【吉見俊哉】文系の素養がない理系は、必ず行き詰まる
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この議論も、非常に単純化された文系理系の話なので、いろいろ反論もあるかとは思いますが、文系的素養がないと行き詰まる。というのは、アカデミアの分野では感じます。
MITのメディアラボなんかは顕著なのですが、彼らはモノを作るのではなく、コンセプトを作っているんですよね。そのコンセプトを示すためのモノを作っているという。
で、このコンセプトを作る作業は、社会の文脈を読み、歴史を学び、未来を見据えて初めて出てくるものなので、その意味ではとても文系的であると言えます。ここが弱いために落とされてしまう日本の研究も多いです。
ダブルメジャーの話は納得感ありますが、「うちの専攻を修了するためには、ここまでは譲れない」というのは、そんなひどい話でもないように思います。修了要件を下げてまで、2つの学位を授与するのはちょっと違うんじゃないかなぁと。
最後に、「理系は稼げる」って共通認識ですか?逆のイメージしかないですが。読んでいてポジショントーク感が強く、違和感のオンパレード。文系理系の二者択一をベースにしたダブルメジャーのくだりも違和感。実際に、現行制度下でアメリカのコロンビア大学で哲学と物理学の修士の両方を取った人物を知っているが、かかった時間に対して享受できるメリットがあまりにも少ないという話を聞いたし、実際にそういう印象を持った。かといって、制度変更して時間を減らすとクオリティは明らかに落ちるだろう。ただし、記事にあるように人生の各フェーズで専門を異にして学び直すというのはアリかもしれない。
例えば、物理学を学習していても量子力学の観測問題などに哲学的要素も入ってくるし、不確定性原理を提唱したハイゼンベルグなどは「部分と全体」という本でそういった趣旨のことを書いている。初めからダブルメジャーで行くというよりも、そういうところから興味が派生して哲学を勉強する、というスタイルの方が自然ではないか。本来的な意味での勉強とはそういうものだろう。
文学、哲学、法学、社会学、歴史学等は教養として必要だという認識はあるが、実際の仕事の局面で、その素養の有無がクリティカルな役割を果たすかどうかは、はなはだ疑問だ。良く言ってもケースバイケースだろう。タイトルは明らかに言い過ぎだ。『「文系学部廃止」の衝撃』はファクトベースで、「文系・理系論争」の問題点を的確に指摘した一冊。読み応えあります。文系らしく、数百年スパンの知識を引用しながら「文系は役に立つ」という論陣を張っています。