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要約で読む『熱狂宣言』

若年性パーキンソン病と闘う経営者。運命に抗い挑戦し続ける理由

2016/2/1
 時代を切り取る新刊本をさまざまな角度から紹介する「Book Picks」。毎週月曜日は「10分で読めるビジネス書要約」と題して、今、読むべきビジネス書の要約を紹介する。

今回は、若年性パーキンソン病と闘いながらも飲食チェーンを経営する松村厚久氏の半生を描いたノンフィクション『熱狂宣言』を取り上げる。難病を患いながらも経営に挑戦し続ける理由とは。そのリアルな姿に迫る一冊。

 【Flier】熱狂宣言.001

レストラン業界のタブーに挑み続ける男

若年性パーキンソン病の告白

「私は若年性パーキンソン病です」。ダイヤモンドダイニングの創業社長、松村は、本書を書くことになるノンフィクション作家の小松に、涙を拭いながら告げた。

これまで彼は社員や友人にも病気のことを明かさなかった。若年性パーキンソン病は希少な難病で、現在は完治のための治療法もない。いくら脳がクリアに働いていても、体が動かなかったり、声が出なかったりという症状に苦しむことも多い。

また、外食上場企業の代表という立場上、深刻な風評も免れない。何よりも、「かわいそう」と思われたくないという思いが松村の心を占めていた。

しかし、彼は絶望の直前で、これまでにない闘争心に突き動かされた。「この病気は自分の運命だったのだ。ダイヤモンドダイニングを前人未到の業績を刻む企業にしてみせる。そう本気で思えるんです」

外食産業での挑戦

松村の外食産業における評判はすさまじい。「レストラン業界のタブーに挑み勝利した男」と称賛される一方で、「無計画経営者」と揶揄されることも多々ある。

高知から上京した松村は、大学時代に「サイゼリヤ」でアルバイトをしたのを機に、外食・サービス業を志したという。大学卒業後は当時有名ディスコを運営していた日拓エンタープライズに入社し、「黒服四天王」の異名をとった。

6年後、日焼けサロンチェーンを展開し、2001年に飲食業に参入した。銀座にオープンした「ヴァンパイアカフェ」は空前の大ヒットとなる。独自の「マルチコンセプト戦略」を掲げ、2010年10月には「100店舗100業態」を見事、達成した。

この偉業を成し遂げる間、松村は2006年に発覚したパーキンソン病との壮絶な闘いの最中にあった。彼の野心は、病状の進行とともに、かえって燃え盛っていった。

容体がよくないことは、社員たちの目にも明らかだったが、松村が病気の告知をするまで何も言わずに彼を支えていた。パーキンソン病の治療の切り札とされるiPS細胞による再生医療が動き出した現在、松村は治療がかなう未来を切に願っている。

エンターテインメント・レストランで日本一を目指す

奇跡を成し遂げた秘訣「クリエイティブは目から」

松村が外食業界で存在感を示したのは、異なるコンセプトを持った店を100店舗つくるという、業界では「ありえない目標」を達成したのがきっかけである。

外食産業では、売れ筋の店をチェーン展開で増やしていくのが常識だ。場所を選び、街や人に合わせてスタイルやメニューを考案していくのは、非効率でコストもリスクも大きい。

しかし松村は、お客さまが驚くようなエンターテインメント・レストランで日本一を目指したいと考えていた。

奇跡を成し遂げた秘訣は、斬新な発想による松村流の店づくりにあるという。

松村は「クリエイティブは目から」を強調し、店舗の内装イメージをストックするために何百もの店を訪れ、看板のロゴデザインからメニュー、サービスを胸に刻んだ。

また、彼は映画や本に多くふれることを社員にも勧めていた。彼自身が無類の本好き・映画好きで、そこから新たな店のストーリーが浮かぶこともしばしばだった。

数字に強く、豊富な語彙(ごい)力と美的センスを兼ね備えた松村は、人を魅了する人間性と底知れぬ好奇心によって、他社にまねできない店舗開発を進めていった。

無謀な挑戦

銀座に第1店舗目を出店する際、飲食業初心者の松村が物件を借りるのは困難を極めた。不動産のオーナーから「経験がないなら貸せない」と何十件も断られる日々だった。

後に松村が上場を目指すのも、ビジネスにどれだけ信用が必要かを思い知らされたからである。

第1店舗の「ヴァンパイアカフェ」には、彼が腰を抜かすほどの恐怖を味わった、アメリカのオーランドのお化け屋敷で体験した非日常を具現化したいという思いが込められていた。カフェのインテリアやメニューには吸血鬼伝説をちりばめ、店のアイコンは、ドラキュラ伯爵の眠る棺桶だった。

ところが、オープン直前、情熱も資金もつぎ込んだ彼に絶体絶命のピンチが訪れた。

レストランの要となるシェフが失踪したのだ。おまけに、急きょ派遣会社から送り込まれたシェフはやる気がなく、松村とそりが合わないときた。幸い、松村の前職からの付き合いだったシェフが苦境を救ってくれたことで、何とか第1号店が船出した。

倒産の危機を乗り越えて

「銀座で、個性の強い店を出して話題にする」という松村の狙いは的中し、カフェは空前の大ヒット店となった。続々と出店に成功し、『不思議の国のアリス』の絵本の世界観を表現した「迷宮の国のアリス」も話題となった。

