偏差値69、甲子園まであと一歩。多様性とケガ予防で文武両道

2016/8/31
 一つの業界に没頭していると、いまいる自分たちの世界が世間の常識といかに異なっているか、わからなくなるものだ。
 高校女子ソフトボールの指揮官として15度の全国制覇の実績があり、現在は偏差値69の進学校・川越東高校野球部を率いる渡辺努と話をしていると、外の世界を見ることの重要性に気づかされる(偏差値は「みんなの高校情報」参照)。
 「(高校球児は)まずは高校生なわけですから、勉強とクラブ活動の両立をするために、その時間を確保してやらなければいけない。勉強をやれといっても、その時間を与えなかったら勉強できませんから。睡眠の時間も必要ですしね」
 やれ最先端のトレーニング方法だ、勝つ戦術はこうだ、食育だなど、高校野球界ではたくさんの情報が氾濫(はんらん)しているが、部活動とは、本来、勉強と両立するのが当たり前のことであるのを忘れてはならない。
 今回のプロデューサー・渡辺努は多様な視点を持ち、バランス感覚に優れた指導者といえる。
 その実績も素晴らしく、2013年4月に川越東の監督に就任すると、同年夏、埼玉県大会準優勝に輝いた。

アメフトと野球、勝者の共通点

 渡辺は東京農業大学第二高校の2番・外野手として甲子園に出場。そのころから指導者になることが夢だった。
 だが、高校野球に限定していたわけではなかった。
 「高校野球にこだわっていたわけではなく、スポーツの指導者になりたいと思っていました。野球は高校で一区切りをつけよう、と。その中で縁があって、大学からはソフトボールの世界に足を踏み入れました」
 大学でキャプテンを務めるなど活躍し、卒業後に星野高校女子ソフトボール部で指揮を執ることになった。
 もともと県内で上位校だった星野を全国有数の強豪に押し上げるにあたり、渡辺は同じ業界の先達者からだけではなく、他競技の指導者との交流で学びを深めていった。
渡辺努(わたなべ・つとむ)
 1964年埼玉県生まれ。東京農業大学第二高校3年時に甲子園出場。日本体育大学に進学してソフトボールに転向。大学卒業後、星野高校女子ソフトボール部の監督を務めて3大大会で15度の全国制覇。19歳以下の日本代表を率いて世界一にも輝いている。2013年川越東高校の監督に就任。同年夏の埼玉県大会準優勝をはじめ、県大会で何度も上位進出
 ソフトボール界では、今夏の甲子園に出場した創志学園野球部の指揮官を務め、かつてはソフトボールの五輪代表コーチも経験した長澤宏行に師事した。
 一方、京都大学アメリカンフットボール部の水野弥一、それにラグビーのパナソニックや、国体などで遠征に行った際には西脇工業高校の陸上部、高校野球では広陵(広島)や仙台育英(宮城)などの練習見学に出向いたという。
 「日本体育協会の指導者のライセンスをとるためには、合宿でたくさんの競技の指導者とグループを組んで一緒に勉強する。ラグビーやバレーボールなど他競技の方々もいて、そこで合格してから、それぞれの競技の協会で上級コーチなどのライセンスを取得していきます。そこでの経験も含めて、他のスポーツをよく見るようになりました」
 「僕が最初に勉強になったのは、アメリカンフットボールの水野さんの考え方でした。水野さんは『エリートを集めたチームに勝つことを考えたことがなかったけれど、このスポーツだから勝てると思った。相手のやることを予測できれば、力のない子でも対抗できる。相手のことを予測できて、相手の予測ではないことをやれば、逆に突破口が開ける』とおっしゃっていました」
 「この考えは野球と一緒だと思いました。試合中に間があって、そこで相手の出方を予測すれば上回ることができる。そういうのはヒントになりました」
練習試合中、ボードを使って指示を送る渡辺監督(右)

