スカウトバナー3

3回:米村明(中日)

入団後も厳しい目を向けるのは、人の人生を“ねじ曲げた”責任

2016/2/10

「担当スカウトやろ! チームに入れたら、そんで終わりか!」

中日ドラゴンズの米村明スカウトが同僚を叱ったのは、昨年の新人合同自主トレでのことだった。
 
各球団は1月に新人合同自主トレを実施し、その際には全国各地区の担当スカウトが集結する。年始の顔合わせと会議を行うのが通例で、新人合同自主トレの視察では、それぞれがスカウトしてきた新人たちを前にして「やってくれよ!」の期待感をもって眺めるのだ。

米村が同僚を叱った理由

昨年1月、米村が叱ったのは、その初日に顔を出さなかった同僚スカウトの担当選手が以前と違う姿になっていたからだった。

「遠藤(一星)のスローイングがおかしくなっとるやないか。中田スカウト部長も、以前はこんな投げ方やなかったと言うてたぞ。ちゃんと見てきたのか?」

獲得した選手の能力を疑問視して叱責したのではない。
 
担当スカウトはその選手の特徴がどのようなもので、現在の状況まですべて把握しておくべきだ。それをわかっているのかと米村は問いただしたかった。

厳しい言葉で人生の指南役に

指名を経て獲得したことから始まり、担当スカウトは選手の成長過程に関わっていく。育成するのはファームのコーチなどだが、選手たちの長所や短所を誰よりも把握している担当スカウトには、やるべき役目がほかにもあると米村は言う。

「スカウトという存在は、人の人生をねじ曲げているという責任を持たないといけない。たとえば、ある選手はプロから指名されなければ、東京六大学や東都大学に行っていた。そして、のちのち社会人チームに入社する。現役引退後には監督を経験して、60歳になった頃にはそれなりの立場になる。そのような人生を描いていたかもしれない」

「本人はそれで良かったかもしれないのに、『こっちに来い』とスカウトは彼らの人生に割って入っている。平均6、7年で終わってしまうような世界へ入れるわけやから、ほぼ100%そいつのことをわかってやらなあかん」

だから米村は、自身の担当した選手たちが自分を見失っているとき、厳しい言葉をかけて人生の指南役になる心づもりでいる。アマチュア時代を知るからこそ、「お前のいいところはここなんだぞ」と親になったような気持ちで選手に接するのだ。

迷えるドラ1に送った言葉

2012年の春季キャンプで、今やチームのエースとなった大野雄大に説教をしたことがある。当時2年目の大野がキャンプ中の練習試合で火だるまにあった。その試合を見ていた米村はブルペンに大野を呼び出し、声を荒げた。

「おまえ、野球やめろ! まだ契約金の1億円が残ってるやろ。宝くじに当たったと思って、新しい仕事を探せ」

ドラフト1位で入団した大野に球団は期待していたが、米村に遠慮はなかった。あまりにも自身を見失っている左腕投手の姿を見て、居ても立ってもいられなかったのだ。

米村が回想する。

「大野は吉見(一起)にくっついて、『吉見さんの体重移動を参考にしたい』と言い出しているときだった。吉見をまねして、スピードが130キロくらいしか出なくなっていた。自分の持ち味をまるっきり忘れていたから、大野に言った。『おまえのコントロールがどんなもんやねん。吉見みたいな精密さがあると思ってんのか? そんなテクニック、ないやろが。俺はそんなところに惹かれてお前を獲ったんやない。相手が真っすぐを待っていて、それでも真っすぐで空振りをとることができるおまえの球に魅力を感じたから、指名したんやぞ』とね」

佛教大学時代から注目されていた大野雄大を中日は単独1位で指名し、球界を代表する左腕投手に育て上げた

佛教大学時代から注目されていた大野雄大を中日は単独1位で指名し、球界を代表する左腕投手に育て上げた

将来、わかってくれればいい

最速151キロのストレートを軸に、真っ向から挑んでいく。相手が強い打者であればあるほど、腕を振る。担当スカウトの米村に気づかされた大野は持ち味を取り戻し、エースにまで上り詰めた。

こうした叱咤(しった)激励は、大野がドラフト1位の期待された投手だからではない。米村は自身の担当した選手に関して、常に一挙手一投足を眺めている。そして、声をかけることを忘れない。

