日米指導者論(第1回)
根性論では世界で勝てない。日本スポーツに足りない指導者の交流
2016/1/17
読者の皆さま、明けましておめでとうございます。あと、わずかに4回、このあいさつをさせていただけたとしたら、それはもう東京でオリンピックが開催される年であります。
日本のスポーツの未来について、期待と不安が入り混じる、いや、私としては不安が多めの新年でありますが、今年もこの連載を、よろしくお願いします。
変わらない高校野球の美談
私がこの連載を始めようと考えて動き出した2015年の夏、ちょうどその頃は、日本の夏のスポーツ・シーンを象徴すると言っても過言ではない、高校野球の時期であった。
何を隠そう私も昔は高校球児であり、今でも、時間があれば、日米およびレベルを問わず、野球観戦に出かけるほどの野球好きである。
日本の夏には、あらゆるメディアを通じて高校野球の情報を得ることが可能なわけだが、その中の一つに、衝撃的なものを発見した。
その特定の記事、そのケースに驚かされたというよりは、私の経験や思いを、いかに日本の方々、つまりNewsPicksの読者に伝えようかと、整理をしていた時期であったため、「そこが違うんだよ。それじゃ、ダメなんだよ」と日本のスポーツの問題点の一つを、その記事によって再認識させられたことが、強く印象に残っているという説明が適当である。
関西地方の某高校が甲子園初出場を果たした。その指導者のインタビュー記事の要約はこうだ。
1. スターばかりの名門校ではないので、練習量でカバーした。
2. 日付を越えて練習するのはあたりまえ。
3. 寮生活で選手と寝食をともにして、時には四畳半に7人で寝たこともある。
4. 上記と同じ理由で、予算も少ないので廃盤の商品を安く購入し利用した。
ツッコミどころ満載である。
日本人は諦めない話が好き
今までの私の連載を読んでいただいた方なら、私の言いたいことをわかっていただけると思う。
細かい「ツッコミたいポイント」は割愛しよう。このケースの最も大きな問題点は、学生の扱い方だと思う。
このインタビューを読む限り、この指導者は部員達を一人の生徒というよりは、野球部員としてしか扱っていない。まるで、その部員は誰かの息子であること、それぞれの将来と、立派な意思を持った人間であることを、忘れているかのように聞こえる。
同じく問題なのは、このことが美談として語られてしまっていることである。今までも何度かお伝えしてきたが、われわれ日本人は「諦めず、何かを長く続けて、それを成就する」ストーリーが大好きである。
高校生と言えば、子どもではないので、首根っこをつかまれて、無理矢理に野球をさせられている状況ではないことは理解できる。
しかし、この練習方法で、彼らの将来に役立つのはただ一つ。そう、日本人の大好きな「根性」だけなのである。
河田剛(かわた・つよし)
1972年7月9日埼玉県生まれ。1991年、城西大学入学と同時にアメリカンフットボールを始める。1995年、リクルートの関連会社入社と同時にオービック・シーガルズ入部(当時はリクルート・シーガルズ)。選手として4回、コーチとして1回、日本一に。1999年、第1回アメリカンフットボール・ワールドカップ優勝。2007年に渡米。スタンフォード大学アメリカンフットボール部でボランティアコーチとして活動開始。2011年、正式に採用され、Offensive Assistantに就任。現在に至る
国際競争力を欠く根性論
しかも、スポーツにおいて国際的な競争力に役立つ、数種類ある根性のうちでは、優先順位の低いであろう「効率を度外視して行った、長い練習をやり抜いたという根性」である。
何度でも言わせてもらう。「人を憎まず」である。この指導者は、そのように育ってきているわけで、その方法以外の成功事例を信じることができないだけである。
現に、全国でも有数の激戦区を制して、誰もが憧れる甲子園に出場を果たしているわけであるから、必ずしも能力の低い指導者とは言えないであろう。そして、このような指導者が日本で評価されてしまうのも、また、動かざる事実である。
ナンセンスなのかもしれないが、これをビジネスに置き換えてみよう。自分のマネジメントする組織が、なんらかのマイナス要因を持つからと言って、それを「長く働くことを強いる」という方法によって業績を上げる手法が、現代社会に受け入れられるであろうか。
答えは明白である。欧米のビジネス社会でも、日本のそれでも、評価されるのは、前述の4.の項目、つまり創意工夫や独創的なアイデアや手法を用いたことによるパフォーマンスや結果の向上である。