「仕事の中に遊びがあって、遊びの中に仕事がある」というポリシーが生まれたのも、この時期である。

ところが当時の実態は、オーナー社長が資金繰りに奔走する零細企業だったと松村は振り返る。6号店の出店準備の際には、銀行からの融資停止により、倒産の危機が訪れた。

松村が駆けずり回って、別の銀行から融資を取りつけたが、従業員に給料を支払うと、一銭も残らない月が年に何カ月もあったという。

松村はこう語る。「それでも首の皮一枚でつながっていたのは、助けてくれた方がいて、運が良かったからですね」

社員の才能を発揮させる機会づくりにも、松村は余念がない。

社内に「チームファンタジー」という創造集団をつくり、新たな店の立ち上げを任せた。松村が立地とコンセプトにゴーサインを出したら、選抜されたメンバーがメニューや内装を決め、販促計画を立てて実行に移していく。

特徴的なのは「オペレーションと流通をまったく考えなくてもよい」という松村の方針だった。素晴らしいアイデアの実現を優先する発想が、社員の創造性をかき立てていったのだ。

高知での少年時代、憧れの東京

外食の原点、サイゼリヤ

高知で生まれ育った松村は、サッカー部のキャプテンとして人気者になり、楽しい高校生活を送っていた。雑貨屋を営み、工場をつくって事業を拡大しようとしていた父は、長男の松村を跡継ぎにと考えていた。

しかし、東京へ出たいと強く思っていた松村は、根気よく父に思いを伝え、東京行きの許しを得た。そして東京では、大学、合コン、恋人、失恋と、新たな刺激を次々と体験していった。

松村が外食産業に身を投じようと決めたのは、大学時代に始めたサイゼリヤでのアルバイトがきっかけだ。

厨房で料理をつくり、フロアでサービスの仕事をしながら、「レストランは人をこんなにも喜ばせることができるのか」と感動に包まれた。「お客様歓喜」というダイヤモンドダイニングの理念は、サイゼリヤでの経験そのままを掲げたものだった。

迷走の時代を越えて

東日本大震災

2010年に100店舗の目標を達成した松村は、途方もない不安に駆られていた。

外食業界には、売り上げが300億円に近づいたところで成長が止まるという「売り上げ300億円限界説」がある。

「牛角」で日本の外食業界の常識を覆し、松村が尊敬している天才経営者の西山知義からは「もっと合理化したほうがいい」という助言を受けていた。

その助言をもとに松村が資金調達を進めていた矢先、東日本大震災が起こった。震災の影響で客足が遠のき、ダイヤモンドダイニングが存続できるか否かの危機に陥った。

断腸の思いで決断を下す

同社の金融・財務スペシャリストから不採算店舗を閉めるよう強く勧められた松村は、「ここで後退したら、病気の進行後はどうなってしまうんだ」と思い悩んだ末、断腸の思いで、2011年から2013年の間に22店舗の閉鎖を決断した。

震災の危機を乗り越え、新たなビジョンを打ち出す後押しとなったのは、外食業界の仲間たちとの絆や、社員の頑張る姿だった。

迷走の時代を経た松村は、故郷高知の食材と料理、「かつをの藁焼き」の実演で魅せる「わらやき屋」と、社内ベンチャーで社長になった山本勇太のつくる「九州熱中屋」という、勝てるブランドを核に、新規出店を進めていった。

ついに、ダイヤモンドダイニングらしさに、より磨きをかける時期が到来したと言える。松村は1つのゴールに満足せず、すぐに次の頂を見据えて走り出す。常人が耐えられないほどのプレッシャーのとりこになっているのだ。

素顔の松村厚久

パーキンソン病という運命

松村は、パーキンソン病と闘う自分とどう向き合っているのだろうか。

告知から5年後、症状が出始めた頃は恐怖を覚えていたという。今はその恐怖は消えたが、動きが制限される日が増えた。さらには硬直した身体が痛むこともあり、「実現したいことがたくさんあるのに時間が足りないのではないか」という焦りはある。

しかし、彼は病気になったことを「運命」だと理解しているという。彼自身がぶち上げた大きな目標と、仕事に没頭せざるを得ない日々が彼を苦しみから救ってくれた。

「全身全霊で挑む仕事があったという幸運が、私にはありました」。彼は若年性パーキンソン病にかかった自分に与えられたミッションを考え始めたのだ。

外食産業の「グーグル化構想」

松村はなぜ会社を拡大したいと考えているのだろうか。それは、社員に幸せになってもらいたい、外食業界でも頑張れば裕福になれるということを示したいという思いからだ。

日本の外食産業は、非常に厳しい局面にある。食肉偽装問題や従業員たちの労働問題、少子高齢化による人材不足といった問題を抱えている。

従業員やアルバイトの多くが過酷な労働を強いられ、賃金も低く、メディアによって「外食産業=ブラック企業の巣窟」というイメージを持つ者も少なくない。

しかし、日本の食文化や「おもてなし」を守るためにも、世界を代表する企業として外食産業の地位を向上させることが不可欠である。

そこで、ダイヤモンドダイニングは今後10年で「100社の戦略的シナジーグループ」をつくるという目標を掲げている。同社が開発した業態を、地方の人材に展開してもらい、人材育成も共同で行う。

経営者やオーナーが代わっても理念や哲学を引き継ぎ、挑戦・発展し続ける組織体を目指すというのだ。これを「外食産業のグーグル化構想」を呼ぶ。

松村は、頼もしい仲間たちとともに、世界に名を残す「新しい外食産業」をつくると決め、勝利への熱狂を今この瞬間も感じている。
 一読のススメ

本書には、牛角などを展開するレインズインターナショナルの創業者、西山知義をはじめとする、松村が全幅の信を置く盟友たちの言葉など、要約で紹介しきれなかった内容が述べられている。

読みごたえのある一冊だが、使命感に燃える松村と、彼をめぐる人々が織りなすドラマにのめり込み、あっという間に読めてしまうはずだ。

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<提供元>
本の要約サイトflier(フライヤー)
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