【新】亀っちと楠木教授が語る「商売のコツ、会社の未来、原体験」

2016/10/25

僕はヒジョーに現実的な人間

亀山 「亀っちの部屋」、今日は一橋大学教授の楠木建さんに来てもらいました〜。楠木さんって、もっとひょろっとした人物を想像していたけど、えらくたくましいね。何かスポーツなどで鍛えているの?
楠木 いいえ、まったく。運動は大嫌いですね。ただ、放っておくとあまりにも不健康になってしまうので、ジム通いだけは習慣にしています。週3回程度筋トレと水泳をします。本当は走るどころか、歩くのもイヤなくらいなんですけど……。
楠木建(くすのき・けん)
一橋大学教授
1964年生まれ。幼少期を南アフリカ・ヨハネスブルグで過ごす。92年、一橋大学大学院商学研究科博士課程単位取得退学。専攻は競争戦略。2010年より現職。著書に『「好き嫌い」と経営』(2014年、東洋経済新報社)、『経営センスの論理』(2013年、新潮新書)など。NewsPicksでは、対談シリーズ「稼ぐ力のその中身、戦略ストーリーの達人たち」を連載中
亀山 それでも体を鍛えているのは、モテたいから?(笑)
楠木 いえいえ、目的は健康管理と精神的なコンディショニングですね。モテたいという欲求はもはやありません。若いころならともかく。
亀山 そう? 俺は結婚しているけれど、いまだにモテたいけどなあ。男にも女にも。
楠木 この年になっていまさらモテてどうするのか?っていう疑問がありまして。そもそも僕はヒジョーに現実的な人間でして、モテたところで実際につき合えるわけでもない。モテたとしても実質的な収穫がない。それに僕はかなり非活動的な部類ですから。

アフリカで育った楠木少年

亀山 楠木さんは経営学者として何やら難しそうな研究をしているけど、子どものころから勉強が好きだったの?
楠木 僕の子どものころの将来の目標は、貴族だったんです(笑)。生まれた時点ですでに挫折していたんですけど(笑)。
別に豪奢(ごうしゃ)な生活をしたいというのではなくて、仕事とかせずに、とにかく自分の好きなことだけしていたい。昔から室内に引きこもるタイプで、寝転がってずっと本を読んでいられたらいいな、と。
僕は子どものころ南アフリカ共和国のヨハネスブルグで育ったのですが、すごくのんびりした風土が非常に肌に合いまして。あの頃のアフリカは、テレビすらありませんでしたから。
亀山 そこで貴族というのが面白いよね(笑)。
楠木 何しろ当時のメジャーな遊びが、「雲を見る」。何をやるのかというと、野っぱらでみんなで寝そべって雲の動きを見ながら、「あ、ゾウが来た。ウサギが踏みつぶされちゃう」みたいなお話を作るんです。
これが1セット2時間(笑)。
亀山 へえ、それはちょっといいなあ。長丁場だけど、意外と没入できそう。
楠木 あるいは、みんなで歌を歌いながら、グルグルと地面で回る遊び。すると目がまわってドターンと倒れ、そのまま仰向けに見上げると、空がグワーッと回っている。この遊びを当時、「地球が回る」と名付けていました(笑)。

帰国後、ついたあだ名は「バカ殿」

亀山 俺は昔、似たようなことをサウナでやっていたなあ。サウナで水風呂に入った後に、頭がクラクラするのを、「ああ、回ってるなあ」と楽しんでいた。
じゃあその後は、日本の生活になじむのが大変だったのかな?
楠木 そうですね。基本的には日が昇ると起きて、日没と同時に眠るような生活でしたから、日本に帰ってきて、キンコンカンコンと鳴るとみんながサーッと整列して「小さく前ならえ」をする様子に、僕はとても適応できないと愕然(がくぜん)としました。とにかくのんびりしていた。
とくに当時の南アフリカは、まだアパルトヘイトの安定期。良し悪しは別にして、僕は父の仕事関係で白人カテゴリーに入っていたんです。
亀山 ああ。制度上、白人扱いするというルールが昔あったよね。
楠木 そう、それです。だいたい12%の白人カテゴリーの人が、88%の黒人カテゴリーの人たちを奴隷のように扱っていた時代です。今から考えればひどい話ですけどね。
だから、うちの父は普通のサラリーマンでしたけど、ものすごく豊かな生活を享受していたんです。家にプールやテニスコートがあるのは当たり前で。
亀山 メイドも?
楠木 いましたね。しかも、ちょっと豊かな家では職能別につくんですよ。食事を作るメイドさん、庭いじりをするメイドさん、プール担当のメイドさん……といったように。僕はそんな環境で育ったんです。
亀山 サラリーマンでも、当時の南アフリカでは、それが普通のことだったんだね。
楠木 そうなんです。朝起きるとまず、メイドさんが「朝ごはんは?」と聞いてくるので、「今日はフライドエッグにしてください。ジュースはオレンジで、ベーコンはカリカリでひとつよろしく!」と言うのが当たり前の生活でした。
しかし、これは人間としてスポイルされますよね。日本に帰ってきて、「今日からここが我が家ですよ」と言われたときに、あまりに小さいのでメイドの家だと思ったぐらい(笑)
亀山 まあ、そうなるよね(笑)。
楠木 そんな感覚だから、たとえば授業中に消しゴムを落としたとしても、誰かが拾ってくれると考えてしまうから、そのまま待ってしまったりして。揚げ句、学校でつけられたあだ名が「バカ殿」。
亀山 日本では「自分で消しゴムを拾う」ってことを学ぶわけだ。