「選手たちには『1億円プレーヤーになって誰からも注意されなくなっても、おまえたちが間違っていることには言い続けるから覚悟しとけ』と伝えている。たかだか担当スカウトのくせにと思われるかもしれない。でも、俺は好かれようと思って言うているんじゃない。それが、彼らの人生をねじ曲げた者としての役目やと思っている。彼らが選手として終わったとき、『こういうことを言ってくれたな』とか、指導者的な立場になったときに何かを感じてくれたらそれでいい」

選手の昇給がスカウトの喜び

昨シーズン、米村の担当した選手で1軍の試合に出場した数は10人を超える。

エースの大野をはじめ、大島洋平、平田良介、藤井淳志の外野手トリオ。ポスト谷繁元信の1番手として期待の高い桂依央利のほか、リリーバーとしての健闘が光る岡田俊哉、最終的な担当ではないものの吉見は高校時代から推し続けた選手だ。さらに、昨年入団したルーキーで最初にデビューした金子丈(ドラフト9位)も米村の担当だった。

担当選手とのやりとりは、シーズンオフが多くなるという。

この1年の結果報告に始まり、ウインターリーグに参加したことについて近況報告をしてくる若手もいる。また直接連絡をとらなくても、契約更改での年俸などをチェックして成長を見つめている。

「大野が今年の年賀状で『1年目は投げられず。3年続けてふたケタ勝って、1億円プレイヤーになりました』と書いてきた。自分が担当した選手の年俸がアップしたときは、やっぱり本当にうれしい。実は、俺にとって大野が初めての1億円プレーヤーになったんやけど、そういう選手を出せたら、俺もちょっとはチームに貢献できたかなって思う」

 米村明(よねむら・あきら) 1959年熊本県生まれ。野球留学の走りで熊本県から大阪へとやってきて、PL学園1年時夏からベンチ入り。2年時夏、控え投手として甲子園で準優勝。中央大学に進学後は通算60試合に登板、17勝を挙げている。社会人の河合楽器を経て、1985年ドラフト5位で中日に入団。通算7年で14勝を挙げた。1991年現役引退後はサブマネージャー兼バッティングピッチャーを10年間勤め、2001年現職に就く。米村のように、選手として所属した球団に関わり続けるのはプロ野球選手全体の2%ほどしかいない。スカウトとして担当した選手は平田良介、大野雄大、大島洋平、藤井淳志ら多数(撮影:氏原英明)

米村 明(よねむら・あきら)
1959年熊本県生まれ。野球留学の走りで熊本県から大阪へとやってきて、PL学園1年時夏からベンチ入り。2年時夏、控え投手として甲子園で準優勝。中央大学に進学後は通算60試合に登板、17勝を挙げている。社会人の河合楽器を経て、1985年ドラフト5位で中日に入団。通算7年で14勝を挙げた。1991年現役引退後はサブマネージャー兼バッティングピッチャーを10年間勤め、2001年現職に就く。米村のように、選手として所属した球団に関わり続けるのはプロ野球選手全体の2%ほどしかいない。スカウトとして担当した選手は平田良介、大野雄大、大島洋平、藤井淳志ら多数(撮影:氏原英明)

スカウトは「縁の下の力持ち」

取材の最後で、スカウトとはどんな役割なのかと米村に聞いてみた。

「縁の下の力持ちみたいなもんやな。誰も見てくれへんけど、チームにとって一番大事なエンジンをつかさどるために必要な存在(部品)。車でいえば、エンジンをつかさどるには部品がいっぱいあって、それがあるからこそエンジンが動いてチームは走る。車が走っていて、エンジンをすごいと思う人はいない。目立たないけど、そこが働かなかったら、車なんか鉄くずと一緒だからね。大事にせなあかん部品というところかな」

スカウトのスタイルとして、足しげく通うことを忘れない。毎日のように通うからいい選手を見つけられ、それだけ見てきたからこそ、彼らの人生の指南役となることができる。

選手の成功の陰には、必ずスカウトが存在している。(文中敬称略)

(写真:BFP/アフロ)

*目次
【1回】スカウトは人事部。文化や理念なくして、優秀な人材を採れない
【2回】人の将来性を見抜くには、「お尻の毛穴まで見る」執念が必要
【3回】入団後も厳しい目を向けるのは、人の人生を“ねじ曲げた”責任
【4回】環境要因に人の伸び率が潜む。見極めるべきは「意志の強さ」
【5回】メジャーは「感覚を数値化」し、組織に強固なネットワークを形成
【6回】正しいリポートの書き方を身につければ、仕事を効率化できる
【7回】縦軸と横軸から俯瞰し、「壁を乗り越えられる人材」を発掘