なぜ文系が役に立たないと言われるのか:「大学で学んで役に立つこと」と「制度」からの考察
コメント
注目のコメント
note二作目です。
文系不要論に対する「文系と理系の学問分野の違い」ではなく、「文系と理系の制度の違い」からの考察です。
1作目はこちら
「熊本での災害ボランティアを経験して」
https://newspicks.com/news/1565772
(追記)
皆様
Pick&コメントありがとうございます!
少し補足すると、
「文系の学問分野としての特質」
と
「文系に付帯する環境」
が一くくりで「文系」として捉えられる傾向があり、これらは分けて考えられるべきではないかと思います。
たとえばShinoharaさんがコメントされた「知識がグローバルに通用するか」、渡辺がコメントされた「研究対象、適用対象が人間精神や社会などであるため、1人天才が出ても大きなインパクトがない」というのは「文系の学問分野としての特質」が抱える課題だと思います。
(Shinoharaさんのコメントについては、確かに「知識」はグローバルには通用しないかもしれませんがローカルな「知識」を導き出す『考える力』はグローバルに通用するところがある部分もあり、それぞれのローカルに考え方の「枠組み」(記事中で述べた社会学の研究手法など)は適用することが可能だと思います。
そして最終的にそれぞれのローカルで戦う上では文系の『考える力』が役に立つのでは、と思います。
理系と文系の一長一短なところ、でしょうか。)
ただ、小林さんがコメントされた「文系の人は数字に強くない」とか良く言われる「文系の人は勉強しない」というのは「文系に付帯する環境」だと思います。
これは制度や環境を変えれば解決できる問題ではないでしょうか?
(入試で数学を重視する、単位取得条件を厳しくする、など。記事中で言及した大人数での授業が多く議論が乏しく考える機会が少ないというのは勉強意欲を減退させている要因の一つともいえると思います。)今私立の経済にいますが、正直悪循環です。
僕は、ここで高橋さんが述べられている「教員数辺りの生徒の多さ=教室に大人数を詰め込んで授業せざるを得ない」ということにプラスして、「大学新卒一括採用主義」が存在していることが、文系学部における悪循環を引き起こしています。
理系学部はかなり専門性が高いため、全くその分野ができない・興味がないという方が行くことは少ないですが、文系は逆です。理系ができないから、とりあえず文系に、という学生が多いと思います。
それは高校までで社会に出る準備ができていないので、やりたいことがなくても「とりあえず大学へ」となるし、それを大学新卒一括採用主義によって許している社会が存在していることが原因です。
とりあえず来た、という学生が多いので、正直大人数の授業はかなりうるさい授業も多いです。それで教授も諦めて、テキトーに授業をする(あるいは、授業はちゃんとやっても単位を取りやすくする)。結果さらに意欲のない学生が集まる。そういう悪循環が発生していると思います。
一方で、学生は別に一切やる気がないわけではなく、ポテンシャルは必ず持っていると思うんですよ。少人数授業を受けるとそれはよくわかります(もちろん少人数でもテキトーにやる人もいますが…)。
就活、「卒業後5年間は新卒扱いに」 経済同友会が提言:朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASJ3X516GJ3XUTFK00C.html
↑これを早く正式に導入する企業が増えてほしいです…
大学で留年した人は新卒に入るのに、ちゃんとラグ無しで卒業した人が不利になるのが全く意味がわかりません。この文化にはかなり憤りを感じています。
あ、すいません、ちょっと就活の愚痴が出ましたが笑、ともかくちょっとずつでも「新卒」というものをただ無心に目指す学生とそれを許す社会を変えていかなきゃならないと思っています。文系が不要ということはありません。
「文系が扱うものは「人が作り出した数値」であったり、「数値化できないもの」です。
(中略)証明するための知恵や作法を学び身に着け論理的に使えるようになること、これは文系が学ぶべき最も重要な『考える力』だと思います。」
ここは非常に本質的だと思います。しかし、例えば700万以上の年収では幸せは年収に比例しないという調査や、今日の記事にあったFacebook(SNS)は幸福度を下げるといった幸福など数値化しにくいものを学問として成立させるのはほぼ全て海外です。今までにないもしくは現代の生活に沿った新たな視点を学問化すりことが日本は大変弱いと感じます。
それは本当に環境の差なのかというと疑問です。
教員数は理系の方が教えなきゃいけない講義が多いだけで、面積は実験設備が大きいからだと思います。(では何かというと答えはわかりませんが)