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クラウド+VRが拓く新現実【前編】

ソードアート・オンラインの“現実化”が示す次世代のリアル

2016/4/8
2月22日、突如発表された『ソードアート・オンライン ザ・ビギニング Sponsored by IBM』が世界を騒がせた。文字通り、日本IBMと小説『ソードアート・オンライン(以下、SAO)』がコラボレーションし、現在の最新テクノロジーを使ってSAOの世界観を再現、テスターを公募して体験してもらうというものだ。「触覚技術(ハプティクス)」の研究者であるプロピッカー・牧野泰才氏に参加してもらった。

「SAO体験」に10万人が殺到

「ソードアート・オンライン」の作中の年代設定は2022年だが、今回の『ザ・ビギニング』では、“2016年にSAOの開発者である茅場晶彦が、IBMのコグニティブ・コンピューティング(自然言語をはじめ膨大なデータを学習し、人との自然なかかわり合いを可能とし、意思決定や課題解決を支援するテクノロジー)に目をつけ、それを開発に利用してアルファテストを行った”という設定になっている。

SAOの世界観を再現するにあたり、IBMのクラウドサービスである「SoftLayer」をインフラとし、原作者である川原礫先生監修の下に、ワン・トゥー・テン・デザインがゲーム開発を担当した。

国内外で極めて多くのファンに支持されている同作の“現実化”とあって、アルファテスターの募集枠208人のところに、約10万人からの応募が殺到。倍率500倍という狭き門となったが、イベント事務局にはファンからの熱い思いがつづられたメールが多数届いたほか、海外のファンやメディアからの問い合わせも多く寄せられたという。

同時期に米・サンフランシスコでゲーム開発者向けのカンファレンス「Game Developers Conference 2016」が開催されていたが、そこに出展していたVR開発者が「GDCと同時期に行うなんて!」と、日本から取材に訪れたジャーナリストに苦情を申し入れたというエピソードもある。

それほどまでに、この『ザ・ビギニング』は、SAOファンやVR業界からも大きな期待をもって迎えられた。

都内某所に設置された「ラボ」。白衣を着たスタッフが行き交い、SF的な雰囲気が漂う。

都内某所に設置された「ラボ」。白衣を着たスタッフが行き交い、SF的な雰囲気が漂う。

先端技術を集約させた未来体験

ザ・ビギニングの中には、「コグ」とよばれるナビゲーターが登場する。これはコグニティブ・コンピューティングのような技術が、未来のゲームで活用された場合をイメージしたものとなっている(今回の「コグ」はあくまでもイメージさせる役割にとどまり、実際にはコグニティブ・コンピューティングの技術は使われていない)。

IBMは「Making the World Work Better」というスローガンの下に、テクノロジーで世界をより良く変えていくという使命を掲げている。クラウドやVR、コグニティブなどの新しいテクノロジーが、今後のビジネスや生活をどうやって変えていくのかを考えるきっかけを提供するという意味も込めて、このコラボレーションを実現させた。

ザ・ビギニングのアルファテストは、都内某所にひそかに設置されたラボで行われており、真っ白な布で小さく区切られた部屋の中で、複数台のKinectを使って体全体をスキャニングするところから始まる。これによって、テスターごとの姿形をその場で(わずか数秒で)3DCG化し、顔形から服装までSAOの中に再現することができるのだ。

テスターの全身をスキャニングし、3Dモデルデータをその場で生成する。

テスターの全身をスキャニングし、3Dモデルデータをその場で生成する。

「ナーヴギア」で仮想現実にダイブ

そしてVRを体験するキーデバイスが劇中にも登場する「ナーヴギア」だ。劇中では、人間の神経にダイレクトに接続するオーバーテクノロジーが使われているが、ザ・ビギニングではプロトタイプという位置づけで、ヘルメットにヘッドマウントディスプレイ(HMD)やヘッドホン、3次元入力デバイスといった機器を組み合わせたものとなっている。

“ナーヴギア”を装着することで、視覚と聴覚は完全にVRの世界に飛ぶ。

“ナーヴギア”を装着することで、視覚と聴覚は完全にVRの世界に飛ぶ。

さらに歩行を検知するセンサーを足先に付け、手の動きを検出するセンサーがひとつのセットになった「VRステージ」に上がることで準備完了だ。多くのテクノロジーが既存のものだが、それらをすべて組み合わせることで、現時点で構築可能な最高のVR環境となっている。VR世界で物語が展開されるSAOの世界観を再現するものとして、これ以上の環境はないと言えるだろう。

今回のアルファテストは、同時に4人の参加者が「はじまりの街」へと向かい、そこで出会った多くのノンプレーヤーキャラクター(ゲームプレーヤーが操作しないキャラクター)とともに、敵と戦闘するというもの。約20分間の異世界体験だ。

