世界に挑む野球人5回
世界最先端のIMGアカデミーで慶應大野球部が得たもの
2016/5/12
テニスの錦織圭や元ヤンキースのデレク・ジーターを輩出したIMGアカデミーは、世界最先端のスポーツ施設として知られている。
東京ドーム48個分にあたる37万坪の敷地内に、野球、テニス、アメフトなど多種多様なスポーツ施設が延々と広がり、設備や道具は最新のものばかりだ。コーチには一流の面々がそろっている。
アメリカのマイアミにある当地で慶應大学野球部が2016年2月23日から過ごした2週間は、まるで夢のような時間だった。
「本当に来て良かった。野球をもう一度、楽しいと思えた」
企画者で野球部4年の藤本洋平は仲間たちにそう言われ、努力が報われた気がした(前々回記事、前回記事を参照)。
世界には違う考え方がある
慶應ニューヨーク学院時代からIMGアカデミーに通う藤本には、慶應大野球部員に見せたい世界があった。
「元メジャーリーガーのコーチに教えてもらい、メジャーのピッチャーとも練習試合で対戦しました。自分たちが本気でやってきた野球について、IMGで違う視点から見られたのは財産になると思う。世界には『全然違う考え方がある』と知ることができたのは、野球と違う分野でも絶対に生きてきます」
IMGアカデミーではハードが充実しているのはもちろん、ソフト面でもビジョントレーニング(スポーツにおける「見る能力」を養う)や栄養学の講義、メンタルトレーニングなど、科学的なアプローチが行われている。
動作解析で制球力安定
とりわけ慶應大野球部にとって役立ったのが、動作解析だ。
専門機器を身体につけ、投球や打撃のメカニック(フォームにおける一連の動作)を詳細に分析。人間の身体動作という観点から、改善点を論理的に浮き彫りにしていく。
今秋のドラフト上位候補と注目される右腕投手の加藤拓也は、「右肘が中に入りすぎているため、外旋を使えていない」と指摘された。ボールをリリースするまでに上半身を反らせながら力を生み出す半面、身体からボールに力を伝える際にデメリットが生まれていたのだ。
「指摘が抽象的じゃなくて具体的なので、すごくありがたいなと思いました。そこから取捨選択するのは自分の役目なので、僕が何かを選択するうえでの材料になりました」
加藤は上半身を反らせるため体重が後ろにいく傾向があり、もっと投げていく方向に力が伝わるように意識した。するとメカニックが良くなり、コントロールの安定性が増したという。
野球に合った走り方
短距離走では全員がフォームから見直したことで、30メートル走のタイムが総じて速くなった。その走り方について、捕手の須藤隆成は「とにかくスネを間に出す」と説明する。
野球の塁間は27.431メートルで、4〜5秒ほどにすぎない。その中で少しでも速く次の塁に到達するためには、「スネを前に出す」ほうが効果的である。100メートル走とは違う走り方が野球には向いているのだ。
今度は藤本が説明する。
「つま先を自分のスネに向けて上げながら走るような感覚です。その意識で走ると、後ろが蹴りにくくなる。後ろが大きいという動作が、浮遊時間が大きくなって一番タイムロスにつながります」
練習法としては、壁に両手を伸ばしてつけながら前傾になってよりかかり、身体のコア(首から腰、股関節にかけた支持筋群)と臀部の筋肉に力を入れ、かかとを少し浮かせた姿勢を30秒キープ。それから足の動かし方を練習する。
帰国後、ウォーミングアップでこれを取り入れる選手が多くいる光景は、トレーニングの成果を何より示している。
「自分は正しかった」と確認
副キャプテンの沓掛祥和にとって、収穫は「自分がやってきたことは正しかった」と確認できたことだ。
アメリカ滞在中にはオリオールズ、フィリーズのマイナーチームと練習試合が組まれ、メジャー経験者も出場した。
