パリテロバナー.001

フランス移民 共存の苦悩(中編)

2016/1/2
パリでの同時多発テロ以降、フランスが大きな試練を迎えている。「自由と人権」を掲げつつも、テロのために治安維持を強化しなければならない現実に、フランス国民・政府はどう向き合っているのか。欧州情勢に精通する渡邊啓貴・東京外国語大学教授がフランスの今をリポートする。
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フランス社会に適合できない若者

もともとテロは政治・信条・イデオロギー的主張のための暴力的手段である。しかしこのテロが社会問題との関連の中で注目を浴びたのは、フランスでは1995年、25歳のアルジェリア系移民のハレド・ケルカル事件のときであった。

「武装イスラムグループ(GIA)」の一人と見られたこのリヨンの青年が800人の警察と機動隊に追跡される中で、銃撃戦の末射殺された。パリ学生街や凱旋門広場、新幹線、市場など連続テロの容疑者として、ケルカルは追われていた。

しかし、その葬儀の翌日パリで再び爆弾テロが発生し、その後真犯人が逮捕された。ケルカルはたんに容疑者にすぎなかった。そして、この青年がフランス社会へうまく適合できなかった移民の子どもであったことが事件の波紋を広げた。

事件の3年前に偶然、ドイツ人の社会学者のインタヴューでケルカルは、一般のフランス人との高校生活に溶け込めなかった事実を明らかにしていた。イスラム教徒として「豚を食べる」人たちへの嫌悪感も告白していた(拙稿『Voice』2015年3月号参照)。

2001年、9.11事件のときに容疑者としてフランス人の青年が逮捕された。

2012年3月、大統領選挙前にも連続銃撃テロが起こり、犯人の23歳の青年モハマド・メラは治安部隊との銃撃戦で死亡した。

メラはアルジェリア出身の移民の両親をもち、フランス南部の大都市トゥールーズのサーフィスト(イスラム原理主義者)が多い界隈の母子家庭で育ち、軽犯罪を繰り返した。拘置所でイスラム原理主義に感化され、その後アフガニスタンを旅行、当局から過激派分子とにらまれていた。

2014年5月末にも、ブリュッセルのユダヤ博物館で、見学者のイスラエル人夫妻二人と博物館従業員の二人を銃撃、殺害した犯人メディ・ネムーシュというフランス人青年が逮捕された。

ネムーシュもこの10年間で7回以上も犯罪歴があり、獄中でイスラム過激派となり、2012年末に出獄後シリアに出かけ、過激派グループと行動を共にしていた。

1月のテロの実行犯クアシ兄弟の兄のサイドはイエメンに渡航し、「アラビア半島のアルカーイダ」で射撃・軍事訓練を受けていたといわれる。郊外のスーパーに人質と立てこもったアメディ・クリバリはインターネットで「イスラム国」に忠誠を誓い、クアシ兄弟に資金援助したこともあると見られている。

社会統合からの脱落者

今回のテロの首謀者アバウドは、小さいときから反抗的な生徒で、やがて不良グループと一緒に窃盗などの犯罪に手を染め、強盗事件で収監されたときに過激思想に染まった。14年にシリアに向かい、その後もフランスとベルギーのあいだを自由に行き来していた。

アバウドとともに死んだ従妹アスナは犯罪歴や中東への渡航歴はなかったが、子どものころから複雑な家庭に育ち、酒と麻薬の常習犯となり、ホームレスの生活をするうちに、過激派の思想に染まった。

軽犯罪を繰り返し、収監された刑務所などでイスラムテロリストに感化される。またイラク、アフガニスタン、シリアなどで過激派組織と生活を共にし、洗脳され、戦闘訓練を受ける。

当局の発表では、ヨーロッパ諸国の国籍をもつそうした潜在的なヨーロッパ系のテロリストは2000人ほどに達すると見られ、そのうちフランス国籍をもつものは500人以上いる。

9月に開始されたフランスの空爆では、サリム・ベンガレムという36歳のフランス出身のイスラム国におけるフランス系テロリストのリクルーターがその攻撃のターゲットにされている。

こうしたイスラム教徒の青年の転落は今日エスカレートし、アルカーイダやイスラム国の感化を受けた地元出身のテロリストの誕生につながる。

彼らは政治的であれ、宗教的であれ、信念を主張するテロリストではない。むしろ社会統合プロセスの中の脱落者である。テロは、実行犯個人にとって社会不満のはけ口としての行為だ。テロは社会問題となったのである。

動機も日常性の強いものに

だとすれば、この種のテロを防ぐのはこれまで以上に困難である。しかも情報技術の発達で、テロリスト側のほうも情報操作が迅速かつ巧みになっている。

アルカーイダや「イスラム国」のテロへの対応が難しく、これまでの歴史的なテロ組織と違う点は、実態としての組織が見えにくいことである。しばしばいわれるように、国境を超えた一種の「ネットワーク」だからである。

人的・物理的な資源が一カ所にとどまらず、インターネットの時代には拡散し、その動機も日常性の強いものとなっているからだ。

10月8日フランスがシリアのイスラム国勢力の拠点ラッカを空爆したその日に、当局には、11月にアバウド首謀の劇場でのテロ攻撃が行われるという情報が伝えられていた。

しかし、膨大な量の情報と監視対象者を的確にさばくことは実質的に不可能である。フランスではテロ監視対象者数は1万1700人もいるという。

2012年には、治安当局への旅券取り消しの権限付与と未成年者の海外渡航への許可制、個人テロ計画の犯罪認定などの法律を定めたが効果はなく、2015年1月から480人がシリアに出発したと伝えられる。ジハーディスト「聖戦戦士」の数はむしろ増えている。

治安当局の本音

今回のテロの直後、『ルモンド』紙(11月14日付)は2015年1月以後の治安対策を検証した記事を掲載した。

2月以後、治安当局の努力で3件の大規模のテロが被害を出すことなく終わったことと、別途3件は未遂で処理できたことを伝えた。治安当局への批判の声を意識した記事だった。

18日朝の掃討作戦後には、同グループによってシャルル・ドゴール空港やビジネス街のデファンス地区が狙われていたのを事前に阻止したと当局は発表した。

治安当局の命懸けの努力を伝える報道ぶりであるが、フランス国民に広がる恐怖心と不安を払しょくすることはできない。「テロ」は文字どおり、フランス革命のときに生まれた言葉で「恐怖」から来る。テロリストの目的は第一にそこにある。

しかし、多様で国際的に広域に拡大するテロリストのネットワークや、内外を容易に行き来することのできる「ホーム・グロウン・テロリスト」の捕捉は困難だ。

フランス政府も「テロリストなのか、戦士なのか」区別がつかない。つまり「戦士(テロの意思のない軍人)」であれば理由なく身柄を勾留できないからである。

今回の実行犯のうち5人はフランス国籍である。しかも、日ごろは周辺の人びとにはごく普通の青年たちに見えていたといわれる人たちも交じっていた。「テロを予測するのは困難」というのは、じつは治安当局の本音である。

*続きは明日掲載します。

渡邊啓貴(わたなべ・ひろたか)
東京外国語大学教授
1954年生まれ。83年、慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。86年、パリ第一大学パンテオン・ソルボンヌ校 現代国際関係史専攻DEA修了。パリ高等研究大学院客員教授、ジョージ・ワシントン大学シグール・アジア研究センター客員教授などを経て、99年より現職。著書に『現代フランス 「栄光の時代」の終焉、欧州への活路 』(岩波書店)など。