日本スポーツは遅れている
ここ数十年間、日本のビジネスが、大きな発展を遂げてきたのは言うまでもない。その日本の成長や発展に大きな影響を与えたのは、経済大国アメリカであり、ヨーロッパの先進各国であると私は思っている。
しかし、経済やビジネスが、これだけほかの国や地域から影響を受けて、成長を遂げているにもかかわらず、指導者の能力や選手の社会的地位など、スポーツを文化として捉えた時の成長曲線は、ビジネスのそれと比べるのも恥ずかしいぐらいに鈍いものであると思う。
ビジネスにおいては、着眼点や効率の良さ、そして創意工夫をしたことが評価され、サクセス・ストーリーとなることが多い。しかし、スポーツにおいては、いつまで経っても、泥臭く、諦めず、そして困難を根性で乗り切った話が評価される。まったくもって、不可思議な話である。
おこがましいのは、承知のうえで言わせていただく。日本の、特に前述のような指導者の話を聞くたびに「かわいそう」だと思ってしまう。
なぜなら日本の指導者たちには、情報、特に指導方法に関する情報が少なすぎるからである。それゆえに、彼らは自分の経験してきたこと、つまり彼らの信じる道を行くしか選択肢がない。
これまでの連載でも何度かこの表現を用いてきたが、日本人は変化を嫌う傾向にある。彼らもまさに、変化を嫌うがために、新しい指導法や、新しい情報を積極的に取りにいくこともしないのであろう。
スポーツの指導者が触れることのできる情報という観点から行くと、日本はアメリカに比べ、桁外れに劣っていると言わざるをえない。まるで、機関銃と刀が闘っているようである。それぐらい違う。
アメリカにおける指導者交流
では、アメリカの指導者が、指導法・戦略・戦術・リクルーティング、すべてにおいての情報をどのように取得しているのか。
代表的な一つの方法を紹介しよう。『Convention(交流の場)』と呼ばれるものである。検索サイトで自分の興味のあるスポーツを(英語で)タイプして、その後にcoaches conventionとタイプしてみてほしい。マイナースポーツでもほとんどのコーチ向けコンベンションが存在する。
AFCA(American Football Coaches Association)なるものが存在する。平たく言ってしまえば、全米中のアメリカンフットボールコーチの集まりである。
そのAFCAが主催するコンベンションは、毎年年明け2回目の週末から週明けにかけて行われている。
1万人の会員の中から、3000人から4000人がこのコンベンションに参加する。これだけの人数が一堂に会して何が行われるのか。情報交換とネットワーキングである。
朝はコーヒー片手に、夜はビールを片手に、ひたすらその活動を行う。また、昼間は大小30を超えるであろう会場で、分刻みで、さまざまなジャンルの勉強会が行われている。
コーチだけではない。そのコーチを目当てにした業者も集まる。大きなメインホールには、フットボールに関する道具・トレーニング・ニュートリション(栄養摂取)から、金融商品を売る業者まで、大小100を超えるブースがひしめき合っている。
学べる、ネットワーキングでコネクションが増える、業者にはビジネスチャンスがある、それだけの人数が集まる場所や町の経済は潤う。そこに行くコストがかかる以外、指導者として何もネガティブなことは存在しない。
指導者の成長が不可欠
私の日本でのコーチ経験、そのほかのスポーツの指導者の見聞を聞く限り、日本の指導者の間では、上記のように大規模な情報交換はされていないであろう。
機会がないと言うほうが正しいのかもしれない。また、そこにはプロかそうでないかという違いがあるのかもしれない。
しかし、積極的に情報を取りにいく指導者と、自分の信じる方法しか行わない指導者と、どちらが選手を、そしてチームを成長させられるだろう。
日本には後者のような指導者も多く、その成功例もあるため、100%とは言えないのかもしれない。しかし、4年後、そしてその後のオリンピックに目を向けるなら、指導者は積極的に情報を取りにいくべきであり、アウトプットするべきである。
そして、スポーツ庁をはじめ、各スポーツ団体は、この種の機会を増やす努力をするべきである。
最後に、日本のスポーツの発展には、指導者の成長が不可欠である。
次回は、前述したコーチのコンベンションの具体的なプログラムや、私がコーチとして体験・体感している、具体例などを紹介していきたい。
(写真:筆者提供)