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W杯を支えた日本人(前編)

もうひとつのW杯。ピッチ外における日本人の戦い

2016/4/18
 W杯の戦いは、ピッチ上がすべてではない。

華やかさの裏側で運営やメディア、スポンサーといった支えがあり、スポーツ界のビッグイベントは成り立っている。現在エイベックス・アジアの副社長を務める高橋俊太も、大会組織委員会とスポンサー企業の一員として、複数大会のW杯を支えた日本人の一人だ。

ピッチ外におけるもうひとつのW杯を知る高橋に、UEFAチャンピオンズリーグ放映権とスポンサー権利セールスのアジア・パシフィック&中東・北アフリカ地区統括責任者を務める岡部恭英が話を聞いた(全2回)

高橋俊太(たかはし・しゅんた) 1978年生まれ。東京都出身。幼少期をロンドン、ジュネーブ、ニューヨークで過ごし、米シカゴ大学を卒業。外資系投資銀行に入社後、W杯の組織委員会(JAWOC)に転職。2002年の日韓大会で、マーケティングやイベントを担当する。大会終了後にソニーに入社し、南アフリカ大会とブラジル大会でW杯に携わり、ブランディングプロデューサーとしてグローバルでのブランディングやコミュニケーション戦略を遂行。2016年1月にエイベックス・グループ・ホールディングス株式会社に入社。エイベックスグループの海外法人 Avex Asia Pte. Ltd.の執行役員副社長に就任。無類のW杯好きで、1990年イタリア大会から2014年ブラジル大会まで7大会連続で現地で観戦中

高橋俊太(たかはし・しゅんた)
1978年生まれ。東京都出身。幼少期をロンドン、ジュネーブ、ニューヨークで過ごし、米シカゴ大学を卒業。外資系投資銀行に入社後、W杯の組織委員会(JAWOC)に転職。2002年の日韓大会で、マーケティングやイベントを担当する。大会終了後にソニーに入社し、南アフリカ大会とブラジル大会でW杯に携わり、ブランディングプロデューサーとしてグローバルでのブランディングやコミュニケーション戦略を遂行。2016年1月にエイベックス・グループ・ホールディングス株式会社に入社。エイベックスグループの海外法人 Avex Asia Pte. Ltd.の執行役員副社長に就任。無類のW杯好きで、1990年イタリア大会から2014年ブラジル大会まで7大会連続で現地で観戦中

投資銀行をやめてサッカー界に

岡部:高橋さんは日韓大会ではJAWOC(W杯の日本組織委員会)という大会の主催者側、南アフリカ大会とブラジル大会ではソニーのW杯担当として大会に関わってきました。

W杯を戦う日本人ということは、ピッチ上の選手たちはもちろんですが、高橋さんのような方々にも当てはまります。今回は関わられたW杯でどのような仕事をしていたかを聞かせてください。

高橋:僕は父親の仕事の関係で、幼少の頃から海外での生活が長く、大学時代もアメリカで過ごしました。卒業後は外資系投資銀行に就職して日本で働いていたのですが、2000年頃になると、W杯という単語がどんどん聞こえてきていました。

岡部:日韓大会を控えて、日本も盛り上がっていましたからね。

高橋:日本でW杯が開催されるチャンスなんて、自分が生きているうちにあるかわからない。それならと、期間限定でしたがJAWOCに転職しました。

岡部:投資銀行をやめたわけですか。

高橋:そうです。人生一回だけですから、勝負するしかないなと。JAWOCではマーケティング部で、事業系関連イベントやスポンサー対応などを担当しました。

当時はパブリックビューイングという言葉も日本になかった時代でしたが、スカパー!とパブリックビューイング権の交渉も行っていました。JAWOCでの活動を通して、W杯はピッチのなかだけではないということも実感しましたね。

スポンサー企業としてのW杯

岡部:日韓大会の終了後に、ソニーに移られたのでしょうか。

高橋:そうですね。2003年から在籍していて、ソニーは国際サッカー連盟(FIFA)と、2007年からスポンサー契約を結ぶわけですが、当時は「ソニーがFIFAと契約するらしいぞ」という噂が漏れ伝わってきていました。

岡部:風の噂ということですね。

高橋:スポーツ業界の仲間も多いですから、「ソニーはFIFAと交渉しているのか」と聞かれることも多かったです。僕もどうなっているのかは知らないなかで、2005年に2007年からの8年契約が発表されました。

岡部:そういう流れだったわけですか。

高橋:ソニーとFIFAの契約後、今度はソニーマーケティングという日本国内のエレキ(家電)のマーケティング会社が日本サッカー協会(JFA)とスポンサー契約を結ぶんですね。FIFAだけではなくて、代表チームの支援もしっかりしようと。

そうなると、「確かサッカー関係者だったやつがいたよな」ということになり、僕の存在があぶり出されるわけです。それで宣伝部として、2010年の南アフリカ大会まではJFA担当としてW杯に携わりました。

