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プロピッカーが選ぶ今週の3冊

長期停滞、格差、AI。若田部教授が着目する経済論壇の3大論点

2015/12/9
時代を切り取る新刊本をさまざまな角度から紹介する「Book Picks」。今回から「Pro Picker’s Choice」と題して、プロピッカーがピックアップした書籍を紹介する。初回は早稲田大学の若田部昌澄教授が、経済論壇で注目される3冊を取り上げる。

現在、英語圏を中心とする世界の経済論壇の3大トピックは、長期停滞論、所得・資産の格差増大、そしてロボット・人工知能(AI)の経済に及ぼす影響、というあたりだろう。そうした論壇動向を示す本を取り上げてみる。
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アンソニー・アトキンソンはイギリスの経済学者である。一般読者にはほとんど名前が知られていないだろうが、トマ・ピケティの師匠といえばわかりやすいだろうか(ピケティの書いた書評が序文として収録されている)。

ピケティの『21世紀の資本』(みすず書房)は、なんと14万部も売れ、解説本が何冊も売れたくらいには話題になったが、不平等・格差の研究分野で将来ノーベル経済学賞を取るならば、アトキンソンといわれている(引用数でノーベル賞の予測をするトムソン・ロイターは2012年、今年の受賞者であるアンガス・ディートンとともにアトキンソンを選んだ)。

本書は、実によくまとまった本である。第Ⅰ部で不平等の現状と歴史分析、経済学について解説したのち、第Ⅱ部では不平等を減らすための具体的な提案を15個挙げており、最後の第Ⅲ部では、自分の提案へのあり得るべき批判について検討している。

ピケティの本は、600頁という分量の割には比較的単純な図式(資本収益率r>経済成長率g)と解決策(グローバル資本課税)を提示している。これが一般に受けた理由かもしれない。

対して、この本では不平等の原因分析も対処法も多様である。その多様性、網羅性が本書の強みであり、ピケティでこの問題に関心を持った人をより深いところに誘導してくれる。

アトキンソンは、所得や資産の創出はできるだけ市場の力に任せて、後は政府が税制や政府支出で是正すべき、という立場を取らない。むしろ、不平等化の進行は現代の資本市場、労働市場そのものに原因があるとし、市場をより強く制御することを目指す。

それゆえ、具体的な提案は、これでもかというくらい網羅的で、市場に介入する提案が多々含まれている。

提案3の「政府は失業を防止・削減する明示的な目標を採用し、求める者に対して最低賃金での公的雇用保障を提供することで、この目標を具体化すべきである」というのはこれまでの提案とさほど変わらないとしても、技術変化の方向を労働者が雇用されやすいように変えることという提案1から、政府が国民貯蓄公債を発行して貯蓄への正の実質利率を保証すべしという提案5まで、かなり市場介入的な対策が含まれている。

私自身は、提案1や、国家投資ファンド(ソブリン・ウェルス・ファンド)の活用で国が保有する純資産価値を増やそうという提案7は介入的すぎるし、そもそも理論的にも歴史的にも国が投資運用をしてもうまくいかないのではないかと思う。

ともあれ、アトキンソンは、不平等・格差を論じるための広範な材料を用意してくれたのは事実だ。ピケティで始まった年をアトキンソンで締めくくるのも悪くない。
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アトキンソンも懸念していたように、最近の人工知能の進展は、機械が人間に取って代わるのではないかという議論を勢いづかせている。

たとえば『機械との競争』(日経BP社)を書いたエリック・ブリニョルフソンとアンドリュー・マカフィーによるその拡張版とも言うべき『ザ・セカンド・マシン・エイジ』(同)、より扇情的なジェイムズ・バラットの『人工知能 人類最悪にして最後の発明』(ダイヤモンド社)など、翻訳が相次いだ。

フォードの本は、この種のジャンルの決定版とも言うべきで、今年の“Financial Times and McKinsey Best Business Book of the Year”に選ばれた。

類書と比べて本書が面白いのは2つある。第1に、ロボットや人工知能の進展というと何か自動的に進むかのような議論がある。人々は失業する、雇用は二極化する、しかしロボット化は進むというわけだ。

著者のフォードはそうはみない。ロボット化が進んでできた製品やサービスに対しては、誰が需要の担い手となるのか? その所得はどこから来るのか? さらに格差の拡大は需要不足を生み出すかもしれない。ここでフォードの議論はアトキンソンらの議論と結びつく。

