「パクる欲望」が経済を回す。創造と模倣の意外な関係とは
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この社会はある程度のパクリを前提として成り立ってるから、創造者は「いかにパクられないようにするか」にものすごくエネルギーを使いますね。
それが圧倒的な技術力によるものだったり、市場での先行優位性だったり、法律によるものだったり。
パクる側とパクられる側のパワーバラスの均衡をどこに定めるかがその社会の成長を決定づけるのだと思います。今日、「パクリ」という俗語が広く共有されるようになり、後ろめたさが少なくなっているように思う。しかしファッション業界で働いた体験から言うと、この記事が示唆するよりも「パクリ」は悪質であると思う。ファッションに限らないが、ある創造的で革新的なデザインやアイデアは、人々を魅了し、真似する、コピーする、パクるということはふつうに行われる。それでも、クリエイティビティを発揮すべきデザイナーが、他者の創作物を丸ごとコピーすることを繰り返すとしたら、それは自分の仕事の放棄に等しい。
問題は、これを自覚的にやる人は多くないことだ。どちらかというと、無意識的に真似をしてしまう。その結果、商標権、意匠権、場合によっては不正競争防止法といった法律を動員したリーガールアクションが取られることも珍しくない。
では、本来はどうあるべきなのか? 丸ごとコピーするような「パクリ」ではなくいいと思ったデザインにインスピレーションを得て、自分流の「ひねり」を入れるべきだと僕らはデザイナーに求めてきた。人間は非常に器用で繊細な感覚をもっているので、「ひねり」は「パクリ」のそしりを免れるだけの独自性をしばしばもたらすし、やっている本人の自尊心も高める。貧すれば鈍するやり方を避けることは、最初は大変でも、結局は長期的な繁栄をもたらしてくれると思う。