井原正巳監督インタビュー(第1回)
【井原正巳】日本代表のシンボルが驚異のV字回復を果たした理由
2016/2/1
アビスパ福岡にとって実に5年ぶりの復帰となるJ1での戦いに向け、クラブはすでに宮崎でキャンプに入り、J1クラブとの対外試合で実践をスタートさせている。
横浜マリノス(現横浜F・マリノス)、ジュビロ磐田、浦和レッズとリーグを代表するビッグクラブで優勝。柏レイソルのコーチでも優勝するなど豊富な経験を持つ井原正巳監督(48)はしかし、キャンプ前の会見で「私も1年生です」と話し、監督で臨む大舞台に初心を強調した。
2015年1月の監督就任会見にも似た緊張感は、「サッカーには常に謙虚に向き合ってほしい」と、選手に繰り返し伝えた言葉を自ら表現したものなのだろう。
名選手は、名監督になれるのか
J2で60失点を喫し、16位(22クラブ中)に沈んだクラブで監督キャリアをスタートさせたのはちょうど1年前である。監督が背筋を伸ばして「必ず昇格を果たしたい」と抱負を口にしたとき、会見場の空気はどこか冷めていたようでもあった。
「16位のクラブが1年でどうやって昇格するというんですか?」
「有名選手もいない、人気もない。地元の支持は集められますか」
そして最大の関心は、この問いに集約されていたはずだ。
「あのイハラマサミさんが、初監督でどこまでできるんでしょうか」
地元メディアの質問はどれも敬意に満ちた丁寧なものだったが、大ざっぱに要約してしまえば「お手並み拝見」といった興味だった。
最下位からのスタート
2014年のJ2・42試合で、勝ち点は50。自動昇格を果たした首位の湘南101点にはダブルスコア、2位の松本山雅にも33点の差を付けられての16位(2013年は14位)だった。60失点はJ2ワースト4に入る窮状である。
福岡が昇格するとは、メディアも、支援者も、「本気」で思えなかっただろう。しかし「アジアの壁」「日本代表最後の砦」と呼ばれた48歳は、戦力、戦況を分析し「昇格できる」と選手を信じた。
大きな期待を背にして始まったはずの昨年開幕からも3連敗を喫し、ここでついに22クラブ中最下位に転落する。
「どんな名選手だってやっぱり無理なんだ」
「早くも解任か……」
周囲の声が渦巻くそんな状況下でも、監督はやはり「昇格に十分な手応えを感じていた」と振り返る。
関係者を驚かせたのは、J3との境界をさまよう監督が常にメディアの前に立ち、堂々と、冷静に「選手とクラブのポテンシャルは素晴らしい。それを生かせないのはすべて監督の責任」と訴える姿だったという。
うまくいかないときこそ矢面に立つ
「悪いときほど、監督は丁寧に話す。あのポジティブな姿は、そういう前例がなかったためか本当に新鮮でしたし、どしっと構えた様子こそが修羅場をいくつもくぐり抜けた証しなんだと、監督に引き込まれました」
帯同した記者は証言する。
「チームのために、悪いときこそ矢面に立つ」
常にチームの盾となるのは、Aマッチ122試合出場(遠藤保仁に次ぐ歴代2位)、日本が初めて出場を果たした1998年フランスW杯キャプテンの、今も決して揺るがない軸足だ。
シーズン終盤、福岡は8連勝を含む12戦負けなしのすさまじい勢いでトップの大宮アルディージャ、2位の磐田を猛追し勝ち点82の3位で昇格プレーオフに進出。現・元日本代表を多くそろえるタレント集団、セレッソ大阪に先制されながら追い付いて(1-1)昇格を決めた。
・前年順位16位→J1復帰
・年間順位22位→3位
・勝ち点50→82点(J2の3位史上最多)
・失点60→37
驚異的なV字回復を遂げた理由を、キャンプ前に聞いた。
【アビスパ福岡の近年の順位変遷】
2010年(J2・3位)→2011年(J1・17位=J2降格)→2012年(J2・18位)→2013年(J2・14位)→2014年(J2・16位)→2015年(J2・3位)
プレッシャーこそいい仕事の条件
──北京五輪代表の反町康治監督の下、また柏レイソルでは主にネルシーニョ監督の下で8年間のコーチ経験もありました。初めて監督を務めた1年間はいかがでしたか。
井原:毎日がプレッシャーとの戦いといいますか、選手ともコーチともまったく違った重圧が監督にはあるんだと、その大きな差を感じる1年だったと思います。重みが違う。自分が監督になった当初「3年はしっかり応援するし、3年でJ1復帰をしてください」と、「スポンサーさんや地元の皆さんも長いスパンでしっかり支えます」と言っていただきスタートしたんですが、少し勝ち始めたら流れが……。
──急に、今季なんとか上がってほしい、に変わった?
