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スポーツポリティクス序論(第6回)

指定管理者制度がスポーツビジネスを変える

2015/11/23

経営を決める資源は「ヒト・モノ・カネ」だと言われている。この3点のすべてにおいて、わが国のスポーツビジネスは大きなハンデを背負っている。

カネとは「資本」のことで、ビジネスとして魅力のない産業分野に、投資が集まらないのは当然だ。

ヒトとは「人材」のことで、これもビジネスとして魅力のない産業分野に良い人材が集まらないのは、理の当然である。わが国のプロスポーツを代表する「野球」と「サッカー」のプロリーグにおいて、これだけ親会社の出向者が経営のトップに座っている光景は、世界から見ると異常だ。

先進国のプロリーグのどこにも見当たらない。メジャーリーグやプレミア・リーグに、親会社から出向しているクラブの社長が一人でもいるだろうか? そういう意味では、本来の意味でのプロスポーツ産業は、日本では相撲とゴルフだけなのかもしれない。

「選手人件費」は「仕入れ原価」

残りの「モノ」であるが、これは製品を生産する工場や生産材のことだ。Jリーグやプロ野球が生産し販売している商品は「ゲーム」である。

「選手」や「チーム」は「ゲーム」という商品を生産する原材料だと理解すべきだ。従って「選手人件費」は通常の産業における人件費ではなく、「仕入れ原価」なのだ。

スタジアム=工場

スポーツ産業における「モノ」、つまり「ゲームという商品」の生産の場(=工場)はアリーナやスタジアムのことである。

この建設コストは巨額であり、しかもその建設費のコストの回収は困難だ。何しろ、プロ野球で72試合、Jリーグに至っては30試合弱しかホームゲームがない。

「工場」が年間半分も稼働しない

つまり、この産業において、工場と商店が稼働しているのは一年間の半分にも満たないのだ。営業機会は極めて限られている特殊な産業だ。

結論として、プロ産業は通常の産業的視点からは、経済的に利益を追求する合理性が余りない。

経済合理性がなくても、スポーツ産業が成り立っているのは、スポーツそのものに公共性があり、大なり小なり、公的な資金の支援を受けるからだ。

スタジアムなどの巨額の建設コストは公的な資金で賄うのが、世界の常識となる。経営資源を構成する基本的な要素の一つが「公的資金」で賄われるのは、スポーツ産業の特色の一つである。

ついでながら、スポーツ産業がほかの産業と最も違うのは、「ゲームという商品の生産が単独では不可能だ」という点だ。そんな産業、そんな製品(Product)は、ほかのどこにもない。

扉を開いた地方自治法の改正

わが国の公的なスポーツ施設が、事業に対して実に利用しにくい構造が長くあった。

この宿痾(しゅくあ)は解消困難だと思われていたが、スポーツを管轄する文部科学省や、建設に関わる国交省とは違うところから、解決の途が開かれた。

それが地方自治法の244条の改正であり、「指定管理者制度」の開始であった。この制度は、スポーツ団体の事業可能性と、さらにアスリートのセカンド・キャリアの途を開く可能性を大いに広くした。

売り上げは施設に左右される

スポーツ興行は、「施設産業」という側面を持つ。

(北海道移転前の日本ハムファイターズは観客が少なくて有名だったが、一度だけ、観客動員が阪神タイガースを抜いて、巨人に次いで第二位になったことがある。それは東京ドームができた年であった)

第一に観客席の問題だ。

観やすく、居心地の良い空間は、観客のCSを高めリピート率を高める(逆であれば、客足は遠のく)。飲食、物販は、スポーツ興行における売り上げのかなり大きな一角を占め、この売り上げは施設に大きく影響される。

建物管理に必要な資格

「アスリートのセカンド・キャリアへの途」についても解説しておこう。

スポーツ施設の「管理・運営」に必要なナレッジは、「建物管理」「プログラム管理」「顧客管理」の3つに大別される。

「建物管理」につては、(財)体育施設協会が「体育施設管理士」という資格検定を行っており、この資格保持者はスポーツ施設の指定管理者になろうとする法人には不可欠だ。この資格は1週間弱の講習を受けるととれる。

鹿島アントラーズはホームスタジアムの指定管理者になっており、施設使用料を約半分に減らせているだけでなく、いろいろなビジネスを展開することが可能になっている(写真: アフロスポーツ)

鹿島アントラーズはホームスタジアムの指定管理者になっており、設営費を減らせているだけでなく、試合中継制作、フィットネスジム事業など、いろいろなビジネスを展開することが可能になっている。今年8月には整形外科を開院した(写真:アフロスポーツ)

試合の企画と顧客管理

2番目の「プログラム管理」とは、スポーツの指導やゲームや大会の企画運営のことだ。

大学まで、あるいは社会人までトップスポーツでプレーしているプレーヤーは、大体10年弱のプレー経験があるはずだ。つまり10年の先行投資がなされている。

3番目の顧客管理だが、現在はネットを通じた利用申し込みが一般的になりつつある。ここで求められる、HPとDB(データベース)の管理スキルは、3カ月程度の研修で修得できるはずだ。

元選手に2倍払っていい

整理をすると、トップアスリートは「指定管理者」に必要なスキルについて、10年分の先行投資が済んでいるので、3カ月のHP・DB研修と、1週間の「施設研修」をすれば、3人分の働きができる。

雇う側にしてみれば、報酬を2倍払っても理論的にはペイするはずだ。

結論として、トップアスリートは、競技以外について多少の追加投資をすれば、かなり有望な指定管理者のスタッフになり得るはずだ(無論、すべてのトップアスリートに可能というわけではないが)。

人材育成を開始すべき

指定管理者制度は、スポーツ産業と、アスリートにとって、福音となり得る産業的なインパクトがある。こういったビジネスの枠組みでの「人材育成」を早急に開始すべきであろう。

体育系の大学あるいは学部は、こういった出口戦略に取り組むと良い。出口戦略の有無が、大学の生き残りのカギでもあるのだから。

ここまで「スポーツ×政治」の在り方について、歴史的な経緯と、そこから生ずる現在の問題点、さらにはその構造的な問題点が解消されうる可能性について、できるだけ具体的に論じてみた。読者諸兄に何らかの参考になれば幸いである。

ここで本論はいったん終了するが、次回は蛇足の番外編で、21世紀にスポーツはどういう社会的な変化に対応すべきか、について論を試みることにしよう。