AI時代の人々の働き方、生き方、倫理のあり方
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Microsoft等が盛んに「AIの民主化」を唱えているが、今後のテクノロジー、特にAIは、労働者含む一般個人等の「社会的弱者」が常にアクセス/利用できるものとなるか、国家や大企業・資本家等の「社会的強者」が独占するかで大きく展望が変わるように思う。
誰もがアクセスできる、すなわち「AIの民主化」が進めば、ワーク・シフトに登場するようなパーソナル・アシスタントとして個人の労働を肩代わりしたり支援したり、場合によっては分身として代わりに役務を果たしたりしてくれるかもしれない。
一方、社会的強者のみがAIおよびその恩恵を独占する社会になれば、ピケティの提唱する資本主義の構造的な格差助長以上に、強者と弱者の社会的影響力の差が絶望的に拡大し、その格差が再生産/固定化される懸念もある。
AIもテクノロジー、いわば「ツール」だ。本来的には、利用する人間に付加価値を提供する存在。問題は、その「利用する人間」すなわち「価値を享受できる層」がどこか、だ。
個人的には、やはりテクノロジーは多くの人々に価値を提供するものであって欲しい、そうした建設的な「使われ方」をされて欲しいと切に願う。間違っても、人の命を脅かすもの、傷つけるのの、悲しみや憎悪を生み出す存在にはなって欲しくはない。
だが、それも含め、「どう使うか」は我々人間に突きつけられた命題だ。そういう意味で、哲学的・倫理的な問いが重要になっていくように思う。
注目のコメント
AI、AIと昨年後半から言われてますが、AIを理解し、このような記事を読めば読むほど、AIには限界があり、AIによって、余計な仕事が増えていうような気がしてならない。
人に、カネ、オトコ、オンナ、よく見られたい、人よりも前に行きたいというような欲望がある限り、効率化された世界なんて来ないと思う=このようなAIで仕事がなくなるというような世界は出現しないと思います。AIによって今現在の人間の仕事は奪われる。でも、その代わりに新たな仕事も生まれ、人間にしか出来ないこと、人間の役割も変わる。悲観的に考えず、人間にしかできない能力を徹底的に磨いていくということだろう。判断はAIであっても、決断は人間であるべきだ。