ド素人だと痛感しました」
尽誠学園のコーチ陣の教えをマネながら選手に指導しているうちに、山本自身の投げるボールや打つ技術までが向上した。そして現役復帰し、アメリカ留学を経て、プロ野球の入団テストを受けた。
「1次試験は合格しました。2次試験のバッティングでは誰よりも飛ばしてキャンプにも呼ばれましたが、不合格でした。年齢が引っかかったんだと思います。当時、ダイエー(現ソフトバンク)でコーチをされていた高畠導宏(故人)さんに言われました。『もっと若いときに受けに来ていたら獲れた』と。それで韓国のプロ野球に行ったんです。韓国は兵役の義務を終えてから入ってくる子がいますから、年齢のハンディがなかった」
韓国では1年のみのプレーだったが、山本の野球観をさらに進化させたのがメジャーリーグ球団との合同キャンプだ。ピッツバーグ・パイレーツの練習に参加し、尽誠学園で芽生えつつあった、野球への考え方が一層深まった。
「トレーナーと話をさせてもらって多くを勉強しました。アメリカのトレーナーはオフになると、医者と一緒になって新しい知識を得る勉強をしているそうです。ウェートトレーニングの知識が豊富になり、ピッチャーの肩やひじの使い方を知ることができました」
山本が当時から関心を持ち、現在も指導に取り入れているものの一つがアーム式投球の矯正法である。
アーム式の投手はひじをうまく使えていないため、上から振り下ろすような投げ方になっている。そのフォームで投げるとボールにキレが出ず、ケガをしやすいという問題がある。
「日本では体を大きく使って投げる投球フォームが浸透していたんですけど、指にボールをかけて投げられなければ、どれだけフォームが良くても意味がないんですよ」
山本は尽誠学園での経験と、アメリカの指導者から学んだことで、たくさんの知識を得ていた。

野球人口が減少する背景

そして日本に帰国し、高校野球の指導者に転じようとした際、プロアマ規定の壁にぶつかった。
「僕みたいな経歴の人間が指導できないような、足かせをつくることには反対です」
山本はプロアマ規定の必要性に異論を唱える。しかし、同制度のすべてを否定的に捉えているわけではない。むしろ、プロ経験があれば指導者になれるという考えには懐疑的である。
「プロ野球選手には社会性に欠ける人間がいますから、そういった意味では指導者を育成する機関をつくるべきだと思います。周囲はみんな、『元プロ野球選手だから野球に詳しい』と思い込んでいますけど、指導者として優れているかどうかは別の問題だと思います」
「日本の悪い風潮だと思いますが、元プロというだけで、みんなが珍重してしまうでしょう。『元プロ野球選手だ、すごい!』って。でも、ある人は正しくないことを教えているかもしれない。指導者が誰であれ、勉強して、研修して、人として人間性を試される場所が必要だと思う」
山本の指摘は的を射ている。いまの野球界が解決しなければいけないことの一つに、指導者の育成がある。それは根底で、深い問題とつながっている。
山本が指摘を続ける。
「今年セ・リーグのある球団は、指導者として経験のない人を監督にしました。あれはおかしいですよ。プロ野球の監督になる人は、下のカテゴリーから指導者としての経験をちゃんと積んで、人として試されてから就任するべきです。アメリカではどんな選手でもマイナーで勉強して、人として成長してからメジャーの監督になります。現役時代に実績がなくても、指導者としての能力が高ければ、メジャーの監督になれるんです」
「日本の監督に求められるのは『お客さんを呼ぶこと』かもしれませんが、そういう考え方だから、日本の野球は興行の分野を抜け出せないのです。文化として野球が定着しない。プロ野球の観客動員数は増えていますけど、野球人口は減っていますよね。なぜかというと、指導者の教え方が論理的ではないからだと思います。少年野球の指導者を見てください。低学年のころから怒鳴りまくって、野球を嫌いにさせています」
山本は、自分たち高校野球の指導者が正しいと思っているわけではない。
プロ、アマともに指導者がしっかり勉強し、研修を受けられるような機関を設け、適切な段階を踏んでから初めて現場で指導に就くような制度をつくるべきだと考えている。
「元プロ野球選手たちはみんな、野球の技術指導に詳しいのか。僕は疑問符をつけています。高畠さんが言っていました。『バッティングで“ヒッチする”クセがある選手に、有名なバッターだったあるコーチは“ヒッチするな”と教えている』と。でも、その人は現役時代、ヒッチしていた選手だった、と。つまり自身の持っていた技術について、頭のなかで論理立てて実証できていないんです。自分のイメージだけで指導している。むしろ、ヒッチは才能の一つですから」
※ヒッチとはバッターが構える際、バットのグリップを上下させる動きのこと。バットの出が遅れたり、下から出たりする原因になるという指摘がある

指導方針のない野球界の大問題

山本が指揮する大阪偕星に、ピッチングで体重移動する際、頭が突っ込むクセのある右腕投手がいた。
その理由を探っていくと、両肩を水平にして体重移動していることが原因だとわかった。山本が「なぜ、その投げ方にしているか」と尋ねると、その投手は「中学時代、元プロ野球選手だった指導者にそう教えられました」と答えたという。
「その元プロ野球選手が現役時代にどんな投げ方をしていたかというと、右肩を下げて投げていたんですよ。新人王になった人です。僕は、下げるほうが正解だと思っています。プロ野球選手は経験豊富で、技術を持っているかもしれないけど、それはプレーする能力であって指導力ではない」
山本は尽誠学園のコーチ時代、アーム式を矯正するための基礎を習った。そしてメジャー球団のキャンプに参加した際、アーム式を直すためのノウハウを知った。それから日本で指導者になり、アーム式の矯正法を自身の手で具現化した。
「自分には教えてくれる指導者がいなかった。だから、教えてあげたい。アームで投げていたら野球が面白くないんです。指にボールがかかるようになると、リリースのときにピチって音がする。劇的に変わるんです。ケガしなくなるし、野球が楽しくなる」
来春から専修大学に進む3年生の道脇龍之介君はその1人だ。入学当初はアーム式の投げ方をしていて、球速は115キロほどだった。
「アームという言葉すら知りませんでしたけど、山本先生から教えてもらって、ひじを使えるようになってからボールの質が変わりました。リリースのときに音がするんです。いまは142キロが最速です」
もっとも、アーム式の矯正がうまいからといって、山本が指導者として満点ということではない。本人にも、そのつもりはないはずだ。
道脇君が中学までアーム式で投げていたのは、当時の指導者が指摘できなかったことに一因がある。その理由は指導者に知識が欠けていることと、当人に無知を知らしめる仕組みがないことだ。つまり、日本の野球界全体に指導方針が存在しないことが、すべての問題の根底にある。
とどのつまり、指導に関する基軸がないから、プロや少年野球の指導者は経験論でしか語ることができない。それがプロ野球の監督を指導未経験の人物が務めることや、怒号・罵声を響かせる少年野球の指導環境へとつながっているのだろう。
そうした未熟さは、プロアマ規定など大人の身勝手な“都合”が優先され、野球界の未来を創造してこなかったことの代償だと思う。
(撮影:氏原英明)
*次回は1月13(金)に掲載予定です。