意味を見出そうとして、途方に暮れる。ルフ作品はそれで正解
コメント
選択しているユーザー
先日訪れたトーマス・ルフ展、よくわからない(どんな感想を持てばいいのかわからない)けれどなんだかとてもおもしろかった。その「なんだか」の正体を解説してくれたような記事で、読みながらぞんぶんに脳みそが弾ける。そもそも「どんな感想を持てばいいのかわからない」って、すでにコンテキストの奴隷なんだなあ。写真と俳句のくだりもおもしろい。
注目のコメント
現代アート作品を見るときは「うーん、なんだか変な感じ」「よくわからなかったなあ」という違和感にこそ楽しさがあると思っています。その違和感がなぜ生じるのかと、その違和感の意味が書かれていました。
素晴らしいナビゲーション、ありがとうございました。
「だいたい、差し出されてすぐに「何かを思ったり、感じたり」することができるようなものって、それがすでに自分の中にコンテクストとしてある物事だったりするので、それで感動したりするのって、単なる確認作業でしかないし、実際退屈なことだとぼくは思うんですよ。自分がすでに知っている感情とだけ付き合って生きていくって、つまんないじゃないですか。
それが必要なときももちろん多々あるとは思うんですが、「世の中には、すぐに何かを思ったり、感じたりすることができないものやことがある」っていう気づきこそが、アートってものが与えてくれる恩恵だと思うんですけどね」WIRED編集長の若林さんのナビゲーションによる「トーマス・ルフを読む」の後編です。ぜひ前編とあわせてお楽しみください。
前編:「トーマス・ルフ」はビジネスパーソンの一般教養だ
https://newspicks.com/news/1818106
この取材で特に印象に残っているのは、ルフの近年の作品〈zycles〉。いや、正確に言いますと、この作品を鑑賞しながら若林さんと交わしたこんなやりとりです。「あの…この作品、ルフが何を意図しているのか、解説を読んでもまったくわからなかったんですが…」と私が言うと、「ぼくもたいしてわかんなかったけど(笑)」と若林さん。いやぁ、「アートを読み解こう」という趣旨の取材で、この作品はようわからんねと笑い飛ばしてしまえるなんて、なんて思い切りがいいのでしょうと妙な清々しさを覚えたひとときでした。
でもこのちょっとしたエピソードは、実は見過ごすことのできない重要な気づきだった、というのは、記事中の若林さんの語りをお読みいただければおわかりいただけると思います。
私たちが日常生きていて目にするもの、耳にするものは、ほぼすべてが既知のコンテクストです。「こう来たら、こう返す」というプロトコルに則っているということは、コミュニケーションコストが低いというメリットがある半面、人間の五感にとっては退屈なことでもあります。そのことに気づかせてくれるのが、この記事で紹介しているルフの作品群だとも言えるわけですね。〈zycles〉や〈ma.r.s.〉に対峙したときの、あの虚を突かれた感覚。「何を思えばいいのかわからない」「どう感じたらいいかわからない」という反応はまったく恥ずかしいことではなく、それこそ自分の内に大切にしまっておくべき反応なのかもしれません。
それにしても…。今回の取材では、モノやコトの本質っていったい何なんだろう、という根源的な問いを突きつけられる結果となりました。ルフによって目の前にある「当たり前」にぐらぐらと揺さぶりをかけられた私は、彼が世界的に認められたアーティストであることに、あらためて納得したのでした。これ共感です。音楽、食べ物など、一瞬で良さが分からないものが多い。けどそれって幸せなことなんですよね。
"だいたい、差し出されてすぐに「何かを思ったり、感じたり」することができるようなものって、それがすでに自分の中にコンテクストとしてある物事だったりするので、それで感動したりするのって、単なる確認作業でしかないし、実際退屈なことだとぼくは思うんですよ。"