第2に、もしそうなるとしたら、どういう経済社会が望ましいのか。それについて明確な処方箋も、フォードは用意している。

「新たな経済パラダイムを目指して」と題された最後の章で著者は、最低所得保障(GMI)、ベーシック・インカム、あるいは負の所得税と呼ばれるものの導入を勧める。人工知能、ロボットの到来で人々が懸念するのは、職と所得を失うことだ。

GMIは所得を喪失する恐れを取り除いてやることができるし、需要を創出することで新しい職の創出を助けることになる(なお、ベーシック・インカムについては原田泰のそのものずばりの著作『ベーシック・インカム』〈中央公論新社〉を勧めておきたい)。

けれども、本当に人工知能、ロボットの到来が雇用を減らし、あるいは雇用の二極化をもたらしているのだろうか? ここは議論のあるところで、フォードも確かな証拠を提示しているわけではない。

マサチューセッツ工科大学のデイヴィッド・オウター教授は、雇用の二極化は起きているものの、その原因はグローバル化ないしは中国の台頭だというように、現状で意見は分かれている。

しかし、本書が描くようにこの分野での技術進歩は続いていくだろう。また、アトキンソンの提案にもかかわらず、技術進歩を労働者の雇用可能性を増やすように方向付けるのは難しいと考えるべきだろう。

だとしたら、フォードが描く世界が多少なりとも現実味を帯びるし、そのときに備えておくべきだという本書のメッセージは傾聴に値する。
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ところでなぜ不平等・格差やロボットの脅威が問題になるのだろうか? そこには現代経済を覆っている漠然とした不安というか、まだ経済が力強く回復していないという感覚があるように思う。

たとえば、不平等の増大や中位賃金の停滞はすでに経済危機前から進行してきた。最近これらが問題視されるようになったのは、経済危機後の景気回復の緩慢さ(あるいは地域によってはその欠如)が原因であるように思う。

そこで最近提唱されているのが長期停滞論である。これは一言で言えば、危機後に需要不足が持続的に続いているので、雇用もあまり創出されず、賃金も停滞し、経済への先行き不安感が払拭(ふっしょく)できないというものだ。

なぜ需要不足が長期的に持続するのかについては、各種の仮説が提示されているものの、重要なのは需要が不足しているのであれば、政策的に需要を刺激することで大きな成果を得られることだ。

ならば長期停滞論についての本を推したいところだが、そのものずばりの本はまだない。そのうち提唱者のラリー・サマーズやポール・クルーグマンあたりが書くのではないかと思う(サマーズ、クルーグマンらの論考を集めたものとしてこのサイトも参考になる。無料であるのがうれしい)。その代用品と言っては失礼ながら、アデア・ターナーの本を挙げよう。

これは実に面白い本で、読んでいて大いに興奮した。アデア・ターナーは元イギリス金融庁長官で、現在はリーマン・ショック後にジョージ・ソロスの資金で設立されたInstitute for New Economic Thinkingの所長を務めている。

ターナーは今回の金融・経済危機の真因を、所得の増加スピードに比べて信用貨幣の創造と債務の増加スピードが大きすぎることに求める。

また今回の経済危機後に、各国中央銀行が量的緩和(QE)を実行しているものの、名目国内総生産(GDP)はなかなか増えていかない。ユーロ圏、日本と比較すると米国は比較的成功しているとは言えるし、各種の金融業規制が実施されてはいるものの、それでも危機の真因に対応しているとは言えないという。

彼の提唱する対応策は2つある。第1に、過剰な信用貨幣の創造と債務の増加を抑制するための各種の改革である。ターナーは自己資本比率の引き上げ規制から、銀行の保有する準備金を100%にする提案(事実上の銀行業廃止)までさまざまな案を検討する。とはいえ、名目GDPの増加、経済成長は必要である。

そこで第2に、金融政策と財政政策を組み合わせる提案が出てくる。これは、俗にヘリコプター・マネーといわれるもので、財政政策の財源を中央銀行の貨幣発行で埋めるものである。

なお、著者が各所で強調するように、この提案は、いわゆる市場原理主義者といわれるようなシカゴ学派のミルトン・フリードマンも行ったことがある。自由市場を重視するがゆえに、市場を不安定化する要因への対応が求められるというわけだ。

信用貨幣、債務の増加が名目GDPの増加スピードを上回るからといって過剰と言えるかどうかは議論があるところだろう。しかし、提案の論理性において、本書は類を見ない。

すでにターナーの議論はフィナンシャル・タイムズやエコノミスの論説などに大きな影響を及ぼしており、経済の停滞感と先行きへの不安感が長引けば長引くほど、その提案が注目されていくと考えられる。そうした動きは長期停滞からの脱出に苦闘している日本にとっても無縁ではないはずだ。