南アフリカW杯後にはソニーの本社から呼ばれ、よりグローバルな事業としてブランド戦略に関わるようになり、2014年のブラジル大会まではブランドプロデューサーとしてW杯を担当していました。

岡部恭英(おかべ・やすひで) 1972年生まれ。スイス在住。サッカー世界最高峰CLに関わる初のアジア人。UEFAマーケティング代理店、TEAM マーケティングのTV放映権&スポンサーシップ営業 アジア&中東・北アフリカ地区統括責任者。ケンブリッジ大学MBA。慶應義塾大学体育会ソッカー部出身。夢は「日本が2度目のW杯を開催して初優勝すること」。昨年10月からNewsPicksのプロピッカーとして日々コメントを寄せている

岡部恭英(おかべ・やすひで)
1972年生まれ。スイス在住。サッカー世界最高峰CLに関わる初のアジア人。UEFAマーケティング代理店、TEAM マーケティングのTV放映権&スポンサーシップ営業 アジア&中東・北アフリカ地区統括責任者。ケンブリッジ大学MBA。慶應義塾大学体育会ソッカー部出身。夢は「日本が2度目のW杯を開催して初優勝すること」。昨年10月からNewsPicksのプロピッカーとして日々コメントを寄せている

FIFA、JFAと契約する意味

岡部:それぞれの大会では、どのように関わっていたのでしょうか。

高橋:スポンサー企業はFIFAとの契約でW杯に関する権利を持っていても、代表チームの肖像権などは使用できません。しかし、ソニーはグループ全体でW杯の権利を持っていることに加え、ソニーマーケティングがJFAと契約しているので、日本代表の集合写真の権利も使えることになります。そうすると、日本代表を絡めたキャンペーンを展開したりすることもできるわけです。

岡部:要するに、ソニー本社とFIFAの契約はW杯の大会自体に関するものだから、それだと日本のマーケットとして完璧ではないわけですね。日本代表のロゴや写真を使用するには、JFAとの契約が必要になってくる。

高橋:そうです。日本国民が楽しみにしているのは、日本代表に関すること。そうなると、日本代表の権利があると日本の消費者に対しては、何倍も効果的にマーケティングができるようになります。

岡部:その通りですね。

高橋:なので、FIFAとJFAの両方と契約することは、経営判断として、そしてブランドマーケティングの観点からも非常に合理的な判断だったと思います。そのことで日本代表戦のチケットキャンペーンやパブリックビューイングのイベントも行うことができます。

僕自身は2010年まで、ソニーマーケティングにおける宣伝部のプロデューサーとして、マーケティング支援という形での関わりでした。最終的には日本代表のスポンサー権利を使って売り上げに貢献することがポイントになるので、目標に向けて様々な施策を行うわけです。

W杯で実現した世界初の取り組み

岡部:具体的には、どのような施策がありましたか。

高橋:一番大規模だったのは、南アフリカ大会での日本代表のパブリックビューイングですね。グループリーグの2試合目のオランダ代表戦は、日本時間の土曜20時30分キックオフで、まさしくゴールデンタイム。そこで、当時世界初となるオフィシャルパートナー同士でのイベントを共同開催したのです。

当初はオフィシャルパートナー各社がそれぞれ独自にイベントを考えていましたが、「小さなイベントをバラバラに個別でやるのはもったいない。どうせだったら僕らが手を組もうよ」と。ソニーとビザカード、アディダス、コカ・コーラで、デカい花火を打ち上げようということで、さいたまスーパーアリーナを借り切ってパブリックビューイングイベントを行いました。

岡部:それはすごいですね。

高橋:当時から、イベントを盛り上げるにはサッカーを見るだけではなくて、ライトユーザーに楽しんでもらえるように、エンタメ系を絡めないといけないと考えていました。僕らにはソニーミュージックがあり、コカ・コーラも契約アーティストがいましたから、音楽のライブもセットにして様々なアーティストに登場してもらい、最後にみんなで試合を見ようと。

当時は3D映像を撮り始めていましたから、3Dでライブを楽しめるようにしようということで、世界最大の867型 3D LEDディスプレイも用意しました。ちょうど25メートルプールぐらいの大きさの、巨大なLEDです。

岡部:会場を借り切って開催したわけですか。

高橋:そうですね。参加者は、4社が独自にキャンペーンをして全員無料にしました。僕はそのイベントの企画段階から携わり、当日の運営責任者もやりつつ、同時進行でフラッグベアラー・プログラムなどの南アフリカ現地での活動にも携わっていました。

岡部:フラッグベアラーは、試合前に国旗を持って入場する子供たちのことですね。

高橋:それらのスポンサーアクティベーションも含め、ソニーマーケティングの宣伝部のプロデューサーとして南アフリカにも滞在しました。なので、大会中は第2戦のオランダ戦まで日本にいて、オランダ戦翌日に南アフリカ入りするというハードスケジュールでした。

