「ネットがどうビジネスに影響を与えるか」人生を変えた米国留学

2016/4/28

都市計画に携わった新人時代

1988年4月に東京ガスに入社。3カ月の新人研修期間を終えた7月から配属されたのは、都市エネルギーのシステムを開発して事業化する新設部署でした。
建築や都市計画に近いこの分野は、僕にとっては興味深い部署だったといえます。
本来は文系社員が配属されることは稀な部署でしたから、会社としては実験的な人事だったのかもしれません。
しかし、この現場が僕にぴたりとハマるのです。
都市計画のエネルギーシステムの提案書というのは、やはり案件として大きなものでした。
オフィスにはまだ1人1台のパソコンが完備されていない時代で、まずはプラント図や系統図などを手描きで起こすことから始めます。
さらに事業シミュレーションを下書きして、それを印刷会社に発注し、立派な提案書を作るのです。
しかし、たったそれだけの作業に、毎回30万円ほどのコストがかかる。自分の月給よりも高い値段を、たいしたことない印刷物の製版と印刷にかけている。
これは無駄だと考えた僕は、「すべて自分にやらせてほしい」と申し出て、「一太郎」や「花子」(当時はまだパワポがなかった!)を駆使して提案書を自作。
また、当時使われていたBASICで組まれた事業シミュレーションソフトに満足できず、これもやはり機能性の高いプログラムをマルチプランで自作しました。