もちろんうれしい話ではありましたよ。成績が上にいくに従って、3年だった昇格プランがいつの間にか今年には昇格しないと、と盛り上がりましたよね。
目標達成はずいぶん前倒しになった格好ではありましたが、でもプレッシャーがないといい仕事は絶対にできない。あるからこそ、いい仕事に向かえるし厳しいからこそ成長できる。そうでないと自分は甘えてしまうし、サッカーでいろいろな経験、良いものもつらいものもさせてもらって、そこは少々の重圧ではもうまったく動じません。
結果を出すという覚悟
──昨年の1月、昇格する、と就任会見で自信を持って口にされたとき、それを信じた人の数は少なかったと思います。野球王国ですし長くJ2に甘んじてきたクラブで、しかも前年16位。私も内心、監督、1年でV字回復なんて大丈夫ですか? と。
そうでしょう。でも自信は、ある、ないといった話ではなくて、結果を出すしかない、と覚悟をすることですから。
それと、それまでの福岡を知りませんでしたから、先入観をまったく持っていなかったのも良かった。監督経験のない自分を呼んでくださったクラブには、恐らく指導者としての評価や能力だけではない部分での期待もあると考えていました。
──日本代表のシンボルが看板になれば変化が起きる?
そうです。監督は現場で指導し結果を出すだけを求められるのではない。目前の勝ち負けはもちろんですが、ピッチの外も中と同じように重要です。
地域の皆さん、企業との良好な関係を自分が率先して築けば、選手がいつも注目を浴び、それが選手を高める緊張感、成長を促してくれるプレッシャーにつながる。
クラブ、地域、サポーター全体をまとめるのも監督の仕事だと思っている。今のJリーグでは特に、監督が地域を盛り上げていくためにも重要な役割を担っています。
地域一体となった土台づくり
──選手もそれを実感したのでは?
自分は前の年までを知りませんから違いがわからなくても、経営危機や存続の危機を経験した選手は、サッカーを続けられる喜びや周囲からサポートしてもらい、厳しいプレッシャーであっても応援されて過ごすシーズンの喜びを、僕にいつも話していましたね。そういう中での昇格であり、自分の手腕がかなえたわけではありません。
──井原正巳という看板は、ご自身が思っていた以上に重かったのでは?
率直に有難かった。実績のない自分を監督として呼んで、経営状態の立て直しをはかってくださり、その流れの中で地元企業も、サポーターも、メディアも少しずつ盛り上がっていくのを実感しましたからね。
自分があいさつに行く、自分が率先してメディアに答える。そうすると昔応援してくださっていたファンが戻ってきてくれるかもしれない。AGA(アビスパ グローバル アソシエイツ)といって会員の集まりに足を運び、話を聞くとサッカーファンの多さ、熱さを実感できる。歴史の中で少しかみ合わなかった歯車がカチッと合った。ですから自信を持てました。
(写真:福田俊介)