日本発グローバルブランディング

岡部:南アフリカ大会終了後は、2014年のブラジル大会までソニー全体のブランディングに関わることになるわけですか。

高橋:FIFAとの契約に関しては、ソニー本社のブランド戦略部という部署が扱っているのですが、そこから声がかかった形です。今まではマーケティングという観点でしたが、ブランディングという別の観点からW杯に携わってみようと。

岡部:それに今度は世界規模ですから、日本発のグローバルブランディングということだと思います。

高橋:誰もがブラジルでW杯を楽しめるわけではありませんから、現地に行かれないみなさんにどのように感動体験を提供できるかということを軸に活動していましたね。

そうなると、サッカーを楽しむためのスマートフォンアプリの提供や、4Kテレビで没入感のある映像でW杯を観戦してもらおうといった、従来とは異なる形でのサッカーの楽しみ方や、より現場の臨場感を味わってもらうという観点に移ります。なので、ブランドプロデューサーとしての4年間は、ソニー・ピクチャーズエンタテインメントやソニーモバイルコミュニケーションズ といったグループ全体を巻き込んでの仕事になりました。

高橋は、欧州に住んでいた1990年に行われたイタリア大会でW杯を初観戦し、94年のアメリカ大会でも現地在住だった。ブラジル大会まで7大会連続で生観戦し、W杯とともに人生を歩んでいるとも言える

高橋は、欧州に住んでいた1990年に行われたイタリア大会でW杯を初観戦し、94年のアメリカ大会でも現地在住だった。ブラジル大会まで7大会連続で生観戦し、W杯とともに人生を歩んでいるとも言える

マーケティングとブランディング

岡部:宣伝部のプロデューサーとブランドプロデューサーの違いについて、聞かせてください。

高橋:ソニーのW杯担当という意味では、あんまり変わらないと思われがちですが、セールスプロモーションに近いマーケティングと、ソニー全体のブランディングでは色々と違いましたね。わかりやすく言えば、宣伝部のマーケティング支援は、チケットキャンペーンなどによって大会直前のテレビの売り上げがどれくらい増えるかということなどが貢献のポイントになります。

岡部:セールスに直結するということで、売り上げなどの数字を見ないといけないわけですか。

高橋:その通りです。一方でブランディングは、いかにして「小さい頃からW杯を見ていると、いつもソニーがあった」と思ってもらえるかが重要。子供たちが大人になったときに、何だかんだでソニーに愛着を持ってもらえるような活動をしていきます。

製品の売り上げにはすぐに結びつかないけれど、時間をかけて人の心のなかに入っていくのがブランディングと言えますね。

岡部:それが長期的に見ると、ソニーのブランド力強化につながると。

高橋:そういうことですね。ただ、ブランディングだけでは、会社は成り立たないですから、マーケティングもできないといけません。

岡部:なるほど。そういう違いがあったわけですね。

人々がW杯をより楽しめるようになる手伝い

高橋:本質的なブランディングの観点で言うと、例えすぐに売り上げに反映されなくても、今の10代の子供たちが僕らの年齢になったときにソニーを好きでいてもらうことは大事なブランディング活動と言えます。

コカ・コーラやアディダスも、来年の売り上げのためにW杯のスポンサーをやっていないですから、ブランディングは10年後20年後、あるいは30年後を見ていきましょうということです。

岡部:啓蒙活動とも言えそうです。

高橋:そうですね。ただ、日本企業内や日本人のブランドプロデューサーはまだ少ないのが現状ですね。人数もそうですが、ブランディングに対する専門知識も足りないと言えます。

岡部:欧米企業、特にアメリカの会社にはブランドプロデューサーが多く在籍しています。それは、日本が伝統的にモノづくりが強く、製品が良かったためにブランディングの発想や人材が育たなかったのでしょうか。

高橋:その通りで、ブランディングはすぐに結果が出るものではないのですが、日本は短期的に物事を見たくなってしまうのか、全体的にブランディング活動が上手いとは言えませんね。

しかし、W杯のスポンサーをやる意義は、まさしくそこにあると思っています。大会での瞬間の売り上げのためにやるのではなく、人々がサッカーやW杯を好きなり、より楽しめるようになるお手伝いというようなスタンスが必要でしょうね。

スポンサーの結果は2、3年で出ることはありませんが、子供たちが20年後に振り返ったときに「僕の見てきたW杯の横には、常にソニーがいた」と思ってくれることが大事なことです。「様々な面白い仕掛けをしてくれて、よりサッカーを楽しめた」と感じてくれればいいわけで、僕自身はそういう考えでブランドプロデューサーをやっていました。

(構成:小谷紘友、写真:福田俊介)

*明日掲載の「『新しい楽しみ方を根付かせたい』W杯を支えた男のライフワーク」に続きます。