全身を使ってゲーム世界を体験するテスター(プレーヤー)たち。

全身を使ってゲーム世界を体験するテスター(プレーヤー)たち。

体験終了後は、驚いた表情の人、にこやかな人、満足げな人、興奮冷めやらぬ人など、その様子は人それぞれだ。だが、ほとんどの人が口をそろえていうのは「これはすごかった」という感想だ。何がどれほどすごかったのか。

この『ザ・ビギニング』をNewsPicksのプロピッカーとしておなじみの東京大学大学院新領域創成科学研究科講師の牧野泰才氏に体験してもらい、その感想を伺った。

「手」がVRにリアリティを与える

──まずは「ザ・ビギニング」のご感想はどうでしたか。

牧野:すごかったですね。“向こう”で周りを見渡したときの現実感がとても高かった。僕はVR系の研究をしていますので、HMDの体験頻度は高い方ですが、これまでの体験の中でも没入感はすごいです。

良かった最大のポイントは「手」ですね。こうしたHMDを使ったVRは、仮想世界に入ってしまうと自分の姿がまったく見えなくなってしまうので、それがリアリティを薄めてしまいます。

ですが、ザ・ビギニングは自分の本当の手を動かすと、仮想世界の中でもほとんど遅れがなく動いて、それが「自分の手」として使えるようになっている。ゲーム内でのメニューが目の前に浮かび上がり手を使って直観的に操作できるようになっていて、どこにも違和感がなかった。

VRの専門家であるプロピッカーの牧野氏が参加

VRの専門家であるプロピッカーの牧野氏が参加

SAOについてはさほど詳しくないんですが、「リンクスタート」のコマンドで“向こう”にヒュッとはいった瞬間から、どっぷりとSAOの世界に漬かったという印象があります。VRの技術だけ取っても、僕が今まで体験してきたどれよりもレベルが高いものですね。

“向こう”の世界で最初に鏡を通して自分の姿形を見るのですが、そこにいるのが自分だとハッキリ認識できましたね。そして隣を見ると、さっきまで現実世界で一緒にいた別の参加者の人が、確かにそこにいる。これはリアリティがありました。

──私(編集)も体験しましたが、演出がうまいですよね。

面白かったのが、戦いのシーンでは味方キャラクターが皆、いろんなポーズで剣を構えるんですが、ほかのプレーヤーが実際にそういう動きをしているわけではない。あくまでもVR上の演出なんです。

にもかかわらず、自分もそんな動きをしないといけない気分になるんです。戦いに勝ったあとは、僕も画面内のみんなと一緒に思わず小さくジャンプしながらガッツポーズをしそうになりました(笑)。

みんなで同じゲームを同時に体験しているけれど、実際には各人が異なる主観的現実を経験している。そういった点でも面白い経験でした。

ゲーム中のイメージ画面。プレーヤーが協力して大型モンスターに立ち向かう。

ゲーム中のイメージ画面。プレーヤーが協力して大型モンスターに立ち向かう。

最後にインパクトがあったのが、すべて終わって現実に帰ってくる瞬間。光のトンネルを抜けるとカメラが現実に切り替わって、目の前に白衣を着たスタッフの方々が見える。そのギャップというか、「現実に戻ってきたんだ」という実感が強烈でした。それだけ没入してしまっていたんですね。

VR体験に触覚を加えれば

──今回は視覚+聴覚のVR体験でしたが、ハプティクスの専門家としてはいかがですか。

ハプティクスもVRの一種ですから、今回の体験に「触覚」を組み合わせることができれば、と考えると面白いですね。たとえば剣で攻撃するときも、敵に当たった瞬間に手応えの感覚が伝わるようにするだけでリアリティが変わるはず。

あとは、空中に表示された操作メニューを手で押すシーンがあったんですが、今回はスーッと手が通り抜けてしまった。表示はとてもリアルなのに、実際には触れられないので、妙な感覚がするんですね。

「Pseudo Haptics(疑似触覚)」といって、見た目の映像と、自分の体の動きとが一致しないと、触覚的に変な感覚が生まれてしまう現象があるんです。その感覚がポジティブに働くこともありますが、今回についてはどちらかと言うと違和感でした。あそこでちょっとした振動があるだけで相当操作感が違うと思います。

VRの世界ごしに自分の「手」を見る牧野氏。

VRの世界ごしに自分の「手」を見る牧野氏。

HMDを使うVRで効果的なのが、わざと“バランスを崩すこと”なんです。例えばログインして光のトンネルの中を高速移動しているときや、敵の攻撃を受けたときなどに、地面を少し傾けたり、揺らしたりするだけで、ものすごいリアルに感じると思います。

今回のVR体験のクオリティは相当なレベルでしたから、少しだけでも触覚を足したらかなり面白いことが起きるだろうと感じました。研究者としてワクワクしますね。

※後編は来週11日(月)に掲載します。

(取材・構成:青山祐輔、編集:呉 琢磨、撮影:下屋敷和文)