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イノベーターが語る未来の家 建築家 隈研吾氏 第1回

【隈研吾】クリエイティビティを求めオフィスが「家」化する

2016/1/4
新国立競技場の設計計画のデザイン採用が決まった建築家の隈研吾氏は、「歌舞伎座」や「TOYAMAキラリ」といった国内の建築物だけでなく、中国やヨーロッパなどでも活躍し、建築業界を代表するイノベーターだ。最近では団地の再生や、シェアハウスの建築も手掛ける。隈氏は今、「家」にどのような考えを持っているのか。インタビューを3回にわたって掲載する。
第1回:クリエイティビティを求めオフィスが「家」化する
第2回:場所へのこだわりとシェアハウス
第3回:未来の家と都市

オフィスは工業化で出現した限られた現象

──隈さんは、日本だけでなく世界中で日本らしい建築を創り続けていらっしゃいます。隈さんにとって「家」とは、どういう存在でしょうか?

隈:僕は、1990年代、「家」というものを非常に屈折した視点で捉えていました。20世紀の家は、家を「所有する」こと自体が目的になっていた。郊外の土地を買って戸建てやマンションを買うということが、人生の大きな目的だったんです。そういう状況をずっと批判的にみていましたね。

それがここにきて、家という存在が復権してきたと感じています。これまでは、オフィスと家は、全く違う場所として存在していました。しかし、今は、家で仕事をし、客人をもてなし、安心して家族との時間を過ごす場になりつつある。家は、あらゆることの構成要素を網羅した「つぶしの利く存在」になってきたんです。

隈研吾(くま・けんご) 建築家。1954年、神奈川県横浜市生まれ。'79年東京大学大学院建築学科修了。コロンビア大学客員研究員、慶應義塾大学教授を経て、2009年より東京大学教授。主な作品は「亀老山展望台」「水/ガラス」「石の美術館」「竹の家」「サントリー美術館」など国内外に多数。著書に『日本人はどう住まうべきか?』(養老孟司との共著)、『建築家、走る』など。

隈研吾(くま・けんご)
建築家。1954年、神奈川県横浜市生まれ。’79年東京大学大学院建築学科修了。コロンビア大学客員研究員、慶應義塾大学教授を経て、2009年より東京大学教授。主な作品は「亀老山展望台」「水/ガラス」「石の美術館」「竹の家」「サントリー美術館」など国内外に多数。著書に『日本人はどう住まうべきか?』(養老孟司との共著)、『建築家、走る』など。

――生活する場だけでなく、働く場でもあり、コミュニケーションの場として、家の機能が変化しているということですね。

そもそも歴史的に考えてみても、オフィスが出現したのは19世紀以降。つまりわりと最近の話です。それまでは、仕事もプライベートもすべてが家を中心に行われていた。

19世紀になって工業化・近代化が進む中で、オフィスという場が登場し、社会の中でどんどんメインのポジションを占めるようになってきた。一方で、家は脇役へと押しやられていってしまいました。

21世紀を迎えて、工業化社会からIT社会へと変貌を遂げ、今まで脇役に押しやられていた家が再び、本来の機能を取り戻しつつあります。在宅勤務など家で働く選択肢が増えています。場合によってはクライアントを自宅に招くというような一種のショールーム的な役割を果たすことだってあるでしょう。実際、工業化社会になる前の家は、そういう役割を担っていたはずです。

振り返って考えてみると、オフィスという空間は、工業化社会の中で出現した限られた現象ともいえるかもしれません。

戦後アメリカ型の家をモデルにしてきた日本

――家の存在が社会の基盤として復権することで、社会的にはどのような変化があるのでしょうか?

核家族がベースだった20世紀は、コミュニティーも分断が進んでしまいましたが、家が本来持つ機能を取り戻し始めたことで、コミュニティーも復権してきました。

社会の単位が核家族からもう少し大きなものに拡大していき、外に向かってゆるく開かれてきています。その延長線上にコミュニティーがあり、シームレスにゆるやかにつながっているのです。これこそが、コミュニティーを取り戻す一番の近道といえるでしょう。

――20世紀に社会の中で家が脇役となり、コミュニティーが希薄になっていったのは、アメリカ型のライフスタイルの影響が大きいと語っていらっしゃいます。

第1次世界大戦後、アメリカでは郊外の土地を開発し、住宅ローンで家を販売するという住宅政策を取り入れます。誰もが家を持つ社会を作り上げました。住宅地の開発では、建設業界はもちろん、金融、電気、製造業などあらゆる分野に成長をもたらし、インフラの整備が進んでいきます。

