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わたしの「ふつう」と、あなたの「ふつう」はちがう。愛知県の人権週間啓発ポスターがすごく良い

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注目のコメント

  • 小宮山 利恵子
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    スタディサプリ教育AI研究所所長、東京学芸大学大学院准教授

    「客観的」という言葉があります。科学的事実に基づいた表現かもしれませんが、それは多くの個の主観がある領域である方向に向けて使用される表現です。多数ではありますが、それは時と場所、文化により「違っている」可能性もあります。

    私自身、「ふつうは」という言葉を使ってしまうこともあるのですが、その「ふつう」が今後はなくなってしまうのかもしれませんね。誰にとっての「ふつう」なのかを定義する必要を感じます。


  • Takahashi Hirokazu
    精神科医

    すべての人は自分なりに正しいと思うことをしています。間違ったことと認識しながらやるときも、他に方法がないからという正当性を根拠に行動します。つまりすべては正しい行為なのです。実は戦争、争い、暴力、いじめなどは「自分は正しい」という考え方により生まれます。

    正しいとは相対的な言葉でありその反対側は間違いです。だから自分の正しさと相手の正しさが異なる際、相手が間違っているように感じてしまいます。「自分が正しく相手が間違っているのだから相手を避難するべきだし自分のやり方を押し通ても良いのだ」という考え方が争いを生んでいます。

    このように正誤、善悪、優劣などの言葉は争いを生む危険性が高いので、安全な言葉すなわち①役に立つかどうか②好きか嫌いかなどの言葉に置き換えると平和になります。これらの言葉はお互いの目的地の違いを明確化してくれます。

    例えば「死刑制度は正しいか?」と聞けばケンカの元ですが、「死刑制度は役に立つか?」とか「死刑制度は好きか?」と聞けば平和的な議論となります。


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