為末大の未来対談 第27回 日産自動車 土井三浩 総合研究所所長
自動運転車から見えてくる、身体と道具の良好な関係
2015/11/28
元陸上プロ選手の為末大氏が、さまざまな分野の第一人者と対談し、5年後から10年後の世界がどうなっているかを聞いている。本連載の最後の対談者は、日産自動車理事でアライアンスグローバルダイレクター兼総合研究所所長の土井三浩氏。電気自動車そして自動運転車と、次世代の車や人びとの移動の在り方をデザインしている日産自動車。土井氏は、将来のモビリティ社会に貢献する新たな価値の創造をミッションに掲げる同社総合研究所を率いている。土井氏の視野にある、人間と車の関係の未来像とはどのようなものか。最終回では、自動運転車が普及していく時代、人間の身体と道具との関係性はどうなっていくのか、身体論にまで対話が深まっていく。
思っていた通りの運転を車がしてくれるか
為末:そこまで技術が進んでも、実際に運転するとき、人間のほうがまだ優っている点があるというお話でしたよね。
土井:ええ。たとえば行動予測がそうです。人間は運転しているとき、歩道にいる人を見て、「あ、あの人、道を渡ろうとしているかも」と予測をします。それでブレーキをかけたりハンドルを切ったりしてより安全なルートを選びます。
もし同じ状況で自動運転車が対応するとなると、たしかに自動車も接触事故などがないようにきちんと対処しようとするけれど、乗っている人間は自分が運転するときの感覚と違うと怖いんですよね。道路を歩いている歩行者のほうも、自動運転車が近づいてくるとやはりまだ怖さを感じると思います。
為末:その意味では、危険を察知する技術だけじゃなく、乗っている人が「心地よい」ことを実現することも重要になっていきそうですね。ちょっと次元の違う話かもしれないですけれど。
土井:そうだと思いますね。
為末:自分が想像している通りに、自動運転車が動いてくれるかというのが大切になってくる。
土井:ええ。乗る人の納得感をもたらすようなコミュニケーションが発達すると、自動車はより快適に便利になると思います。
たとえば、助手席に友人か誰かが乗っていて「右の道を行ったほうが早いよ」と言われたとき、自分の直感と違うと「本当かな」となりますよね。そこで友人が「昨日、左の道を通ったら工事していて渋滞に遭ったんだ」などと理由を言ってくれば納得します。
でも、今のナビゲーション・システムでは「300メートル先、右方向です」と言うだけ。運転席に座っている人はそれに従う。ナビが親分で人間は子分のような変な関係になっているんですね。
為末:つまり、説得するとか納得させるといった作業が省かれちゃっているわけですね。
土井:そうなんです。今の自動車はまだそこまで賢くなっていないので、そうしたやりとりはできないのですが、それができるようになると、もっと人間が納得して自動車に向き合えるようになると思います。
為末:僕は車を運転すること自体が結構好きなんです。どこが好きかといえば、運転技術が向上していくところですね。「自分でやれている」とか「コントロールできている」と感じることは、人間の心地よさの結構大きな領域を占めている気がするんです。
移動のための手段というより、僕みたいに運転すること自体が目的というときに、人間と自動運転車との関係はどうなっていくんでしょう。運転することの喜びはゼロにはならないですよね。
土井:もちろんです。自動運転のいいところは選べるところなんです。自動運転車ではスイッチを切れば自分で運転することができます。
ただ、将来、自動運転の仕様が当たり前のものとして装備されるようになれば、私たちは「元の自動車」には戻さないと思うんですよね。
あまり運転がうまくなくて、コーナーで膨らんでしまうような人でも、自動運転の仕組みを使って、自分がハンドルを切り始めるよりちょっと前に、上手に自動車が曲がり始めてくれる。そのほうが当然、安全でもあるわけです。
そうしたサポートを選択的に入れながら、自動運転車とドライバーが協調するようなことは、一つの流れになるかもしれません。
為末:競泳用水着で選手がかつて身に着けていたレーザーレーサーみたいな感じですかね。装着すると本来の自分よりもうまく、速くなれるような。
土井:そのサポートをどこまでやるかという問題はありますね。自分で運転したいという人から楽しみを奪ってはいけないですね。
身体と道具の一体化を車で目指す
