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リングの現実主義者(第1回)

柔道部の補欠だった僕が、なぜ世界王者になれたのか

2015/12/21
「天は自ら助くる者を助く」。富の集中や経済格差が広がる現代社会で、才能、家柄、時代に恵まれなかった“持たざる者たち”が、いかにして名を成してきたのか。彼ら、彼女らの立志伝が語られる「持たざる者の立身出世伝」。連載第1回は12月29日の「RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015」で、桜庭和志との日本人格闘家頂上決戦に挑む青木真也が登場。中学の柔道部では補欠だったにもかかわらず、総合格闘技の世界王者まで上り詰めた異端のファイターの思考法が明かされる。

中学時代は柔道部で補欠だった

僕は、中学校の柔道部では6番手の選手だった。柔道の団体戦は5人制。そこで6番手だから、要するに補欠。まさに「居場所」がなく、精神的にも苦しい状態だった。

そうすると、毎日の練習が勝負になる。レギュラーを倒すか、誰かがけがをするか。とにかく「誰か一人、穴を空けてくれ」と常に思っていた。レギュラーが練習で「痛い」と言いだしたら、どんどん休んでくれと願っていた。

僕は身体も小さく、センスもないとずっと言われ続けてきた。周りには僕よりデカくて、身体能力に恵まれている人がたくさんいる。先生たちも、そういう生徒に可能性を感じて手厚く教えるのは当然だ。

当時、僕は「このまま普通のことをやっていても絶対に勝てない。周りと同じことをやっていたらダメだ」と思い、どうしたら自分の「居場所」をつくれるかと考え続けていた。

実力差を埋めるための情報戦

その中で気がついたのは、相手の知らない技を出せば、実力差があっても勝てるということ。当時はパソコンの動画とかもなかった時代で、相手が知らない技は完成度が低くても極めることができた。

早い段階でそれに気づき、誰も知らない技術を身に付けることにした。僕みたいな才能に恵まれていない選手は、みんなと同じことをしていては絶対にのし上がることはできない。だから、柔道なのに相手を投げるのではなく、下から飛びついて関節技を仕掛けたりと、トリッキーなことばかりしていた。

当時はとにかく必死。みんなが知らない技を覚えるために、部活以外でクラブチームの練習にも通った。また、格闘技雑誌や本からは柔道で通常使わない技をインプットすることもしていた。

部活以外でも練習するわけだから、体力的には相当つらい。けれど続けていくと、ほかの指導者のエッセンスも入ってきて、自然と地力が上がる。部活のみんなが知らない技も覚えていき、少しずつ勝てるようになっていった。

たゆまぬ努力でメキメキと実力をつけていった中学時代

たゆまぬ努力でメキメキと実力をつけていった中学時代

生き延びるための逆張り戦略

とはいえ、立ち技のキレがないままで、相手を投げることはできない。

完成度が低くても相手の知らない技を出して、どうにか勝つ。対策をされて技が決まらなくなると、また新しい技を仕込むという繰り返し。だから、隙間を探し続けてきたと言える。みんなが見ないところに着目し、行かないところに進む。そうやって生き延びてきた。

そんな僕のスタイルは日本柔道界にとって、正統派ではないから評価されることはない。試合で勝たないと評価されない以上、ただ勝ち続けるしかなかった。

手にした唯一無二のスタイル

常に隙間を狙って、人のやっていないことを考え続けたことが、まさに今実を結んでいる。

総合格闘家として僕以上に特徴的な寝技師は、世界を見渡してもいないのではないかと思う。「『シンヤ・アオキ』といったら寝技だ」と世界中の格闘技ファンが口をそろえてくれる。ほかに比較対象のない特異な戦い方をするので、主催者側も必要としてくれるのだろう。

もし今と実力が変わらなくても、僕が周りと同じようなスタイルだったら、現在のような待遇や条件は得られなかったと思う。やはり、「青木しかいない」というスタイルを確立できたからこそ、今の「居場所」があるのだと。

青木真也(あおき・しんや) 1983年5月9日生まれ。静岡県出身。小学生の頃から柔道をはじめ、2002年に全日本ジュニア強化選手に選抜された。早稲田大学在学中に、柔道から総合格闘技に転身する。大学卒業後に静岡県警に就職するが、2カ月で退職して再び総合格闘家として活躍し、「DREAM」、「ONE FC」で世界ライト級チャンピオンに輝く。12月29日の「RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015」で桜庭和志との日本人格闘家頂上決戦に挑む(写真:Action Imagesアフロ)

青木真也(あおき・しんや)
1983年5月9日生まれ。静岡県出身。小学生の頃から柔道を始め、2002年に全日本ジュニア強化選手に選抜された。早稲田大学在学中に、柔道から総合格闘技に転身する。大学卒業後に静岡県警に就職するが、2カ月で退職して再び総合格闘家として活躍し、「DREAM」「ONE FC」で世界ライト級チャンピオンに輝く。12月29日の「RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015」で桜庭和志との日本人格闘家頂上決戦に挑む(写真:Action Imagesアフロ)

はやりを追うのでは圧倒的に遅い

中学生の頃から、常に逆張りを意識してきた。みんなのやっていないことをやったほうがいいという考えは、当時からまったく変わらない。みんながやっていることを、「はやりだから」といって乗っかっているようでは圧倒的に遅い。種は先にまいておかないといけない。

僕は今でも、世の中の傾向を見ている。「何でもアリ」の総合格闘技では、これまで寝技がはやることがあったり、立ち技が重要視されたり、その都度でトレンドが変わってきた。今はアメリカの「UFC」を中心にレスリングの時代が来ているが、これから先は足関節の時代が来るのではないかと思っている。

もしかしたら、予想が外れるかもしれない。でも、「周りがこう思っている」「こう考えている」と仮説を立て、「だったら、実はこっちに穴があるな」と発想する。そうやって先手を打っておくことが重要だ。

いち早く情報を得て、周りとは逆に進む。「情報戦」と「逆張り」。これが、特別な才能がなかった僕が、今の「居場所」をつくれた戦略の一つとなっている。

*明日掲載の【第2話】「早稲田柔道部を退部。警官は2カ月で退職。最後は総合格闘技を選ぶ」に続きます。

*目次
【予告】狂者か、改革者か。異端の格闘家・青木真也の流儀
【第1話】柔道部の補欠だった僕が、なぜ世界王者になれたのか
【第2話】早稲田柔道部を退部。警官は2カ月で退職。最後は総合格闘技を選ぶ
【第3話】所属団体の消滅。「居場所」がなくなる恐怖感
【第4話】リスクを取らなければ自分の価値は上がらない
【第5話】大衆を意識しないと食ってはいけない
【第6話】フリーランスの格闘家。買い叩かれないための交渉術
【第7話】勝つための大原則。「自流試合をする。他流試合はしない」
【第8話】群れない馴れない奢られない。格闘界に染まらない3つのルール
【第9話】腕をへし折る格闘家のメンタリティ。練習は“心の栄養”
【最終話】35歳のとき世界最強をかけた戦いで引退する

(構成:箕輪厚介、小谷紘友、写真:©JSM)