欲しければ与えよ - 成功する人の考え方
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これはある意味正しくて、ある意味正しくありません。もし、あなたが他の誰かから、あなたのパートナーを好きになったから欲しいと言われたとします。
その相手はお金も地位も名誉も、性格もよく、接する人皆から尊敬されるような人かもしれません。
そんな人が、自分のパートナーを好きになった。
パートナーも最初は戸惑うかもしれませんが付き合っていけば好きになるかもしれません。
「利他」、他の誰かにも、パートナーのためにもなる、だからあなたのパートナーを譲りますか?
ここが利他を勘違いしてしまうところです。
誰かのためだけではいけないのです。
誰かのため、誰かが喜ぶ、感謝されることが自分の喜びとなることは確かにありますが、それだけでは、自分ではなく他人の人生を生きることになります。
誰かのために時間を使うこと、自分の健康や自分の大切な家族より時間を使うこと、
それは他の誰かを短期的には利他することになるかもしれませんが、家族と自分に対しては利することになるでしょうか。
先ほどのパートナーの話もそうですが、欲しいと言った相手のため、パートナーの幸せのためにはもしかしたら譲ることはありなのかもしれません。
けれども、あなたはパートナーのことが好きで、そしてそのパートナーと一緒にいたい、その気持ち、感情を無視することになり、それは自分を利することにつながりません。
自分を利する、自分を大切にしないで、誰かのためにしていくと、そこには依存が待っています。
自分ではなく、誰かからの感謝や喜び、それは自分も嬉しいのですが、
自分の大切なもので自分を満たせないので、他の誰かからの感謝や喜びがないと自分を保てなくなります。
誰かからの感謝や喜びは、自分を見たさないうちは、刺激的です。
その刺激はアルコールと同じです。
自分が満たされてないから、もっと欲しい、もっと喜ばせたいと思い、誰かのために時間を使ったり、仕事をしたりします。
けれども、その刺激は刺激でしかないので、一定期間でなくなり、また欲しくなる、そして、その刺激で満たされたと感じたのに、なくなるときの感覚はとても辛いので、またさらに求める。
そうやって仕事依存や人への依存、共依存に陥ってしまいます。
なので、利他はとてもいいのですが、自分が何を大切にしたいか、何が幸せかを知って、行動することが大切です。Sakamotoさんの言葉がグサっと刺さります。
スポーツメンタリティで、
「与えたものは返ってくる」
という言葉があります。
これはFor the Teamに繋がる精神ですが、
自己犠牲に近いようで少し違います。
大事なのは「自分のために」相手に与え続けるということ。
自己犠牲だと思っていると不満が蓄積しますし、Sakamotoさんのおっしゃるような依存に繋がりますね。
与える相手が同じチームだと思ってくれているのか、というのはポイントになるかもです。
そう考えればパートナーを譲るくだりは、相手チームの為にオウンゴールしてあげるというようなことになってしまうので、線引きができる気がします。