自給自足の読書生活で得たもの

楠木 当時、南アフリカへ行くにはモスクワやらパリやらコンゴやらでトランジットして、何日もかけて移動しなければなりませんでした。だから、一時帰国というのもまったくなし。行ったら行きっぱなし。
日本とのコミュニケーションは、すごく高価な国際電話のみでした。
亀山 今のようにLINE電話がある時代とは、まったく環境が異なるしね。
楠木 そうなんです。だから日本の祖母と話すのも、会社が年に1度、5分間だけ負担してくれる国際電話のみ。
そういう環境だったので、日本の活字というのが非常に貴重でした。同じ本を穴があくほど何度も読み込んで、それに飽きると、今度は自分で勝手に続編を書くんですね。で、自分で読む。自給自足の読書生活(笑)。
そういう、ぼんやりと読んだり書いたりする習慣を、日本に帰ってきてからもしばらく続けていたのですが、これは職業的にいえばまさしく貴族なんですよ。でも、現実世界でそれは通用しないので、考えた末に今の仕事に流れ着いたわけです。
亀山 でも、どんな仕事であっても、そういう想像力は大切だよ。今の若い連中を見ていると、みんな真面目でしっかりしているんだけど、いざという時に想像力が働かなくて苦労している。
これはインターネットを始め、情報が多すぎることの弊害かもしれないね。

情報の豊かさは想像の貧困を作る

楠木 つまり、情報の豊かさは想像の貧困を作るということですよね。
歴史を振り返ってみても、江戸時代に飛脚という情報伝達のインフラが生まれると、飛躍的に長距離のコミュニケーションが発達しました。
そこで大久保彦左衛門という徳川家のご意見番が、家臣たちに言うんです。
「お前らは今、何かあるとすぐ飛脚を飛ばすだろう。だからダメなんだ。昔は戦場へ行ったら、すぐに本部とやり取りできなかったため、それぞれが考えて考えて神経を研ぎ澄ませて戦ったものだ。その点なんだ、お前らはすぐに飛脚に頼りやがって……」(笑)。
要するにいつの時代も同じことの繰り返しなんですね。
亀山 ああ、まったく同じ現象だね。戦場でいちいち手紙を書いていたら、負けちゃうから(笑)。
楠木 やがて電話が生まれ、メール、スマホ、LINEと進化してきたわけですけど、時には遮断することも大切だということですよ。
亀山 そうだね。楠木さんは非活動的で引きこもっていたと言うけど、自分の世界に閉じこもってしまったら、ある意味同じこと。外部の情報があり過ぎるのは、いいことばかりではないわけだ。
楠木 このところ、家に帰るとずっとイアン・カーショーというイギリスの歴史学者が書いたヒトラーの伝記を読んでいるんです。
上下巻で2000ページとかいう分厚さで、余裕で2、3週間は潰せてしまう。家に帰ればこの本がある。これだけで毎日ものすごく幸せなんですよ。
亀山 楠木さんは絶対にいい老後が送れると思う(笑)。ギャンブル好きだったりするとコストがかかるけど、本があればそれで幸せなのだから、ちゃんと貴族の人生が待っているはずだよ。
何より、そうやって考えているだけでも、なんだか老後が楽しみになってくるよね。
(構成:友清哲、撮影:遠藤素子)