試合前、沓掛が彼らの打撃練習に目を凝らしていると、自身の取り組み方と同じ姿勢だった。
「最初からバンバン振っていくのではなく、右バッターは絶対逆方向(ライト)にパーン、パーンと軽めに打ってから強く振っていきます。アメリカ人は大ざっぱに見えて、めちゃくちゃ考えていますよね。自分も考えてバッティングをしているほうだと思うけど、『こんな感じで打っているのか』と確認できました」
世界は自分を映す鏡
一方、野球の世界で頂点に立つメジャーリーガーを目の当たりにしたことで、自信喪失した選手もいる。
187センチ、110キロの巨漢パワーヒッター、岩見雅紀だ。
アメリカには自分より大きい選手がゴロゴロいて、動きは軽やかで、スピードもある。メジャーリーガーとの規格の差を痛感し、「もっとやるべきことがある」と新たな刺激を得た。
世界トップを体感したことで、自分の現在地を確認することができた。
IMGと日本は共通点多数
「IMGに行ってみて、実は日本とあまり変わらないと感じました」
そう振り返るのが、監督の大久保秀昭だ。
実際、ウォーミングアップやトレーニングで、慶應大野球部で普段行っているものも数多く取り入れられていた。
打撃練習の際、元メジャーのコーチが繰り返したのは「無駄な動きをなくし、コンパクトに振ろう」という点だ。守備に関しても、大久保にとって「知りえている範囲の中の参考書」だった。
日本のアマチュアトップレベルに君臨する慶應大には、世界に通じるメソッドがすでに備わっていることを確認できた。
理想の環境が人を育てる
ただし、IMGアカデミーには4面の野球グラウンドを持つほど広大な敷地が広がり、美しい天然芝が太陽に照らされる。最新の機器を備え、教えてくれるのは元メジャーリーガーだ。
自然と心躍る環境がそろい、感度の高まった選手はスポンジのように吸収していく。
コーチは「これをやれ」と命じるのではなく、「こういう方法もあるが、採用するか決めるのは君だ」と提案型だ。選手は自分で考える力を養う必要がある。そうした環境がトップアスリートを育てていくのだ。
エンジョイ・ベースボール
エースの加藤にとって、今回大きかった収穫はある試合後のシーンだ。大敗した相手アメリカ人チームと握手した際、満面の笑みを浮かべていた。
「僕らが同じ点差で負けたら、『どうしよう?』って思うわけじゃないですか。でも彼らはすごい笑顔で、野球自体を楽しんでいた。僕らは勝つためにというところから入ってしまうけど、初めて野球をやったときにはああやって楽しんでいたはずです。もっと野球を楽しまないと損だなって思いました」
慶應には「エンジョイ・ベースボール」という伝統方針がある。「楽しむ」という響きから誤解されることもあるが、その真意を大久保はこう説明する。
「エンジョイとは、できないことができるようになるとか、そこで得る楽しさのこと。もちろん勝つことも楽しさです」
楽しみながら前向きに努力したほうが、野球の技術習得にも自分の成長にもつながっていく。それが慶應の掲げるエンジョイ・ベースボールだ。
慶應大野球部がIMGアカデミーで見たものは、奇しくも部の原点と一緒だった。だからこそ、部員たちの胸に響いたのかもしれない。
藤本が描く壮大な夢
「監督の役割として大きいのは、選手のきっかけづくりです」
そう語る大久保が、かつて4年に1度行われていた海外遠征を復活させたかった理由は、選手が伸びる環境を整えるためだった。
IMG遠征を企画した藤本にとって、その目的はまさに一致している。構想から4年、数々のハードルを乗り越えて現地に仲間たちを連れて行くと、心から「エンジョイ」する姿を見ることができた。
だからこそ彼は、夢の実現を改めて誓った。
「IMGアカデミーのような施設を、いつか日本にもつくりたいと思っています」
藤本は今回の成功を原動力に、壮大な目標を実現させようと野心を燃やしている。(文中敬称略)
(写真:慶應大学野球部)