為末:身体と道具の関係というものは、扱いが慣れてくると道具が身体と一体化していきますよね。
僕は今、義足の開発に携わっていますが、競技選手が使っている義足は板バネが反ったようなかたちをしているんです。着け慣れた選手は、足元にボールが飛んできたら、義足の形状を踏まえたうえでボールが当たらないように避ける動きをします。
同じように、たとえばカーレーサーの方なんかは、自分の体と車が一体化しているんじゃないかと。
土井:身体拡張の世界ですね。軽自動車が運転しやすいのは、単純に小さいからでなく、ドライバーが両手を広げたら届きそうに感じられるぐらいのサイズだから、つまり自分の身体にわりと近い感じがあるからでしょうね。
そうした、身体に近い感じをより大きなサイズの自動車でも実現するために、「マジック・バンパー」という技術をマサチューセッツ工科大学の研究者たちと共同開発したことがあります。
要は、レーダーを使って、前方の自動車との車間が狭まるとアクセルペダルが押し戻されたり、レーンをまたぎそうになるとハンドルに少し戻す力を入れたりするといったことで、身体に周りの様子を伝えようというコンセプトです。
為末:バーチャルに周囲の環境を身体で感じるような技術ですかね。
土井:そうです。そのとき私は「前方の自動車に近づき過ぎたら、アクセルペダルが押し戻されるようにすればいい」と考えていたんですが、私の研究仲間は「自分の身体へのフィードバックなんて要らない。自動車を減速させて安全を維持することが重要である」と主張したんです。
それで、かなりの言い合いになって、互いに譲らなかった。それで「どっちが正しいか実験車で勝負しよう」ということになりました。
為末:へえ。それで結局どうなったんですか。
土井:約1年後、お互いの車を交換して乗ってみたんですが、「なんか違うよな」とお互いが感じたんです。「やっぱり両方を合わせないと駄目だね」というのが結論でした。
私の車は、アクセルペダルが押し戻されるからドライバーが自然に足を離します。ですが、慣性がついてるから車のスピードはあまり下がらない。「なんのためにアクセル緩めたんだ? もっとコントロールしてくれよ」となっちゃう。
一方、自動車が勝手にスピードを制御するだけだと、なにが起きているかわからなくて怖いんですよ。「この自動車はちゃんと状況を理解している。任せて大丈夫」という安心感が足りないんです。
為末:身体や感覚と、車の動作の一体感が大切なわけですね。
土井:自動運転でも、まったくアクセルやハンドルに触れずに乗る場合もありますが、為末さんのように自分でも運転してうまくなることを楽しむ人もいます。
そのとき自分の身体の使い方と、自動車の反応の仕方が、感覚的にぴたりと合うときっと感動があるはずです。日産の評価ドライバーも、「身体と車の動きがシンクロする車や瞬間がある」と言っています。
為末:そういうのはあるっていいますよね。
土井:そうした達人の感覚が普通の人でも楽しめるようにできれば、車はもっと面白くなると思います。
対談を終えて
車が僕たちに提供してくれる価値とはなにかを考えていくなかで、自動運転できるようになったり、ネットに車がつながったりすることにより、変わる価値と変わらない価値はなんだろうという問いが生まれました。
たとえばこれまではある車種を一度、世に出したらニューモデルが出るまでは性能が変わらなかったのが、コンピュータのOSをバージョンアップするように、車に新たなデータをダウンロードすれば改良していくことができるようになっていく、といったことが考えられます。
そうすると同じ車に長く乗り続けることができます。ドライバーの身体的感覚と車の動きとの調和なども、ソフトウェアによって改良されていくのかもしれません。
自動運転になれば安全で便利になるけれども、運転する楽しさを完全に手放すのはもったいない気がします。
僕は運転しているときの「自分でコントロールしている」という感覚が好きだし、運転するほどうまくなっていくのもうれしい。
車の丸いハンドルは僕たちが思っている以上によくできた仕組みで、簡単にはほかのものにとってかわられることはないだろうと土井さんはおっしゃっていましたが、自動運転の時代になっても僕の車ではこのハンドルが結構活躍すると思います。
(構成:漆原次郎、写真:風間仁一郎)
*「為末大の未来対談」がプレジデント社より書籍化され、12月18日に発売されます。本連載で公開した記事にボーナス対談を加えた全10編。こちらで予約を受け付けています。