一方、ヨーロッパの家のあり方は、アメリカのそれとは大きく違います。同じ時期にヨーロッパが住宅不足解消のために採用したのは公営住宅の建設でした。ヨーロッパの感覚として、家を所有するのは貴族など一部の限られた階級がやることという意識がある。ほとんどの人にとって家を持つことは、人生の大きな目的ではないのです。

加えて、ヨーロッパにはまだまだ大家族的なつながりのコミュニティーが根強く残っているという点でも、核家族が基本のアメリカとは全然違いますね。

ヨーロッパで仕事をするようになって、このようなアメリカ的なものとの差は、つくづく実感しました。

――確かに、日本は戦後一貫して、アメリカのライフスタイルをモデルとして憧れてきました。

ある意味、アメリカ型のモデルがもっとも長く定着したのが日本です。大型分譲地としてニュータウンを開発し、住宅ローンという金融システムをセットにして販売。庶民の「家を所有したい」という欲求を満たす一方で、サラリーマンは一生家の高額なローンのために働き続ける。これが長らく、日本の目指すべき姿と考えられていたのです。

戦前まであった大家族をベースにした日本のコミュニティーのあり方は否定され、今度は核家族と企業をベースに日本社会が再構築されていました。そういう中で、地域のゆるやかな結合体としてのコミュニティーはどんどんと失われていってしまいました。

最先端企業はクリエイティブな空間の重要性に気づいている

――確かに家の存在と地域のコミュニティーのあり方というのは密接なつながりを持っています。家の存在が希薄になれば、必然的にコミュニティーも失われてしまうということですね。

ただし、今でも地方の農家では、ゆるやかに家族や地域がつながるというコミュニティーがリアリティーを持って存在しています。そのゆるやかさこそ、これからの日本が持つべき家やコミュニティーの姿だと思うのです。

戦後、社会の中心であった企業には、家のような柔軟性や受容性、多様性はありません。企業の構成員は、社員のほかに株主やオーナーがいて、シビアなビジネスの世界が広がっている。そこに家が持つような寛容さを期待するのは無理がある。

我々は今まで「企業が家に代わる存在になる」という幻想を追いかけてきただけかもしれません。それが、ここにきて「企業は、家のような役割は果たせない」ということに、みんなが気づき始めています。

――企業から家へ社会のベースが移っていく中で、企業側にも変化が訪れているのでしょうか?

企業は「これからどういう場所で働いてもらえばいいのか?」を悩んでいますね。今までのオフィスは、決してクリエイティブな空間ではなかったでしょう。

では、どんな空間がこれからの働く場としてふさわしいのか? その答えを求めて、僕のところに設計を依頼してくる会社も増えています。一例を挙げると、中国のアリババのオフィスや、LINEのグループ会社、NHN Entertainmentの社員研修所を大分で手がけています。

最先端の企業であるほど、働く環境とクリエイティブな空間の重要性に気が付いていて、オフィスの「家」化が進んでいるのだと思います。

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アリババのオフィス(写真提供:隈研吾建築都市設計事務所)

アリババのオフィス(写真提供:隈研吾建築都市設計事務所)

震災で「持ち家=財産」の図式が崩壊

――「家を所有する」という話に戻ると、「賃貸」と「持ち家」への意識の変化などもあるのでしょうか?

少し前までは、「持ち家=財産」という図式をほとんどの人が信じてきました。しかし、3.11以降は、家は決して絶対的な財産とはいえないということがわかった。震災は誰にとっても大きな転機になったと思いますが、家に対する考え方という点では、確実に空気感が変わったと思います。

お金を切り詰めて生活して将来のために財産を残すという生き方よりも、自然という不安定な条件と共に、いかに生きていくかという視点に切り替わったのではないでしょうか。

そういう中で、財産として持ち家にこだわるよりも、賃貸という選択肢を選ぶというのが大きな流れになってきていると思います。

もともと巣を持つというのは、人間にとって安心を得るための本能です。そこから考えても、家は自分の精神状態が安定する場所を選べばいい。ここでなくてはいけないとか、こうでなくてはいけないというルールに縛られる必要はないのです。

今、このときに自分の思考やスタイルに合わせた、ベストな家や住まい方を選ぶといいのではないでしょうか。

(聞き手:久川桃子 構成:工藤千秋 写真:福田俊介)

お詫び:LINEの社員研修所という記述は、正しくは、LINEのグループ会社であるNHN Entertainmentの社員研修所でした。本文は訂正済みです。

*本連載は毎週月曜日に掲載します。次回は「場所へのこだわりとシェアハウス」です。