どこかで勝てる部分がある

 渡辺が実践している野球では、適材適所の人材育成を目指している。
 たとえば送りバントが不得意な選手がいたとしても、その選手を使わないという発想ではなく、その選手が他の部分で持っている個性を生かしていく。
 もちろん、技術習得のためにいまよりうまくなっていくための練習はやっていくが、それぞれができることが何かを考えさせる。
 渡辺はいう。
 「野球は意外性があって、なかなか計算通りにはいかないんですけど、このスポーツは決して強いチームだけが勝つスポーツではない。個々に強みを出せば、トータルで負けていたとしても、勝てる部分もある。一つのコースしか打てない打者がいたとしても、そのコースのボールだけを待って打つこともできる。相手がその球を投げる配球に追い込めばいいわけです」
 渡辺が指導する川越東は、埼玉の西部地区を代表する進学校だ。学力が思考力の高さにつながるとはいえないものの、文武両道の学校の特徴を生かし、生徒たちに考えさせ、個々に生きる道を見つけていくように働きかけている。
 この夏に引退した3年生の水野開は、文武両道を高いレベルでしたくて川越東に進学した元投手だ。水野は渡辺から求められたことをこう説明する。
 「学んだことだけではなく、応用に生かしたり、臨機応変に対応したりしていくということです。以前までは速い球を投げるとか、遠くに飛ばすことしか頭にありませんでしたけど、渡辺先生の指導を受けてからは自分で考えてプレーするようになりました」

曜日ごとに練習メニューを設定

 選手たちが自ら考えていくための環境づくりも、渡辺のうまいところだ。
 川越東では、平日は1日3時間程度しか練習しないが、その短い時間でたくさんの練習メニューを組むのではなく、曜日ごとに練習内容を設定している。
 火曜日は守備、水曜日はバッティング、木曜日は実戦練習、金曜日は連係練習というようにである。
 これもラグビーの練習見学を参考したものだと渡辺はいう。
 「ラグビーのパナソニックの練習を見学すると、週の中でメニューを分けて練習していました。ある日はディフェンスA、次の日はオフェンスAとあって、対戦する相手のオフェンスをBチームがやって、Aチームがディフェンスをする。翌日は逆にしてオフェンスの練習に充てる、と。曜日で決めていると選手が理解しやすいと思います」
 水野と同じくこの夏で引退した控え投手の1人、関谷航平はこの練習の効果をこう語る。
 「投手からすると『この日には実戦練習があるから、ブルペンでは投げないでおこう』と自分で調整ができます。逆に『今日は思い切り投げていい日だ』と決めることもできる。計画的に練習を考えられるので、余分に投げ込みをしたりすることがないんです。だから、その分、肩やひじのケガは少なくなると思います」
関谷航平(左)と水野開

ケガなしで3年やれば、必ず成長

 そして、渡辺が“指導のポイント”として重視しているのが、関谷がいうケガの予防と、いかに選手に自信を付けさせるかだ。
 「なぜ成長にロスがあるかというと、ケガをしてマイナスが生じる。ケガをさせないで3年間やれば、選手は必ず成長します。そのためには、たとえば投手では調子がいいときには投げさせるけど、ダメだなと思ったときにはすぐに交代させることが大事です」
 「選手にお灸(きゅう)をすえるために、打たれている投手を投げさせ続けるという指導はありますけど、そういうことをやると潰れることが多い。ケガもそうですし、自信を失うと立ち直るのに時間がかかるので、そうしないように心がけます。悪い状態のときはさっと引っ込めて次に切り替える。その代わり、いいときはとにかく引っ張る。自信を付けさせることが高校生にはものすごく効果的だと思います」
 意味のない根性論は渡辺の指導には存在しない。
 そうして、多種の競技指導から会得した指導法を取り入れ、自身の理論に転化している。

野球にはいろんな見方がある

 多様性を生かして、チームを勝てる集団につくり上げていく渡辺の手法は、いまの高校野球界においては新鮮であるといえる。
 一つの競技に没頭せず、たくさんの世界を知れば、見えてくる視界は深く、広くなっていくのではないだろうか。
 では、渡辺が目指す指導の終着点はどの方向なのか。
 「うちの学校のニーズが文武両道ですから、進学できる環境で練習をさせてやりたいという根底があります。その中で、ただ打った、投げただけではなくて、こういう勝ち方もある、と。野球にはいろんな見方があって、こういうところも面白いんだなって感じてくれたらと思います」
 「いままでに知ってきた野球とは違った面白さ、別の見方も感じてもらいたい。人間の生き方も一つに限定されるものではなく、いろんな考え方があるものですから、柔軟性がある人間に育ってほしいですね」
 渡辺はいまでも、指導に関するさまざまな情報にアンテナを張っているという。
 生徒に求めるのと同じく、まず、彼自身に柔軟性がある。
(撮影:中島大輔)