【宮崎辰】世界一のレストランサービスとは何か。栄冠の先に見えた「欲求」

2016/2/14
日本一のメートル・ドテルは、世界大会「クープ・ジョルジュ・バティスト(CGB)」サービス世界コンクールの出場権を手にする。通常であれば、宮崎辰が自動的に日本代表になるのだが、このときはすんなり決まらなかった。
2012年の世界大会が日本で行われることになっていたため、初のホーム開催で絶対に優勝が欲しい一部関係者が、「歴代の優勝者を集めて、もう一度セレクションを開催しよう」と提案したのだ。

周囲の期待に応えたい

この案に待ったをかけたのが、審査委員長だった。周囲の声をものともせず、「規定通り、世界大会は宮崎でいく」と宣言した。
なぜ、宮崎で押し切ったのか。実は前回3位になった宮崎が、サービスを基礎から学び直すために足しげく通っていた講習会の講師、下野隆祥が審査委員長だったのだ。人知れず積み重ねてきた宮崎の努力を知る、下野だからこその決断だった。
正式に日本代表に選ばれた宮崎は、「負けるわけにはいかない」と腹をくくった。宮崎を選んでくれた下野も、セレクション開催を唱えた関係者も、求める結果は同じ。ここまで導いてくれた師匠の恩に報いるためにも、応援してくれた同僚や仲間たちの気持ちに応えるためにも、そして宮崎を目当てにジョエル・ロブションに足を運んでくれるゲストの期待を裏切らないためにも、2位や3位ではなく、世界一のタイトルを狙うしかない──。

朝までトレーニングの日々

自分に最も高いハードルを課した宮崎は、プレッシャーをはねのけるように、これまで以上に修業にのめり込んだ。
世界大会の課題は、前菜、魚料理、肉料理、デザート、アイリッシュコーヒー、カクテルの提供と、オーダーテイク、アルコールのブラインドテイスティング、テーマに合わせたテーブルセッティングという9つの項目で競われる。1つの穴も許されない、総合力が問われる内容だ。
そこで宮崎は、日本大会のときと同じようにすべての知識と技術を洗い直し、一つひとつ不安要素を消していった。
午前0時すぎにジョエル・ロブションの業務が終わると、深夜まで営業しているジョエル・ロブション内のバーに移動し、朝5時までそこのバーテンダーにバーテンダーとして必要な技術、作法、カクテルづくりを習った。
バーが休みの日曜は、仕事の後にソムリエルームに向かい、朝までワインのテイスティングトレーニングをした。

開き直って、楽しみながら挑戦

休日は、肉や魚を買い込んでフランス料理文化センターのショールームに向かい、午前10時から午後7時までデクパージュの練習をするか、テーブルセッティングの腕を磨くためにフラワーアレンジメントの教室に通った。
日本代表に決まってから大会が開かれる2012年11月までのおよそ1年半、睡眠時間は2、3時間という日もざらにあり、迫りくる重圧に押しつぶされそうになることもあったが、宮崎は完全に開き直ることで乗り切った。
「五輪で金メダルを逃すのとは、わけが違う。やるのは僕なんだから、負けたとしてもほかの人には関係ない。とにかく楽しんでやろう、楽しんでやって、人に感動を与えるような仕事ができれば、おのずと結果はついてくると思うようになったんです。それから、プレッシャーはなくなりました」

勝ちたい気持ちは誰にも負けない

身を削るようなトレーニングを終えて迎えた世界大会当日、24歳のときにつくったタキシードに身を包んだ宮崎は、テレビに出て優勝宣言するほど心に余裕があった。
日本大会のとき、師匠の矢野から「絶対に勝ちたいという強い気持ちを持て。それがなければ勝つことはできない」という激励の言葉をもらったが、宮崎は「勝ちたいという気持ちでは誰にも負けない」と思えるようになっていた。それだけの努力をしてきたという自負があった。
世界14カ国からえりすぐりの24人が参加した大会は、3日間にわたって行われた。その間、宮崎は「何とも言えない感覚」に支配されていて、目の前の課題をこなす自分の動き以外のことは、はっきり覚えていないという。大勢いた会場のギャラリーにも、気づいていなかった。宮崎は、大会期間中の自分を「完全に自分の世界に入っていた」と表現する。
これはおそらく、アスリートがしばしば「ゾーン」と言い表すような、完璧な集中と同じ精神状態だろう。宮崎がこの「何とも言えない感覚」から覚めたのは、表彰式のときだった。
司会者が、3位から名前を読み上げる。
3位、フランス代表ミカエル・ブヴィエ。2位、デンマーク代表セーレン・オルベック・レデット。そして1位は、日本代表のシン・ミヤザキ──。
自分の名前を聞いた瞬間、すべての身体の力が抜けて、目から涙がこぼれた。
「1年半、世界大会のためにどれだけのことをやってきたか……。それがやっと報われたと思ったら、感情があふれてきた。僕を育ててくれた人、応援してくれたたくさんの人のことを思い出して、『やったよ、みんな!』と言いたかったです」

世界一になった後の困惑

こうして世界一のサービスマンになった宮崎は、一躍、時の人となった。メディアの取材が押し寄せ、一気に知名度が上がった。
それからが、新たな戦いの始まりだった。宮崎のサービスを体験してみたいという人が、ロブションに押し寄せたのである。新規の客が増えるのは店にとってありがたいことだが、宮崎は「レストランサービスとは何かを知らずに、おもてなしの世界一を期待する方が多くて困惑した」と明かす。
また、町でも声をかけられるようになり、気を抜くこともできなくなった。もともと宮崎には「店の外でも、店の顔である」という意識があり、普段から服装や見た目には気を使っているが、プールで水着姿のときに「宮崎さんですよね」と話しかけられて、さすがに閉口したという。

人とのつながりで頂点に導かれた

想像していなかったかたちで世界一の影響力を感じることになった宮崎だが、もちろん良いこともあった。それまで縁のなかった人と知り合うことが増え、世界が広がったのだ。
「人とのつながりで世界一になることができた」という想いを持つ宮崎にとって、人との出会いは大きな活力源になっている。
「僕は、矢野さん、坂井さんのもとで仕事をしてきたことで、コンクールに出ることができました。そして、コンクールの審査委員長である下野さんの一言で、世界大会の切符を手にしました。どんなに良い選手でも、良い縁がなければ世界では勝てません。だから、世界一になって一番うれしかったことは、新しい人とのつながりができたことです」
宮崎がタイトルを手にしてから3年が過ぎたが、今も「世界一のサービスマン」を求める客が後を絶たない。宮崎は、そのすべての客の期待に応えたいと考えている。
「100人いたら100通りの対応が必要で、99人が満足しても、1人が満足できなかったらそれはまだ未熟だということ。最後の1人まで満足できるようなサービスがしたい。そのためにやることは尽きないですね」
今年で40歳になる宮崎は、「現役選手としては終わりに近づいている」と自覚している。世界一のサービスを受けられる時間は、あとどれくらい残されているだろうか。(文中敬称略) 
(撮影:TOBI)
取材協力:ガストロノミー“ジョエル・ロブション” 
営業時間:平日:11:30〜14:00/18:00〜21:30 土日祝:12:00〜14:00/18:00〜21:30  
電話番号:03-5424-1338 または 03-5424-1347